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「マルクス 最後の旅」 [海外文学]

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 太田出版、2016年6月刊。原著は2017年刊。
 著者は、ドイツの社会学者、ハンス・ユルゲン・クリスマンスキさん。
 
 1882年2月16日、パリのリヨン駅から、カール・マルクス(1818~1883)は三人の娘、その婿たち、ならびに孫たちに見送られて、アルジェリアのアルジェに向けて旅立った。
 マルクスの妻、イェニィは前の年にがんで亡くなっていた。
 愛する者を失ったマルクスの嘆きは深く、健康もすぐれない。
 マルクスは、肺病にもかかっていた。
 ドイツの保守系の新聞は、マルクスも死に瀕していると書き立てていた。
 
 マルクスの友、エンゲルスはマルクスを温暖な地で長期間療養させようと手配をした。
 苦痛が緩和されれば、『資本論』の続刊の執筆も進むのではと期待していた。

 2月18日、マルクスはマルセイユ港でアルジェ行きの船に乗った。
 マルクスにとって、ヨーロッパの外に出るのは初めてだった。
 船は、総トン数1,163トンのあまり大きくない蒸気船だ。
 マルクスも含め一等客は狭い客室を与えられるが、二等客は34時間に及ぶ航海を、甲板上で防水シートを被って過ごすことになる。
 
 マルクスは、船室のベッドに横になり、咳の発作に襲われながら、酒を飲んでいた。
 機関室の騒音は耐え難く、船は縦に横に揺れた。
 夢うつつの中、ロンドンの亡命地と大陸との間の幾たびもの渡航を思い出した。
 青春時代のとどまるところを知らない知識欲、奔放な行動が今となっては懐かしい。
 労働運動の高まりの中、尊敬を集める理論家としての自分がいた。

 マルクスはパスポートを持っていない。
 エンゲルスがアルジェにいる、裁判官をしている友人に連絡をして、パスポートなしで入国できることになっていた。

 アルジェに到着して、マルクスはその裁判官の紹介で、あるペンションに落ち着いた。

 マルクスはヘビースモーカーで、何年も前から頑固な皮膚病に悩まされていた。
 慢性の気管支炎と胸膜炎も併発していた。
 また、アルコールの摂取は重篤な肝臓病へとつながっていた。
 当時の医学の水準では、できることと言えば、こうした保養旅行や、たいして頼りにならない保養所の医師に診てもらう程度のことでしかなかった。

 フランスの画家、オーギュスト・ルノワールも同じ時期に、アルジェリアに来ていた。
 当時、ルノワールは、印象派から離れ、自分の進むべき道を探していた。
 アルジェリアで描いた作品をいくつか残している。

 マルクスはお金を持つということをせず、いつも借金をしていた。
 定職を持とうとはしなかった。
 それでも、マルクス家の生活はプロレタリアの生活ではなく、上流階級のそれであった。
 マルクスは妻のイェニィが貴族階級の出であることを誇りにしていた。

 マルクスは4月のある日、アルジェリアの暑さに耐えかねて、写真館で自分の肖像写真を撮ってもらった後、床屋でひげを剃り落とし、髪の毛を短く切ってもらった。
 全く別人のようになった。

 マルクスは5月初めにアルジェリアを発ち、フランスに戻った。 
 そして、モンテカルロやパリを経由して、9月末にロンドンに戻った。
 しかし、ロンドンの霧にさらされて、気管支炎がぶり返してしまった。
 エンゲルスに強く勧められて、マルクスはイギリスの南端にあるワイト島に向かった。

 翌年1月、長女が38歳で亡くなった。
 母親と同じく、がんだった。

 マルクスはロンドンに戻ったが、咽頭炎、気管支炎、肺の潰瘍、胃や腸の不調などで、ほとんど書斎に閉じこもり、たびたびソファに横になった。
 エンゲルスは毎日様子を見に来た。

 エンゲルスはマルクスの前では常に自己を滅し、第二ヴァイオリンを弾いていた。
 
 1883年3月14日、マルクスは肘掛椅子に沈み込むようにして座り、もう目覚めることのない眠りに落ちていた。
 葬儀はハイゲイト貧民墓地で執り行われた。
 エンゲルスが弔辞を述べた。
 参列したのは親族のほかはわずかであった。

<ロンドンにあるマルクスの墓>
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魯迅「藤野先生」 [海外文学]

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  講談社文芸文庫(1998年刊)に拠る。

  中国の作家、魯迅(1881~1936)が1926年に描いた小文。
  生前、選集を日本で出版するに際して、魯迅本人からこの「藤野先生」を必ず入れてもらいたいとの話があった。

 魯迅は、1902年、21歳の時に日本に留学。
 東京で2年間、日本語を学んだ後、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学した。

<藤野先生>
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 解剖学の教授は、色の黒いやせた先生で、八字ひげをはやし、眼鏡をかけ、ひと重ねにした大小さまざまな本を抱えて教室に入ってきた。
 これが藤野先生だった。
 先生は、服の着方がはなはだ無頓着で、時にはネクタイをするのを忘れることすらある。

 一週間ほどして、藤野先生は私を呼び、きちんとノートをとることができるか尋ねた。
 私は「少しできます」と答えた。
 先生は、私のノートを預かり、二、三日すると返してくれた。
 持ち帰って開けてみると驚いた。
 私の講義ノートは始めから終わりまで、すっかり朱筆で添削してあったばかりか、たくさんの抜けている部分が書き足されていた。
 先生は毎週、私のノートの添削を先生の講義が終わるまで続けてくれた。

 おかげで学年試験の私の成績は、同級の百余人の中で真ん中あたりで、落第せずに済んだ。
 しかし、一部の学生が、私の成績が良かったのは、藤野先生が講義ノートの添削を通じて、試験に出るところを教えていたに違いないと疑った。
 中国人は能力が劣っており、良い成績を取れるはずがないという偏見が原因だった。
 私は、このことを藤野先生に告げ、私と仲の良かった数人の同級生が、疑った学生に強く抗議をしてくれた。

 仙台で医学を2年間学ぶうちに、中国の現状を変えるために生きることを決意するようになった。
 私は、藤野先生を訪ね、医学の勉強を止め、仙台を去ることを告げた。
 藤野先生の顔には悲しみの色が浮かんだが、何も言わなかった。

 出発する前に、藤野先生は一枚の藤野先生の写真をくれた。
 裏には「惜別」と書いてあった。
 私は、北京に戻ってからも、その写真を、私の机から見えるところにかけてある。
 仕事に倦み疲れて、怠け心がおこってくると、いつも、顔を上げて、彼の黒い、痩せた顔を眺めた。
 そうすると、私にはたちまち良心がおこり、勇気が加えられるのである。
 
 * 太宰治は、魯迅と藤野先生の交流を題材にして、「惜別」という作品を1945年9月に出版した。
   

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「食いつめものブルース 3億人の中国農民工」 [現代社会]

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  日経BP社、2017年11月刊。
  著者は、ノンフィクションライターの山田泰司さん。

  上海など都会に戸籍を持つ人たちが、ただ同然で手に入れたマンションの再開発で日本円にして1億円もの大金を手にする。
  一方、農村に戸籍を持つ人たちは農村では満足な生活ができず都会にやってくるが、厳しい、最低限の生活を強いられる。

1 農民工
 農民戸籍のまま都市部に滞在する労働者のこと。
 全国で2億8千万人、中国の人口の五分の一は農民工だ。
 農民工の75%は中卒以下の学歴しかない。
 田舎にいても食べるのがやっとで、現金収入はほとんどない。
 都会に出て働くしかない。

 しかし、農民工の平均月収は3,275元(5万3千円)にしかならない。
 都会人がやりたがらない肉体労働や下働きをする。 

2 住環境
 廃墟同然のぼろ屋であったり、トイレどころか便器すらなく「馬桶(マートン)」という桶があるだけというように、住環境は劣悪である。
 上海など都会の物価は、彼らの収入に比較してとても高い。

 取り壊しが決まり、それまでの居住者が出て行った後に、そこに一時的に入居する家族も少なくない。
 家賃は格安であるが、言われたらすぐに出て行かなければならない。

 北京では地下室のアパートがあり、住人は百万人に達すると言われている。
 治安や防災面から問題があることから、法律上は認められていないが、なくならない。

3 上海への出稼ぎ
 上海への出稼ぎ農民工の多くは、河南省と安徽省の出身だ。
 上海とこれらの省との間の経済格差は大きい。
 河南省と安徽省を合わせた一人当たりの年間所得は29,932元(51万円)で、上海の約3分の1だ。

 上海人はこれらの出稼ぎ農民工を下に見る傾向がある。
 しかし、上海の人口2,400万人のうち、上海に戸籍を持つ人は1,400万人で、残りの1,000万人は上海以外の戸籍を持つ人達だ。
 上海人が少数派になる日もそう遠くはない。

4 留守家族
 2008年の調査では、田舎に残っている家族は、子供が2,000万人、妻が4,700万人、老人が2,000万人で、合計8,700万人に達する。
 子供は受験する場合、本籍地で受けなければならないので、田舎に残る。
 親は、子供の学資を稼ぐために、都会で出稼ぎに出ることになる。
 また、出稼ぎに行ったまま戻らず、育児放棄となるといった社会問題も発生している。

5 戸籍のない人たち
 過去の一人っ子政策の影響で、戸籍を与えられていない人が中国全体で1,200万人に達する。
 戸籍がなければ、学校に通えず、一部の乗り物にも乗れない。
 飛行機、高速鉄道、高速バスに乗るには、身分証の提示が必要だ。

 二人目の子供であっても罰金を払えば戸籍をもらえる。
 親が罰金を払えないと無戸籍になる。
 結婚していないシングルマザーの子供は一人目から罰金の対象となる。

 罰金の金額は地元の役人が対象家族の財産を調査して決める。
 日本円で百万円を超える場合もあるし、また、数万円で済む場合もある。
 役人にコネがあるとわずかな金額で済む。


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「闘う微生物 抗生物質と農薬の濫用から人体を守る」 [科学]

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  築地書館、2018年3月刊。 原著は2017年、アメリカで出版された。
  著者は、エミリー・モノッソンさん。

1 抗生物質の濫用
(1)クロ・ディフという菌は、有益な腸内細菌微生物が失われると、増加する。
  この菌の一部のものは、細胞構造の破壊を引き起こし、出血下痢や腸の痛みを引き起こし、腸の一部の外科的切除を必要とする場合もある。
  この菌の中には抗生物質が効かないものもあり、治療が難しい。
  毎年、アメリカでは50万人近くが感染し、3万人近くが診断から1か月以内に亡くなる。
 
(2)抗生物質は生命を救う。
  しかし、同時に私たち自身の体の中にある細菌を殺すことにより、体内環境を変えてきた。
  また、抗生物質の効かない細菌も増えている。
  アメリカでは、毎年、抗生物質の効かない細菌に200万人が感染し、数万人が亡くなっている。

(3)こうしたことから、抗生物質に代わる薬剤や治療法の開発が急がれる。
 ① 便の移植
   クロ・ディフに対する有効な治療法の一つは、便の移植である。
   2013年にアメリカ食品医薬品局は、研究目的のために医師が実験的薬剤として便移植を扱うことを認めた。

 ② ファージ治療
   バクテリオファージという細菌に感染するウィルスを使用する。
   ロシアや東欧では実用化されているが、欧米ではいまだ研究段階にとどまっている。

 ③ バクテリオシン
   微生物により生産される殺菌たんぱく質で、感染性の細菌を破壊する。
   バクテリオシンの一つであるナイシンは、乳酸桿菌により産出され、有害な菌を殺す。
   乳牛の乳腺炎への使用について研究が進められている。

2 農薬の濫用
(1)南米原産のジャガイモは、世界に広がる過程で、よりでんぷん量の多い、より毒素の少ないものに改良されてきた。
  しかし、それは同時に病原体に対する抵抗力を失わせた。
  ジャガイモの疫病の原因である、フィトフトラという病原体は、1850年頃にアイルランドでジャガイモの疫病を蔓延させて100万人以上の餓死者を出して以来、人々を苦しめている。
  アメリカでは、ジャガイモには最も多くの農薬が使われている。

(2)農地で育てられているその他の食物も、絶え間なく病害虫の攻撃にさらされる。
  少なくとも30パーセントの食糧が、害虫、疫病、そして雑草のせいで失われている。
  2007年、世界全体で225万トン、うちアメリカでは45万トンの農薬が使われた。

  *農薬使用量の多い国は、ブラジル、アメリカ、中国、日本の順。
   日本は、農地面積当たりではトップクラス。

(3)大規模な単作や輪作の減少も病害虫を引き寄せる。
  農家は、殺菌剤、殺虫剤、除草剤で病害虫や雑草を防ごうとする。
  それでも数千億ドルの作物被害がもたらされている。
  しかも、病害虫や雑草は、抗生物質の場合と同じように、薬剤抵抗性を進化させ、薬剤の効果が低下しつつある。

(4)土の中には、細菌、線虫、菌類、原生動物などがぎっしり詰まっている。
  1グラムの土の中には、10億の細菌、1億の古細菌、10億のウィルス、10万の菌類、数十万の単細胞生物などがいる。
  植物は、これらの微生物群の力を借りて、地中から栄養素を手に入れる。
  有害な微生物から植物を防御するものもある。
  殺菌剤、殺虫剤、除草剤は、これらの有用な微生物をも殺してしまう。

(5)このためこうした薬剤の使用を減らすことができる技術の開発が期待されている。
  遺伝子組み換え作物はその有力な候補の一つである。   
  遺伝子組み換え技術で、疫病に抵抗性のあるジャガイモを開発して、農薬の使用量を減らすことができる。

  しかし、安全性の面から遺伝子組み換えに反対する人は多い。
  一方では、以下のように遺伝子組み換え技術を支持する意見も少なくない。
  ① 食物の遺伝子はこれまでもバイオテクノロジーにより改変されてきたのであり、それによる悪影響は確認されていない。
  ② すべての生き物は遺伝子の生じた突然変異により進化してきた。
  ③ 遺伝子組み換え技術は、農薬の使用量を減らしつつ、収穫量を増やす唯一の方法だ。

  農薬と遺伝子組み換え技術、それぞれのプラスマイナスを冷静に判断すべきだ。


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「千年の文化 百年の文明」 [文化]

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  海竜社、2004年刊。
  著者は、音楽評論家の吉田秀和さん。

1 政治
 政治は、自然科学の進歩と同様に、一群の専門家に任すほかなくなった高級な技術に化してしまった。 
 ただ、政治は実験を最小限度にしか許さない。
 万一、失敗したらひどいことになるからだ。
 たとえ一時的に成功に見えようと、後で失敗と分かったとき、どう始末するかについて、我々は何の保証ももらっていないのだから。

2 外国からの影響
 日本の文明は、外部から来た異質の文明からの影響を、非常に深いところで受けながら発展してきたものとして、ずいぶん特徴的だ。
 日本は古い文明国でありながら、百数十年前に、西洋文明の渡来によって深刻な影響を受け、それが今の生活を作るうえに、大きな働きを持っている。
 
 五世紀ころにも、シナ文明の渡来という事件があった。
 政治も宗教も思想も、シナの文字によってはじめて表現として定着した。
 日本人は勇敢に、能うる限りの力をふるって、シナの文字そして知識を取り入れた。
 
 こうした外国の影響を受ける前の日本が、本当の日本であったかというと、いつだって日本は本当の日本であり、今の日本も本当の日本にほかならない。

3 ブルーノ・タウト
 1930年代に日本を訪れたドイツの建築家、ブルーノ・タウトは以下のように言っている。
 「日本にはかって素晴らしい建築、美術、庭園などの芸術があった。
  しかし、日本の現代は大変な混乱に陥っている。
  国土計画の欠如が日本の景観をだいなしにしつつある。
  美術、建築、工芸は滅びかけ、いかもの、いんちきの製造に狂奔している。」

 「日本の芸術が下り坂になったとすれば、北斎こそその堕落を助長した最も著しい人物であった。
  彼の才能が抜群であったからこそ、彼の影響はますます破壊的に働かざるを得なかった。」

 「日本人は、拙い油絵や嘔吐を催すような裸婦、ヨーロッパの絵画の拙劣な模倣やまずい構図をまったく日本的ならぬ色彩で描いた憐れな絵で満足している。」

4 「外国」の眼
 芸術の創造的な仕事は、その土地の人々には理解されにくい。
 人々は過去の偉大な成果を享受する一方、新しく創造されてきた芸術に対しては拒否反応を示しやすくなる。
 その点、外国人の方が新しいものを受け入れやすい。

 絵画では、マチスやピカソの作品をフランス人ではなく、ロシア人やアメリカ人が理解し、買い集めた。
 音楽では、ウィーンの人たちは、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、マーラーなどの作品に対して、当初、高い評価を与えなかった。
 モーツアルトは、「ドン・ジョバンニ」をウィーンではなく、プラハの歌劇場からの注文があったから制作することができた。
 日本の浮世絵や建築も、同じようなことが言える。  

5 人生
 人生は大体において繰り返しからできている。
 長く生きていると、そうそう新しいことは起こりにくい。 
 しかし、そうなるにつれて、人生というのはなにか味が出てくるように思う。
 停年になって何もやることがなくなったその時からその人の本当の人生は始まる。
 

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「トマト缶の黒い真実」 [食事]

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  太田出版、2018年3月刊。
  著者は、フランスのジャーナリスト、ジャン-バティスト・マレさん。

1 中国のトマト加工メーカー
 中国は加工トマトの生産でアメリカに次いで世界第二位の生産国、輸出量では世界一だ。
 (生産量・・世界全体で3,800万トン、うちアメリカ1,150万トン、中国510万トン、イタリア510万トン、スペイン190万トン)

 主要なトマト加工メーカーは、中糧屯河糖業とカルキス。

 カルキスは、新疆の開発と防衛に携わる政府組織、新疆生産建設兵団という軍事組織によって経営されている。
 新疆ウィグル自治区は、1949年に中華人民共和国に併合されてできた自治区で、併合当時の漢族の人口は20万人であったが、現在は1,100万人にまで増えている。
 (現在の総人口は1,900万人)

 中糧屯河糖業は新疆ウィグル自治区にある、中国最大の、そして世界第二位のトマト加工会社。
 中国政府が保有する国営企業だ。
 15のトマト加工工場を、うち四つはモンゴルに、残り十一は新疆ウィグル自治区に持っている。
 同社は、日本のカゴメを含め、世界中の大手食品メーカーに濃縮トマトを供給している。

2 原料トマトと加工方法
 原料に使う加工用トマトは、細長い形をしており、水分量が少なく、重くて実が詰まっている。
 皮は分厚く、生でかじると固い。

 トマトは洗浄した後、皮と種を取り除き、摂氏100度以下で加熱し、粉砕して、水分を蒸発させ、濃縮させる。
 出来上がった濃縮トマトは、ドラム缶に設けられた無菌パックに充填される。

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3 中国加工トマト産業の成長
 成長の理由は以下の通り。
 ① イタリア民間企業の技術供与と生産物の購入
  (工場設備、生産技術、ノウハウを提供し、生産された濃縮トマトを購入した)
 ② トマトの生産、収穫過程での低廉な労働力の利用
  (未成年者や強制収容所に収監された人々をも利用している)
 ③ 新疆ウイグル自治区の気候がトマトの生産に向いている。
 
4 中国の濃縮トマトの品質
(1)天津のトマト加工メーカー(天津金土地食品有限公司)の工場を見学した。
  ドラム缶入り濃縮トマトからトマトぺースト缶を作り、アフリカ、中近東、ヨーロッパに販売している。
  缶のパッケージには「原材料ートマト、塩」となっていたが、工場を見学すると、以下のものが加えられていた。
  ① 大豆食物繊維、でんぷん、デキストロースなどの粉末
  ② 着色料

(2)アフリカ向けのトマトペーストには安価な添加物を混入させている。
 あるメーカーのアフリカ向けの缶詰の原材料は、トマトが45パーセントで、添加物が55パーセントであった。
 缶の原材料表示は「トマト、塩」となっているが、この水準が一般的とのこと。
 中国当局もこの不正を知ってはいるが、自国の缶詰メーカーの競争力を守るため、目をつぶっている。
 アフリカのある国の食品調査で、トマトペースト缶から有毒物質が検出されたこともある。
 また、アフリカのある加工工場では、真っ黒に酸化して腐った濃縮トマトを原材料として使用していた。

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「東日本と西日本」 [文化]

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  洋泉社 Modern Classics 新書、2006年刊。原著は1981年出版。
  著者は、大野晋さん、宮本常一さんなど。

  東日本と西日本との風俗、習慣、言語の相違は、距離的な隔たりによる自然の減少と思われやすい。
  しかし、これは単なる距離的な隔たりによる現象ではない。
  遠く深い原因によるさまざまな現象の重なり合いの結果が、今見るような東日本・西日本の文化となっているのである。

1 ことば
 東日本と西日本の言葉では、例えば以下のような違いがある。
  <東日本>     <西日本>
  見ろ        見よ 見い
  勉強しない     勉強せん
  勉強しなければ   勉強せねば
  雨だ        雨ぢゃ  雨や
  広く        広う
  買った       買うた

 東西の境界線は以下の図の通り。

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 アクセントは、東京式アクセントと京都式アクセントとの二つになるが、その境界線は、新潟県、岐阜県、愛知県の西境に重なっている。

 これら東西の言葉の違いは古くから認められる。
 室町時代末期にキリスト教を広めようとした外人宣教師が作った「日本語大文典」にも、各地の言葉の違いが書かれている。
 また、奈良時代の万葉集の東歌、防人歌にも言葉の違いが表れている。
 
 * 九州の北岸の防備に駆り出された防人は、信濃,遠江から東の国々の人々であった。
   これは、東国の人民がそれ以前の時代に西国の支配者により征服されたことによる。

 平安時代の『拾遺集』では、アヅマに育った子は、「舌が曲がって発音する」と言っている。
 また、『徒然草』では、アズマの人々は「荒っぽいけれども純情だ」などといっている。
 
2 身体
(1)身体の地域差
 現代日本人は、形質人類学的にみると著しい地域差を示している。
 その地域差は種族差よりも大きいことがある。
 単一な基本集団から、このような地方型が形成されるであろうか。
 一つの種族内で日本人のように著しい地域差を示す集団は少ない。
 このような著しい地域差の要因は、異種族の混交によるものとみられる。

(2)頭部の形状
 頭部の形状の地域差を以下の指標により検討する。
  ・頭長    前後の長さ
  ・頭幅    横の長さ
  ・頭長幅指数 頭幅/頭長x100

 日本人に近い人種のうち、頭長の最も大きいのはアイヌ、最も小さいのは朝鮮人。
 以下のグラフは、日本各地の平均値をプロットしたもの。

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 中頭(頭長幅指数が76.0~80.9)と短頭(同81.0以上)の2群に分かれ、以下のように広範囲に分布している。
  中頭・・東北、北関東を中心に、北陸、山陰、九州北部に及ぶ。
      佐渡、隠岐、壱岐、五島などの離島も含む。
  短頭・・畿内の近江、山城、伊賀、大和、河内、和泉、摂津、丹波など。
      東海道、中仙道、南関東、山陽道、対馬に及ぶ。

 一つの種族でありながらこのように著しい地域差を示す種族はほかには少ない。
  
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「玉川上水」 [日本史]

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  羽村町教育員会、1987年刊。
  羽村町郷土博物館編。

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1 玉川上水の建設
(1)徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年以降、江戸の人口が次第に増加し、飲み水が足りなくなってきた。
 このため、1653年、玉川上水を建設する大工事が始まった。

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(2)これは、多摩川の水を、羽村から四谷大木戸まで堀を作って流し、大木戸からは地下に石や木で作った水道管を埋めて江戸の町中へ水を通すというものであった。
 羽村から四谷大木戸までは43キロメートル、この間の高低差は100メートルであった。
 (100メートルごとに23センチ)

 *ローマ時代に造られた、フランスのポン・デュ・ガールの水道橋で有名な水路は、水源から目的の街まで50キロメートルで高低差は17メートルであった。
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(3)幕府は、庄右衛門、清右衛門という兄弟に工事を命じ、6000両のお金を与えた。
 工事は、わずか7か月で完成した。
 これは、工事を始める前の測量や、道具などの準備がしっかりしていて、また、働く人を大勢集めることができたことによるとみられる。
 しかし、工事の途中でお金が足りなくなり、兄弟は自分たちの家屋敷を売ったりして3000両を工面して工事費用に充てた。

2 兄弟のその後
(1)幕府は、兄弟に褒美の金をあたえ、玉川という名字を持った武士にした。
 また、以下のような上水を管理する仕事につかせた。
 ① 町の中に新しい水道管を敷設
 ② 古くなった水道管の修理や取替
 ③ 上水の取り入れ口の羽村の堰(せき)や水門の維持、補修

(2)兄弟は、これらの仕事の費用を賄うため、上水を利用する武士や町人から水道料金を集めた。
 しかし、その後、兄弟は管理の役目を十分に果たしていないということで、幕府は兄弟の上水管理の仕事を取り上げ、戸〆(とじめ)という、家の門や戸を釘付けにしてしまう刑罰を与えた。

3 玉川上水の仕組み
(1)上水の取り入れ口
 多摩川が蛇行しているところで、堰を設けて、水をせき止めたり、流れの方向を変えて、水門へと水を取り込む。
 堰には、木の枠や蛇籠(じゃかご)という木や竹の籠に石を詰めたものを使った。
 また、水門では、水量の調節が行われた。
 大雨で水かさが増した時に、土や砂や石が上水の方に流れ込まないようにする仕組みも設けられていた。

(2)四谷大木戸
 玉川上水を流れてきた水を地下の水道管へ流す前に、芥留(あくたどめ)というところで流れてきたごみをさらった。
 また、水門があり、汚れた水や余分な水は水道管へ流さず、川に捨てることができた。
 玉川上水から流れてくる水が多すぎたり、少なすぎたりしたときは、使者を羽村に出し、水量の調節を依頼した。

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4 玉川上水の利用
(1)分水
 玉川上水には33か所の分水口が設けられ、水を小さな用水路に引いて、武蔵野地方の農民が利用できるようにした。
 武蔵野地方はもともと湧水が出るところ以外は水に恵まれず、玉川上水の水の利用により、多くの地域で農耕が可能になり、人口も増えていった。

(2)通船
 地域住民の希望により、明治時代になってから、船で行き来することが可能になった。
 認められた船の幅は1メートル50センチ以内と小さなものであったが、それでも多摩地方で産物を東京に運ぶには都合がよかった。

 しかし、船の航行は以下の理由で始まって2年で禁止されることになった。
 ① 馬などを利用したそれまでの運搬手段に携わっていた人たちの反発が強かった。
 ② 水が汚れ、飲み水に適さなくなってきた。


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樋口一葉の作品 [日本文学]

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  梧桐書院、あおぎり文庫、2010年刊。
  樋口一葉(1872~1896)は明治時代のの女流作家。
  25歳で肺結核により亡くなった。

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『にごりえ』
 主人公のお力(りき)は、現在の東京都文京区にあった私娼街の菊の井という店で暮らす酌婦(遊女)。
 中肉のすらりとして、色白。
 器量よしで、店の一枚看板の人気者。
 年は一番若いけれども、客をひきつける技を心得ている。
 それほどお愛想や嬉しがらせを言うわけではなく、わがまま至極のふるまいであるが、つきあって存外やさしいところがある。

 お力には源七というなじみの客がいたが、お力に入れ込みすぎて身上をつぶし、いまは女房と子供とともに狭い長屋の一室で暮らす。
 それでも、たまにお力の顔見たさに店に現れるが、お力は会おうとはしない。
 その子供はお力の方を見て「鬼」と言う。
 女房は三十前だが、内職に疲れ、貧しさにやつれている。
 
 遊女らのことを「白鬼」と呼ぶ者がいる。
 客を逆さに落として、血の池にはめ、借金の針の山に追い上らせるのもお手の物。
 店の前で通りのいく男たちに「寄っておいでよ」と甘える声も、蛇を食うキジのようで恐ろしくなる。

 しかし、お力にしても、悪魔の生まれ変わりであるはずはない。
 事情があって、流れに落ち込むようにここにきて、うそのありったけを言ってその日を暮らしているが、悲しいことや恐ろしいことが胸につもり、人目を忍んで泣くこともある。

 源七の女房は、いつまでもお力のことが忘れられない源七を責める。
 そこに子供がカステラの箱を持って帰ってきた。
 通りでお力に会い、買ってくれたのだという。
 女房は、くらいついても飽き足らない悪魔にもらったお菓子を食べるわけにはいかない、と言ってカステラを捨ててしまう。
 それがもとで源七と女房は口論となり、源七は女房を離縁するから出ていけ、と言う。
 女房は、「私が悪うございました。堪忍してくだされ。私は、親もなし、兄弟もなし。離縁されては後の行き先がありません。どうぞ堪忍して、ここにおいてくだされ」と頼んだが、源七は聞きいれなかった。
 女房は、子供とともに出て行き、とうとう源七一人となった。

 それからしばらくして、お力と源七の遺体がお寺の山で発見された。
 お力は、逃げるところを後ろから切りつけられた。
 源七は見事な切腹だった。

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『大つごもり』
 お峰が奉公することになった家の奥様は口うるさく、下女が頻繁に変わった。
 一晩で逃げ出した者もいたほどだ。
 お峰は辛抱した。
 「感心だ」というものがあり、また、「器量が申し分ない」というものもいた。

 お峰の父母はもはやこの世になく、ただ一人の伯父が病で床に伏せていると聞き、許しを得て、見舞いに行った。
 お峰は7歳から18歳までの間、この伯父夫婦に育ててもらった。
 伯父は6畳一間に、女房、子供と共に暮らしていたが、見るからに貧しそうであった。
 伯父は働くことができず、女房、子供の稼ぎもたかが知れていた。
 
 伯父は、お峰にお金の用立ててもらえないか、と聞いた。
 伯父は、病に倒れた時に高利貸しから10円を借り、もうすぐ期限がくる。
 期限を延ばしてもらうお願いをするにも、利息の1円50銭を用意しなければならない。
 奉公している家のご主人に、前借をしてもらえないかと、伯父はお峰に頼んだ。

 お峰はしばらく思案して、その願いを聞き入れ、大晦日」に子供を寄こすように言って、帰った。

 しかし、お峰は奥様に前借を頼んだが、大晦日が来ても、いい返事はもらえなかった。
 その日、伯父の子供が約束通り、お金をもらいにお峰のところに来た。
 お峰は切羽詰まって、家の硯箱の引き出しに入れてあったお金を盗んだ。
 「拝みまする、神様、仏様。私は悪人になりまする。成りたくはないけど、成らねばなりませぬ。」
 2円を子供に渡して帰したことの始終を、誰も見ていないと思ったのは愚かであった。
 
 その日、大勘定といって、家にある金をまとめて封印するしきたりであった。
 奥様はお峰に「硯箱をここにもってきなさい」と言った。
 硯箱には、貸し付けの返済金20円が入っているはずだった。

 お峰は、硯箱に18円しかなく、2円足りないと分かれば、奥様に2円の前借を頼み込んでいた自分が疑われるのは間違いないと覚悟した。
 お峰は、問われれば「自分が盗みました」と白状し、その場で舌をかみ切って死のうと思い定めた。
 
 奥様が、硯箱を開けてみると、お金は全く入っていなかった。
 そこには「拝借いたし候 石之助」と、その家の若旦那の書いた紙が入っていた。
 お峰に対する詮議はなかった。

大つごもり.png

 
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日銀の異次元緩和 [現代社会]

日本銀行.jpg 
 
 *以下を、一部、参考にした。
  「異次元緩和の終焉」
    日本経済新聞出版社、2017年10月刊。
    著者は、経済学者の野口悠紀雄さん。

1 異次元金融緩和政策
(1)日銀は、デフレからの脱却という旗印のもと、国債と日本株を買いまくっている。
 2018年3月末で、日銀の国債保有残高は416兆円。 
 国債残高1,049兆円の40%を占めている。

(2)日本株もETFという形で、24兆円を購入しており、日本株全体の4%弱に達している。
 多くの上場企業で、実質的に上位の株主となっている(ETFのため、表面には出ないが)。

(3)一方、物価の方は目標の2%上昇は、異次元金融緩和政策導入から5年を経過しているが、達成できていないため、異常な金融政策をずるずると続けることになっている。
 2018年3月の、日本全体の消費者物価上昇率は前年同月比1.1%にとどまっている。

2 物価と金利の上昇
(1)日銀が異常な金融政策を続けていても、日本経済は何とか平穏に保たれている。
 銀行や保険会社はゼロ金利あるいはマイナス金利に苦しめられてはいるが。
 また、一般の預金者も預金しても利息を得ることができず、高金利という甘い話に引っ掛かり大損をする人が出たりしている。

(2)しかし、このような状態で何らかの要因により、インフレに火がつくと止められなくなる。
 多くの企業が多額の手元資金を抱えており、また、中国の投資家は虎視眈々と投資機会を狙っている。

(3)インフレが亢進した場合、通常、金利が上昇する。
 これは、インフレを抑制するために、投資家の投資コストを上昇させ、投資を手控えるようにするため。
 また、金利が上昇傾向になると国債の価格が下落するため、国債の買い手が少なくなり、国債発行を円滑に進めるために、金利をさらに引き上げる必要が出てくる。

3 金利上昇の影響
(1)金利が上昇すると、以下の影響が出てくる。
  ① 為替レートが円高方向に進む。
  ② 円高や日銀によるETF購入の減少・停止などで、株価が暴落する。
  ③ 日銀や民間金融機関で保有国債に関して、多額の評価損が発生し、信用不安が発生する。
  ④ 国の利払いが増加し、財政が破綻する。

(2)このような状況で、国が、利払いや償還に見合うだけの新規国債を発行することは困難を極め、結局は日銀引き受けに頼らざるを得なくなる。
 国並びに日銀は、インフレをコントロールすることはできず、ハイパーインフレが消費者を襲うことになる。
 預金の価値は大きく減少し、一方、国や借金の多い企業は、債務の負担を大きく減らすことができるようになる。
 ハイパーインフレを抑えるため、厳しい財政支出削減策を実施することになる。

4 実施すべき政策
 日本経済の破綻を回避するため、以下の政策を実施すべき。
 しかし、インフレを生じさせるなんらかの要因が早期に発生した場合は間に合わなくなる可能性がある。

 ① 現在の異次元金融緩和策の即時停止
    停止に伴う、日本経済に対するマイナスの影響は少なくないが。
   (麻薬を使い続けるべきか、禁断症状があっても止めるべきか、という選択に似ている)

 ② 財政収支の改善
    支出が税収の倍にもなるような状況を早期に改善すべき。
    消費税を引き上げして無駄な支出をさらに増加させるよりも、宗教法人の優遇廃止や、無駄な医療の見直しなど、数兆円規模で財政収支を改善できる方策に目を向けるべきだ。

 ③ 外国人労働力の活用
    人口減少による経済の縮小は、問題の解決をますます難しくする。
    アジアの優秀な労働力を積極的に招き入れ、競争と活力のある経済を目指すべきだ。


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