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「茶の湯とキムチ」

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  著者は丁宗鐡さん。医学博士で日本薬科大学教授。
  韓国にルーツを持ち、日本で育った著者は、日本人と韓国人がもっとお互いの魅力に気づいてほしいと考える。
  日本が韓国を併合した歴史に恨みを抱き続ける韓国人と、恨まれ続けることに嫌気がさしている日本人とがいがみ合っている、と嘆く。

1 キムチの味
(1)1910年の日韓併合以降、日本の統治下において、韓国人はそれまで以上に自国ならではの文化に誇りを持とうとした。それまでキムチのなかにわずかなアクセントとして入れていたトウガラシの量をどんどん増やし、日本の食文化との差別化を図った。

(2)トウガラシは16世紀、朝鮮出兵時に日本からもたらされたといわれている。それまでのキムチは、日本の漬物に似た、野菜の塩漬けであった。トウガラシはポルトガルから日本へもたらされたが、日本では食料としては使われず、朝鮮出兵の時も、相手に投げて目つぶしをする武器として、あるいは履物の中に入れて凍傷を防ぐ予防薬として携行した。

(3)キムチによく使われる白菜も、1950年代に、ある韓国系日本人の農業研究者が日本の白菜を品種改良して韓国に持ち込んだもの。それまではキムチに白菜は使われていなかった。

2 茶の湯
(1)千利休が完成させた茶道で朝鮮の影響を受けたとみられるものは・・
  ① 寒さの厳しい朝鮮では、民家の入り口を小さなものにしていたが、これが日本の茶室の入り口の狭さに影響を与えた。

  ② 侘び茶では、朝鮮で製造された茶碗の簡素さを高く評価した。

(2)千利休の時代、堺には高麗から亡命した僧侶や貴族の子孫が大勢暮らしていた。千利休はこうした人たちと交流し、その影響を受けたものとみられる。

3 日韓交流の根源
(1)日本の神道と朝鮮のシャーマニズムは、中国の江南地域からアジア全域に渡った「倭族」の習俗が起源である。倭族は稲作を伝えた人々でもある。

(2)日本の神道と朝鮮のシャーマニズムは以下のような類似点を持つ。
  ① 韓国の「ソッテ」と呼ばれる鳥居は、一本の柱の上に鳥の像を載せている。日本の鳥居は、鳥の像を載せてはいないが、「鳥居」という名称自体にその影響をとどめている。

  ② 自然崇拝の思想であり、太陽神に向かって豊作祈願するほか、種々の現生的願いを祈りに託す。

  ③ 万物に神が宿るという、汎神論的考え。

  ④ 天から下界に降りてきて国を作るという「天孫降臨」の建国神話。

4 日韓間の「反感」を解決するヒント
(1)韓国人の性格
   ア 争い事を避けない。しょっちゅう派手な口論をする。しかし、どんな言葉をぶつけあっても、相手との関係をこわすほど深刻なものにしない。むしろ口論によって完全燃焼し、口論によってはじめて親密な関係になる。

   イ 外交的で自己主張が強く、日本人ほど「和」を重んじない。エネルギッシュでよく働きよく遊ぶが、自分の限界に気づきにくい。

(2)ドイツとフランスの例
     国境を接するドイツとフランスは、千年にわたる戦いの歴史を持つ犬猿の仲だった。しかし、現代に入り、両国が中心となってEUをまとめ上げた。修復不能と思われる国と国との関係も、考え方次第で好転する事例といえる。

     チェコとスロバキアも、いったんは一つの国として独立したものの、関係が悪化し1993年に分離して二つの国になった。しかし、その後は関係が改善しつつあるといわれている。

(3)民族という幻想
     ある国際政治学者が、民族とは、同じ祖先をもつという誤信と、周囲の民族への憎しみによって一つにまとまった人間の集団であり、それは共同幻想である、といっている。

     そのような幻想が生まれる原因は、ときの為政者が意図的に、民族主義という誤信を植え付けるため。他の国に対する軽蔑という共通の意識があれば、自国民の結束力が高まる。例えば、戦前の日本政府は、「我が国は優れている」、「だから他の弱小国を征服できる」と繰り返し強調していた。

(4)李氏朝鮮の選択
   ア 日本に併合されるまで500年以上、朝鮮を支配した李氏は女真族の出身。仏教を弾圧し、儒教を強制するなど、厳しい思想統制を強いた。

   イ その李氏朝鮮が、国力が衰退する中で西欧列強の圧力が強まり、清やロシアを避け、日本に併合される道を選んだ。

   

チェーホフ「桜の園」

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<舞台>
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  ロシアの劇作家、チェーホフ(1860~1904)が、1903年に発表した戯曲。
  時代が大きく変わろうとする中で、何もすることができず、ただ流れに身を任せ、没落してゆく女主人を描く。

  所有する農奴から得るお金で優雅に暮らしていた者たちも、真に人間らしい生活をするためには、自分自身が働かなければならない時代になったのだと、主張する。

  しかし、それを理解できる者と理解できない者とがいる。

1 広大な桜の園を有する邸宅の持ち主である女主人は、夫を亡くし、その一月後には男の子が近くの川で溺死するという不幸が続き、いたたまれずパリへ行っていたが、6年ぶりに帰ってきた。

2 それまでの散財の結果、彼女はもう借入金利息を払うお金もなく、桜の園も含め邸宅は競売にかけられようとしている。

 「あたしはいつでもお金をきちがいのようにパッパッと使い捨てました。そして、借金ばかりする人のところへお嫁に行きました、あたしの夫はシャンパンのために死にました。そして、坊やが溺れました。そして私は外国へ発って行きました。不幸せにもあたしは別の人を愛して、一緒になりました。しかし、あのひとは私から巻き上げるだけ巻き上げて私を捨て、他の人と一緒になり私を捨てました。」

3 屋敷に出入りする若者や商人が女主人に意見をする。
 「うぬぼれはやめなければいけません。ただ働くことだけが必要なんです。」
 「ちゃんとした人間がどんなに少ないかわかるためには、何かやり始めるのに限ります。」
 「現在を生き始めるためには、過去の罪を償い、それとけりをつけなければならない。だが、それは苦しみによって、また、並々ならぬ絶え間のない勤労によってのみ、罪を償うことできるのです。」

4 しかし、女主人の浪費癖は治らない。
 ア 従僕に食べさせるものにも事欠くのにもかかわらず、通りがかった旅の浮浪者に金貨を恵んでしまう。

 イ 邸宅が競売にかかる日に、楽隊を入れ、舞踏会を開く。

5 邸宅の競売は、結局、出入りの商人が落とした。その商人が言う・・

 「読み書きもろくにできず、冬もはだしで駆けずり回っていたこの私が、この世にまたとないほど美しい領地を買ったんだ。私の祖父や親父はそこの奴隷だった。台所へさえも通してもらえなかった、その領地を私は買った。」

 「みんな見に来たまえ。私が桜の園に斧を入れるのを。樹が地面に倒れるのを。我々はうんと別荘を建てるんだ。そして、我々の孫やひ孫はそこに新しい生活を見るんだ。」

6 邸宅で暮らしていた人々が、そこを去る日が来る。娘たちは働く覚悟を決めるが、女主人は相変わらず、人を頼りに生きることしかできない。

    女主人    ・・ パリへ行く。親戚が送ってくれたお金で暮らすが、直にお金は尽きる。
    その娘 17歳 ・・「私は、中学卒業の資格試験に通り、それから働いて、ママを助けるわ。」
    その養女 24歳・・ よその家の家政婦になる。
    女主人の兄     銀行に勤める。


グーグル・ホームなどの音声アシスタントデバイス

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<グーグル・ホーム>


  * アメリカの新聞「USA TODAY」から

  家庭用の音声アシスタントデバイスがアメリカで人気を集めている。
  今年中にアメリカでは、最低月に1回は音声アシスタントデバイス使う人が3,560万人に上るであろうといわれている。

  いくつかの会社が製品を出しているが、先頭を行くのはアマゾン・エコーで、約70%のシェアを占めている。アマゾンは先週、最新モデルとして7インチのタッチスクリーンビデオカメラを加えた「エコー・ショウ」の発売も始めた。
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  グーグルは昨年10月、グーグル・ホームの発売を始めた。グーグル・ホームのシェアは24%となっている。

  これらはいずれも外部からの音声を認識して、回答などを音声で返すためのAI(人工知能)を搭載している。
  アマゾン・エコーはALEXAというAIを、グーグル・ホームはASSISTANTというAIを搭載している。
  また、マイクロソフトは先週、CORTANAというAIを搭載した音声アシスタントデバイス、INVOKEを発表した。アップルも来月、音声アシスタントデバイスを発表すると予想するものもいる。

  AIを搭載した音声アシスタントデバイスは、ハンズフリーの電話や音楽を聴くことはもちろん、子供の宿題のお手伝い、買い物リストの作成、更新、室内ライトの点灯や温度管理などもできる。
   
  会話形式の流れるような情報提供も可能だ。
  以下は、GOOGLE  ASSISTANTのサイトで表示されてる会話例だ。

・・・・・・・・・・
ユーザー:今夜上映している映画は何?
GA:こんな映画がやってますよ(上映中の映画リストを表示)

ユーザー:今回は子どもたちを連れて行きたいんだけど
GA:Ok、家族向けならこんな選択肢があります(上映中の子供向けの映画リストを表示)

GA:どの映画のチケット4枚にします?(ユーザーの家族構成を把握し、行動を促す)
ユーザー:そうだね、Jungle Bookにしよう
GA:完了。The Jungle Boolのチケットを4枚取りました。コードを入り口で見せてください。楽しんで!(最寄りの映画館で使えるQRコードを表示)
・・・・・・・・・・・・


  なかには、音声アシスタントデバイスを買わなくても、GOOGLE ASSISTANTを搭載しているグーグルの電話、PIXELがあれば十分という人もいる。

  しかし、昨年末末までに約1千万台の音声アシスタントデバイスが購入された。今年はさらに1千5百万台から2千万台が売れるだろうと見込まれている。

  もっとも、購入者がそれらを十分に使いこなしているわけではなく。ある調査によると3分の1は毎日何回も使用しているが、3分の1は週に何回か、残りの3分の1は週に一度しか使用していない、という結果が出ている。

  なお、自閉症の子供が音声アシスタントデバイスと会話をすることにより、表情が明るくなったという声もあった。

29歳で夭折した歌人 山川登美子

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 津村節子著「白百合の崖」(1982年発表)に拠る。

 山川登美子(1879~1909)は明治期を代表する女流歌人の一人。
  
1 登美子の実家の山川家は小浜藩の上級武士の家柄の旧家であった。父親の命令は絶対で、登美子が22歳の時に駐七郎という男性との結婚を命ぜられ、従うしかなかった。駐七郎は東京高商を卒業後、外務省に勤務するというエリートであったが、オーストラリアにいた時に結核を発症し、日本に帰った。病は癒えたということであった。

2 登美子の父親は仕事の傍ら和歌に親しみ、自宅で歌会を催したりしていた。登美子もその影響を受け、和歌を作って雑誌に投稿した。そして、登美子が22歳の時に、講演のために大阪に来た与謝野鉄幹に初めて会い、尊敬の度を増すとともに、恋心を持つようになった。しかし、駐七郎との結婚は避けられない運命であったことから、思い残すことのないよう、鉄幹に対し同じ恋心を抱いていた鳳晶子とともに三人で京都の旅館で一泊し、語り明かした。

3 与謝野鉄幹は当時28歳で、雑誌「明星」を主宰し、和歌の革新を主張していた。しかし、反面、女性関係では放蕩な面もあった。鉄幹は25歳の時に資産家の娘と最初の結婚をしたが、翌年には離別している。その後、直ぐに、教師をしていた時の教え子で、名家の娘と二度目の結婚をした。鉄幹は27歳の時に雑誌「明星」を刊行するようになるが、雑誌の発行費用や生活費は、すべて妻の実家からの仕送りにより支えられていた。

4 雑誌「明星」は販売部数を延ばしたが、鉄幹に対する社会の反発も強まり、以下のような非難が加えられた。
 ① 妻の実家から資金を仰いで、「明星」を創刊した。
 ② 鉄幹に憧れる青年男女が「明星」に参加し、その中で鉄幹が鳳晶子や山川登美子に接近している。
 ③ 金が目当てで次々と女性を誘惑して同棲し、これ以上金を引き出せぬとなったら、無常にも捨ててしまった。

5 登美子は駐七郎の家に嫁ぎ、東京で暮らし始めた。家風は厳格で、「明星」への投稿は難しかった。駐七郎は銀座の貿易商に勤めていた。そのころ鳳晶子は大阪の実家を飛び出し、東京の鉄幹の下で活動を始めた。晶子は初めての歌集「みだれ髪」を発行し好評を博した。それは、従来の道徳観を覆し、若い女の身で肉体の美しさを大胆に歌い、恋の喚起を高らかに謳歌して、人々に衝撃を与えた。翌年、鉄幹と明子は結婚した。

6 一方、登美子は駐七郎が結核を再発したことを知る。登美子は結婚する前、駐七郎が何かの病気にかかったことは聞いていたが、それが不治の病である結核とは知らなかった。駐七郎は登美子と二人で、療養のために伊豆の田舎に向かった。登美子の父親は、駐七郎の病気のことを告げずに結婚させたことに責任を感じたのか、登美子と駐七郎を小浜の自宅で預かることにした。しかし、看病もむなしく駐七郎は亡くなった。登美子は24歳、短い結婚生活であった。

7 登美子は小浜の実家に復籍し、教師として生きてゆこうと決心し、上京して日本女子大学に入学した。そして、鉄幹や晶子と再会した。和歌制作の活動を再開し、登美子、晶子ならびに増田雅子という3人の女流歌人の歌集「恋衣」が出版されることになった。しかし、日露戦争のさなか、歌集の反時代的な性格から、登美子と雅子は通っていた日本女子大学から停学処分を受けることになった。

8 登美子は父親から鉄幹や晶子に近づくことを禁じられた。しかし、登美子は、再び燃え上がった鉄幹への思いを断ち切ることできなかった。そうしたなか、登美子は病に倒れ入院した。当初は、急性腎臓病ということであったが、その後、京都の病院で肋膜炎と診断された。駐七郎の結核が登美子に感染していた。登美子は日本女子大学を退学し、小浜の実家に戻った。

9 登美子は実家の離れで寝たきりになった。回復の見込みはなく、食事を運んでくるほかは一人きりで放置された。登美子は蒼白くやせ衰え、ついに息を引き取った。29歳の若すぎる死であった。

<鉄幹と晶子>
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<小浜にある山川登美子記念館>
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徒然草における死への向き合い方

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<兼好法師>
兼好法師.png
  「死」は人間にとり永遠の悩みの素ですが、
  「徒然草」で兼好法師はどのように言っているのでしょうか・
   ポイントは・・・
   ① 長生きはするな。
   ② 命には限りがあること知り、優先して速やかにすべき事に取り組め。
   ③ 生きていることを楽しめ。
   ④ 毎日の一瞬を惜しめ。
   ⑤ 財産をあとに残すな。
   ⑥ 死は突然やってくる。


<徒然草 第七段>
 どうせ永遠には生きられない世の中に、長生きした末に醜い姿を得て、それが何になるだろう。
長生きすると恥も多くなる。長くても四十未満で死ぬのが見苦しくないところだ。
そのあたりの年を過ぎると、醜い容貌を恥じる気持ちも無くなり、人に交わることを欲して、老いさらばえて子孫を愛して、子孫が立身出世する末を見届けるまでは生きよう、などと期待し、ひたすら世をむさぼる心ばかり深く、もののあはれもわからなくなっていく。あさましいことだ。

<徒然草 第四十九段>
老いが迫ってきてから初めて、仏道の修行をしようというのではいけない。古い墓も、多くは少年の墓である。予想もせずに病気にかかり、間もなくこの世を去ろうとする時にこそ、過去の誤っていた行いが思い出されてくる。誤りというのは他でもない。優先して速やかにすべき事を後回しにして、後でもできる事を急いでやったということであり、こういった過去の過ちを悔しく感じるのである。しかし、死が差し迫った時に後悔しても、どうしようもない。 人間はただ諸行無常の真理の下に、死が迫ってくることをしっかり意識して、わずかの間といえども、それを忘れてはならないのである。そうすれば、俗世の煩悩も弱まっていき、仏道に精進しようという心も切実なものになっていくのだ。

<徒然草 第九十三段>
人は死を憎むのであれば、生を愛するべきだ。どうして、生命の喜びを毎日楽しもうとしないのか。愚かな人は、生きる喜びを忘れて、わざわざ苦労して外に楽しみを求め、生きている喜びを忘れて、危険を犯してまで他に楽しみを求める。理想の望みが果てる事はない。生きる事を楽しまないで、死が間近になってから死を怖れる。生きている事を楽しめないのは死を怖れないからだ。いや、死を怖れないのではない、いつも死が接近している事を忘れているだけだ。もし、自分の生死なんかどうでもいいと言うのであれば、真の悟りを得たというべきなのだろう。

<徒然草 第百八段>
空しく時間を過ごすことを惜しまなければならない。もし、人がやって来て、自分の命が明日には失われると宣告されたら、今日一日が終わるまで、何をあてにして、何をしようとするだろうか。我らが生きる『今日の日』とは何か、今日死んでしまうと宣告されたその貴重な時節に他ならないのだ。 一日のうちに、飲食・排便・睡眠・会話・移動など、やむを得ないやらなければいけない事柄で無駄にする時間は多いのだ。何とか無駄を逃れたとしても、余った時間に無駄な事をしたり、無駄な事を言ったり、無駄な事を考えるのであれば愚かだ。一日はたちまち終わってしまい、月は変わって、一生を終えることになるだろう。 一瞬を惜しんで努力する心のない者は、死んでいるも同然である。

<徒然草 第百四十段>
死んだ後に財産が残る事は、知恵のある者のしないことである。よからぬ物を蓄え置いたのも見苦しく、いい物は、それに執着したのだと思うと情けなくなる。財産をやたら残すのは、まして残念だ。「私こそが手に入れよう」など言う者どもがあって、死んだ後に争っているのは、無様だ。死んだ後誰に譲ろうと心に思う相手がいるなら、生きているうちに譲るべきだ。朝夕必要な物はあってもよいが、その他は何も持たないでいたいものだ。

<徒然草 第百五十五段>
死は必ず前方からやってくるものとは限らず、 いつの間にか、人の背後に迫っている。人は誰しも皆、死があることを知っているものの、しかも死が急にやってくると思って待っていないうちに、死は不意にやってくる。それはちょうど、沖まで の干潟が遥か彼方まで続いているので安心していても、足もとの磯から急に潮が満ちて来るようなものである。 





ヨーロッパの名画から

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  以下の書籍を参考にした。
    高階秀爾著「名画を見る眼」 岩波新書 1969年刊

1 プーサン「サビニの女たちの掠奪」1637年制作 
         ニューヨーク メトロポリタン美術館所蔵
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(1)ニコラ・プーサン(1594~1665)はフランス生まれの画家であるが、その生涯のほとんどをイタリアで過ごした。

(2)この絵は、ローマ建国の頃のエピソードを基に描いたもの。

(3)ローマが建国された頃は、市民の多くが軍人や他国からの流れ者で、女性がとても少なかった。しかし、国の発展のためには、男たちが結婚して子供を増やしていくことが必要だった。このため、ローマ人たちは、お祭りを催すからと言って隣国のサビニの人々を招き入れ、集まったところでサビニの女たちに襲い掛かった。サビニの人たちは必死になって抵抗したが、結局、女たちは奪われてしまった。

(4)それから数年後、サビニの男たちは報復のためにローマに押し寄せた。ローマ人たちは武器を取って迎え撃とうとしたが、ローマ人と暮らしていたサビニの女たちが両者の間に入り、仲直りさせた。その場面が以下の絵。
  <ジャック・ルイ・ダヴィッド 「サビニの女たち」 1799年制作 ルーブル美術館所蔵>
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2 マネ「オランピア」 1863年制作
           パリ オルセー美術館所蔵
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(1)エドゥワール・マネ(1832~1883)は、19世紀の絵画を近代絵画の方向に大きく推し進めた革新者。

(2)この作品は1865年のサロンに出品されたが、大きな騒ぎを引き起こした。当時の新聞や批評はこぞってこの作品に厳しい非難を浴びせた。

(3)物議をかもした理由は・・
  ① 女性の裸体自体を描くことは、それまでにも例があり非難されることではない。しかし、それまでの裸婦像は、神話か、歴史か、寓意の見せかけの衣がかけられていた。しかし、「オランピア」は、街中で出会う少女をそのまま裸にしたようにして描かれていた。当時の道徳的な常識では、この作品は超えてはいけない一線を越えてしまっていた。

  ② マネはその2年前にも「草上の昼食」(オルセー美術館所蔵)という作品で物議をかもしていた。それは、裸の女が当世風の服装をした二人の男たちと一緒にいるというものであった。
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(4)当時、社会に対する反逆者として美術界をリードしていたのはクールベであるが、彼に対抗意識を燃やしていたマネはこれらの作品により、クールベをはるかに超えていくことになる。

親日派韓国人、朴贊雄(パク・チャンウン)さん

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  朴贊雄(パク・チャンウン)さん(1926~2006)は、ソウル生まれの韓国人。
  ソウル大学ニューヨーク大学で学んだ後、韓国のいくつかの大学で教えた。
  1975年、49歳の時にカナダのトロントに移住。2006年に事故で亡くなった。
  韓国で、そしてカナダに移住してからも、一貫して韓国の反独裁民主化運動に携わった。

  以下の書籍は、朴さんが1999年から2005年にかけて日本語で書いた文章をまとめたもの。
  19歳までの日本の統治のもとでの生活の経験から、日本の統治時代を評価し、その後の日韓関係の厳しさを憂いている。
  「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」
     草思社 2010年刊

1 日本の統治時代(1910~1945)のプラス面
(1)日本の植民地になったおかげで、朝鮮は文明開化が急速に進み、国民の生活水準が大きく改善した。学校が建ち、道路、橋梁、堤防、電信、電話などが作られた。

(2)日本による植民地化は、朝鮮人の日常の生活に何ら束縛や脅威を与えなかった。

(3)日本統治時代の35年間に、朝鮮の人口は1,312万人から2,900万人へ2.2倍になった。人口急増の要因は・・・
  ① 疾病の予防並びに医療制度の向上
  ② 食料の供給の向上
  ③ 農村振興ならびに治山治水政策の奏功
  ④ 産業化への離陸

(4)貿易額は6,000万円から23億9,000万円へ、40倍になった。

(5)日本が統治する前の李氏朝鮮の時代は徹底した階級社会で、国民の80%以上を占める「常民」は公務員の採用試験の応募資格がないばかりか、服装も違っていて差別を受けた。しかし、日本の統治になってから、この差別がなくなった。
 
2 日本への同一化政策について
(1)創氏改名
   ア 戸籍上の姓名をそのまま残しつつ、新たに日本式の姓名を届け出て、通常はその日本式の姓名を使用することが推奨された。朝鮮人の80%ほどがそれに応じたが、強要されたものではなかった。

   イ これは、名前を聞いただけでは朝鮮人か日本人か区別できないようにして、無用な差別を受けることのないようにしたもの。

   ウ 朝鮮文化の抹殺を図るというような狙いを持ったものではない。

(2)志願兵制度(1938~1944)や徴兵制度(1944~1945)
   ア 1938年から志願兵の募集を開始したが、毎年、募集人数の10~20倍の応募があった。

   イ 応募者が多かった要因は・・
    ① 当時、朝鮮人口の9割は貧しい農民で、日本軍に入隊すれば俸給がもらえ、親兄弟の生活を潤すことができた。
    ② 反日感情はなかった。

   ゥ 1944年から徴兵制度が始まったが、ほとんどは満州に配属され、戦闘に参加することもなく終戦を迎え、無事帰国した。

3 朝鮮人慰安婦問題
(1)当時の状況
   ア 朝鮮のみならず日本においても、農産物価格の下落と凶作のため農家の娘たちが身売りされる状況にあった。

   イ 日本の娘、朝鮮の娘を問わず、慰安婦の稼ぎ高に心を惹かれた者は多かった。

(2)問題解決
   ア 1965年の韓日基本条約で、「協定成立時に存在する両国と両国民の財産と、すべての請求権に関してはすべて完全かつ最終的に解決されたものとする」とされ、この中には慰安婦の請求権も含まれている。

   イ 1995年に日本は「女性のためのアジア国民基金」という民間団体を設立し、生存している元慰安婦に一時金2百万円の支払いを開始した。

      *さらに2015年の日韓合意で、最終かつ不可逆的に解決するとされたが、新大統領は再度話し合いをしたいとの姿勢にある。

   ウ 慰安婦制そのものについては賛成できないが、すでに過ぎたことであり、また政府間で合意もしているので、元慰安婦の人たちは日本の行為を受けて引き下がるのが妥当だ。

4 韓国内の反日意識
(1)今の韓国の人たちは、李承晩、朴正煕時代から今に至るまで、小学校から反日教育を受けた影響もあって、日本に対してむやみやたらに罵る現象を憂慮する。日本をけなせばけなすほど、それが愛国の証明になるという反日国家になってしまった。

(2)2005年は、親日派糾弾のために、3,090名の親日派名簿というものも発表された。

(3)しかし、韓国人が過去2千年の間に経験した国難中、20世紀前半に現れた日本植民地時代という国難は、それまでのものに比べ、あるいは解放後独立した南北韓政権の「同族独裁者によって人権と福祉が蹂躙された現実」と比べて、僕は日本を非難する自信がない。

(4)19世紀末といえば、国際社会はいまだ弱肉強食の名残りの時代だった。日本は韓国と合併してから、韓国人を法的に日本人と同等の地位に置き、いくらかの差別はあったものの、「人権」と「民生」の面において明らかに向上させている。これは過去いかなる国難のなかでも見られなかったことである。比較的短期間のうちに日本当局の努力で、韓国の近代化の基礎が着実に固まっていった。歴代総督の朝鮮民衆に対する基本姿勢も、解放後の南北韓の独裁者の脅迫的姿勢と比べ、はるかに温厚だった。

5 戦後の朝鮮の状況
(1)1950年に始まった朝鮮戦争では、全国土は灰燼に帰し、数百万人の軍人と民間人が死んだ。

(2)初代大統領の李承晩は甚だしい独裁と腐敗の伝統を根付かせた。朴正煕政権は軍事独裁と腐敗を続けた。全斗煥、盧泰愚、金泳三とさらに腐敗、無能政権が続いた。金大中は北の金正日に巨額の金品を注ぎ込んだ。

(3)北の金日成、金正日政権下で、飢え死にし、あるいは殺された住民数は最低数百万人といわれる。

6 韓国の選挙
   国民は、各候補の人とtなりには目もくれず、もっぱら地縁、学縁、血縁にだけこだわって投票する、根深い陋習を断ち切れない。候補者たちが有権者に金をばらまく陋習が今に至るまでまかり通っている。



ゲーテの天才論

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<70歳の頃のゲーテ>

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  エッカーマンが書いた「ゲーテとの対話」(1848年出版)の第三部1828年の章で、ゲーテの天才についての考えが紹介されている。

1 永続性を生む生産力
(1)天才とは、影響力を持ち永続性を生む生産力だ。世代から世代へと働き続け、早急には衰えたり尽き果てたりすることのない生産力だ。大切なことは、ただその着想、その行為に、生命があるかどうか、あとあとまで生命を持ち続けられるかどうかだ。モーツアルトの全作品には、世代から世代へと働き続け、早急には衰えたり尽き果てたりすることのない生産力がある。

(2)作品や事業の量が多いからといって、生産的な人間とはいえない。わずかな作品でも、永続しうる生命を内に蔵していればよい。ゴールドスミス(イギリスの詩人)はほんのわずかな詩しか書かなかったが、彼は詩人として誠に生産的だった。そのわずかな作品が、永続しうる生命を内に蔵してるから。

(3)天才的な生産力というのは、人物の精神にだけ宿っているだけではなく、身体もそれに極めて大きな影響力を持っている。ナポレオンは花崗岩でできた人間だと言われたが、このひとはどんな無理なことでもやったし、またそうするだけの力もあった。わずかな睡眠とわずかな食事で最高度の精神活動を続けた。

2 反復する思春期
(1)偉大なことを成し遂げるには、若くなくてはいけない。しかし、天才的な人物では、反復する思春期がある。

(2)天才的な人物の場合、エンテレヒーが強力で、それが肉体にみなぎってこれを生かし、単にその組織に作用してこれを強化し、向上させるばかりでなく、更に強烈な精神力によって、永遠の青春という特権を、絶えず主張する。彼らはつねに、一時的な若返りが繰り返し起こるように見える。私が、反復的な思春期と呼びたいのは、じつにこのことなのさ。

  *エンテレヒー : 一定方向へ向かう活動的な生きた力。「エネルギー」に類似。

3 無理をしない
(1)欠乏した生産力を無理に引っ張り出そうとしたりしないことだ。そんな方法で無理に書き上げても、すべてそれが看取されて、大きな欠陥となるものだよ。

(2)私がすすめたいのは、決して無理をしないことだ。生産的でない日や時間にはいつでも、むしろ雑談をするなり、居眠りでもしていた方がいい。そんなときに物を書いたって、後で嫌な思いをするだけだ。

4 生産力をかき立てる力
(1)ぶどう酒には生産力をかき立てる力がある。しかし、時と場合が問題で、ある人には役立つものも、他の人には毒になる。

(2)生産的にする力は、休息や睡眠のなかにある。また、逆に、運動のなかにもある。戸外の新鮮な空気は、もともと我々におあつらえ向きの場所だ。まるでそこでは、神の精神がじかに人間にふきつけ、神の力が影響を及ぼしているかのように思われる。

5 逝くべき時
(1)人間というものは、再び無に帰するよりほかないものさ。

(2)並外れた人間ならだれでも、使命を担い、その遂行を天職としている。しかし、彼はそれを遂行してしまうと、もはやその姿のままでこの地上にいる必要はない。モーツアルトが死んだのは36歳、ラファエロもほぼ同じ年齢だったし、バイロンだってほんの少し長生きしただけだ。しかし、みんな自分の使命をきわめて完璧に果たし、逝くべき時に逝ったといえよう。他の人たちにもなすべき仕事を残しておくために。
  

戦争前の日米関係 「清沢冽評論集」より

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  清沢冽(1890~1945)は、16歳から28歳までアメリカで生活。働きながら勉強し、在米日系紙の記者として活躍。その後、日本に戻り、朝日新聞等で働いたが、反軍国主義の論調が右翼の攻撃を受け退社。以後、フリージャーナリストとして、終戦直前まで平和主義、自由主義に基づいた執筆活動を続けた。

  岩波文庫の一冊の「清沢冽評論集」から、太平洋戦争前の日米関係に関する彼の評論のポイントを拾ってみた。

1 「日米問題の現状」、「日米の関係」(1925年発表)
(1)カリフォルニア州への日系移民が増えたのは、1882年に成立した中国人排斥法の影響で中国移民が減少した穴を埋める必要があったことによる。

(2)しかし、日系人労働者が増えてくると、白人労働者の不満が募ることになった。攻撃された点は・・
   ① 日本人は安い給料で働いて、白人労働者と競争する。
   ② 長い時間、働きすぎる(朝5時から夜8時まで働いた)。
   ③ 働いて得たお金をアメリカで使わずに、日本に送ってしまう。

(3)このため、カリフォルニア州で排日運動が盛んになり、日本人を標的にした法律が次々と成立した。この結果、日本からの移民が停止されたほか、在米邦人の土地取得や賃借が制限されることになった。
    1913年 排日土地法が成立
    1920年 排日法が成立

2 「アメリカは日本と戦わず」(1932年発表)
(1)アメリカにいる約30万人の日本人は、今や日米戦争の声におびえ、安きここちもない状態である。

(2)しかし、日本とアメリカの間に戦争は起こらないと思う。理由は・・・
  ① アメリカは日本の満州進出について抗議の声をあげているが、アメリカ国民全体から見れば、満州問題に対する興味は殆どない。アメリカ人は国際問題に関心はない。アメリカは国民の世論が動かなければ何ら行動できない国柄である。

  ② 排日の動きや米国艦隊のハワイ集結などから、日本では今にもアメリカが戦争を仕掛けてくるのでは、という雰囲気になっているが、アメリカでは対日感情は案外冷静である。日本のような国家主義的な国では世論が一つの方向に流れやすいが、アメリカのような雑多な人種が住む広大な国ではそうはならない。

  ③ アメリカが満州や中国問題で日本に干渉しているのは、アメリカが1928年に15か国が署名した不戦条約の主唱者であり、日本がこの条約の「国際紛争解決のために戦争に訴えることをしない」という条項に違反しているのではないかという点からである。アメリカは自らこの条項に違反して、日本に戦争を仕掛けるようなことはしない。

  ④ アメリカにおいては米国議会が賛成しなければ戦争できない。自由論議を特徴とする米国議会が、にわかに賛成しないことは第一次世界大戦の時の状況からも明らかだ。

  ⑤ 戦争が始まったとしても、大会戦が行われる機会がないとすれば、必然的に持久戦にならざるを得ない。持久戦は経済戦を意味する。両国ともこれが分かっているから、戦争を始めようとはしない。

  ⑥ 国境を接していれば、いまのように悪化した国民の感情が勃発する危険はふんだんにありうるけれども、日米両国は距離が遠く離れており、衝突の機会が比較的少ない。

(3)しかし、日本では日米戦争論の声が沸き立っている。世界のどの国において、現在の日本におけるような戦争論が流行を極めているところがあろうか。国家を賭し、何十万の生命を犠牲にするところの真剣なる戦争を、まるでスポーツのような気持で論じ、叫び、興味を持ってみているではないか。

(4)こうした日本の動きがアメリカに伝わり、アメリカ国民の警戒心を起こす。そうするとそれがまた日本に響く。こうした因果関係が、国交に害を及ぼし、相互に軍備及び軍部の行動に影響を及ぼすのは余りに当然である。

(5)現在、日米間に介在する問題は、移民問題と支那問題である。
  ア 移民問題については、アメリカの態度がよくなく、無用に日本の神経を刺激し、日本の敵愾心を煽っている。しかし、それがどんなに遺憾な事実であっても、戦争によって解決すべき問題と思う者はいないであろう。

  イ 支那問題についても、アメリカがこのために戦う意志は見られない。

(6)戦争によって解決される問題は全くないのに対して、これから起こる危険性は非常に多い。戦争は悲惨であろう。例えば、日本が飛行機爆弾の標的となって、日本のような木造家屋を有する国が最も危険にさらされる。貿易の大部分の途絶により、衣食住の欠乏からくる窮迫、生産者の出征による生産の減少などが発生しよう。

   * 日本はアメリカとの無謀な戦争に自らを追い込み、著者が予想したような悲惨な状況となった。

身代金狙いのサイバー攻撃

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   (ニューヨークタイムス電子版より)
1 先週の金曜日から、身代金狙いのサイバー攻撃が世界中で猛威をふるっている。アメリカの運輸大手FedEx、イギリスの公的医療制度、中国大学、ロシアの内務省などが襲われた。フランス自動車メーカー、ルノーはスロバキアの工場の操業停止に追い込まれたと発表した。

2 身代金を要求するサイバー攻撃は以前からある。攻撃を受けるとコンピューターがロックされてしまい、身代金を支払わない限りそのコンピューターを元に戻すことができなくなる。

3 これまではこうしたサイバー攻撃をするためには特殊な技術を必要とした。しかし、それが特殊な技術無しにできるようになってきている。身代金狙いのサイバー攻撃を容易にしている要因は・・
  ① 容易に解くことのできない暗号化技術を使用して、狙ったサイトのデータを使用不能にする技術
  ② トレースが難しい、ビットコインのようなデジタル貨幣の存在
  ③ 身代金を要求するサイバー攻撃を伝授するインターネットサイトの出現

4 現在、身代金を要求するサイバー攻撃は数十種類あり、表面に出ない非合法組織がサポートしているといわれており、それら補足するのは困難と考えられている。

5 先週金曜日のサーバー攻撃は、マイクロソフト・サーバーの弱点をハッカー集団がインターネットで流したことがきっかけとなった。攻撃するプログラムはサーバーからサーバーへと伝染し、その過程で7万以上の法人等のデータを利用できないようにした。

6 5年ほど前に、身代金を要求するサイバー攻撃が多くみられた東ヨーロッパでは、身代金の金額は1件当たり100ドルから400ドル(1~4万円)であった。しかも、インターネット・セキュリティの専門家はそれっらの暗号を解除して、データを利用可能にすることができた。被害にあった中で、実際に金銭を払ったのは3%未満とみられている。

7 しかし、最近ではその比率が50%程度にまで高まっている。払わないのはデータのバックアップがあるか、不当な金は払わないという信念の持ち主か、単にお金がないという人たちだ。

8 身代金の金額は、少なくとも1ビットコイン(1,700ドル、19万円)、多ければ30ビットコイン(51,000ドル、561万円)にもなる。平均すると、4ビットコイン(7,000ドル、77万円)といわれている。

9 サイバー攻撃を伝授するサイトは、獲得した身代金の一部を受け取る。身代金の支払い方が分からない被害者のために、電話相談窓口を設けているものもある。

10 こうした攻撃に弱いのは中小企業で、データのバックアップを持っていないことが多く、要求されたお金を支払うしか方法がない。また、大学も、情報を自由にやり取りするためにシステムをオープンにしていることが多く、恰好なターゲットとなる。

11 病院などの医療関係も、データを必要とする緊急度が高いため、狙われている。今年の2月にロスアンゼルスのある病院は、1万7千ドル(187万円)を支払った。インディアナ州のガン基金は50ビットコイン(957万円)の要求を受けたが、支払わなかった。
 
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