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「婚姻の話」 [日本史]

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 岩波文庫の一冊、2017年7月刊。収録されたものの多くは1946~1947年に雑誌に発表された。
 著者は、民俗学者の柳田国男(1875~1962)。

 今は廃れつつある、日本の婚姻に関する地方の風習を集めた。

1 主婦になることの難しさ
  大家族でも主婦は一人。主婦の数は今よりはるかに少なかった。
  主婦とその他の婦女の格差は大きかった。
  主婦以外の婦女は、子供を産むことや老後の生活に難しさがあった。
  このため、年頃の女性は、相手方の選択に合格して主婦になろうとした。
  相手について、勝手なえり好みをしてはいられなかった。

2 不用の者
  大家族の世において、家々の主婦として地位を得られなかった女性は、どうなってもいい女、生涯の計画の立てにくい者であった。
  中には遊女に身を落とすものも少なくなかった。
  ことにいったん獲得した主婦の地位を失った者の境遇はみじめであった。
  離婚していったん実家に帰れば、再婚することは難しかった。

  主婦にならなくても男を得ることは可能であったが、棄てられやすかった。

  このため、女性は主婦の地位を得ようと必死になり、またいったん得たその地位を維持するためすべてのことに従順でいなければならなかった。
  
3 婚姻に関する慣習
  ・友達の力を借りた。
  ・同じ部落の中から配偶者を見つけるのを原則としていた。
  ・娘は16を過ぎると歯を染めて自ら結婚に適することを示した。
  。必ず一人の男の妻問い(通ってくる求婚)に応じなければならなかった。

  部落外の男が通ってくることについては、部落の男が妨害した。
  部落内の恋愛遊戯はかなり自由で、貞節は主婦となってからの道徳であるかのように考えていた地方もあった。

4 娘組の宿
  娘たちがそこに泊まったり、仕事を持ち寄って時間を過ごし、夜明け頃に家に帰る。
  そこに若者が遊びに来て、仕事を手伝ったり、世間話をしたりする。

  娘組の宿と若者組の宿との間で、互いに来往しあい、多くの夫婦がこの交際の間に成立した。

5 夜話し
  年頃の娘のある家へ、夜分に若者たちが数人で公然と来訪する。
  夏は門のところに涼み台、冬は炉端の夜なべ座へ、何の用事もなしにぶらりと訪れる。
  訪問を受ける家も、一同が歓迎し、なるだけ長くいてくれるように、親たちは苦心した。

6 山行き、山遊び
  春から夏にかけて、若者や娘が山菜を採りに行く。
  あるいは草刈りかごを背負って山に入る。
  また、山の上にある神社の祭りに集まる。
  未婚者はここで相手を選び、家に帰って相談して決める。

7 嫁盗み
  娘が知らない相手に不意に盗まれるということもあったが、娘が相手のことを知っていて盗み去られることを承知していたことも少なくなかった。
  嫁盗みにより、女が満足し、仲の良い幸福な婚姻を成立させた例が多かったからこそ、こうした風習が長く続いた。

  母親たちは娘に盗まれた場合の心得を伝えていた。
  ① 泣いたり騒いだりしないこと。
  ② 相手を見定め、どうしても心に染まない男であったら、はっきりと不承諾の気持ちを伝えること。
  ③ これならと思う男であれば、十分念を押してから、婚姻に同意する。

8 結婚と労働の助け合い
  家と家との縁組は、労働の助け合いを意味した。
  そこではお互いの労働力の均衡ということが大事であった。
  労働力があまりに不足する家へ嫁にやるということは、本人が苦労するのに加え、出した家の者たちも応援が必要になることがあり、できれば避けたかった。
  農作業の繁忙期に援助を送ることを姻戚の義理とする風習があった。

  逆に、労働力が不足する家では、嫁を早くもらいたがった。
  嫁盗みという手段に出る理由のひとつもそこにあった。

  しかし、農作業の方法も次第に改良され、また、個々の農場の大きさが一般に縮小し、こういう互いの援助がさして必要ではなくなってきた。
  嫁入り先の選定の基準が、働き手の問題から、本人の幸福の方へ次第に変わって行った。
  
9 嫁入り資金の不足
  嫁を出す方の家で、嫁入りのお金が不足する場合、盗んでくれるなら結婚を許すということもあった。
  盗まれるとなると、一切表向きの儀式は無くなる。
  嫁の身の回りの品も、盗んだ方の家が調えることになっていた。
  世間の人たちは、内情をみな知っていたが、それでもそういうことで問題となることはなかった。


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「暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン」 [現代社会]

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  慶應義塾大学出版会、2017年7月刊。原書は2017年2月刊。
  著者は、イエール大学のティモシー・スナイダーさん。

  本書は、トランプ政権誕生を受けて、緊急出版されたもの。
  20世紀に現れたファシズムや共産主義などの暴政からの教訓を探る。

1 忖度(そんたく)による服従はするな
  多くの人が権力者の意向に沿って、深く考えもせず、権力者の気に入ることをした、
  ユダヤ人の迫害では、一般のドイツ人も略奪行為に加わり、それがナチスの権力基盤強化に貢献した。

2 組織や制度を守れ
  共産化したロシアやナチスドイツでは、いとも簡単に組織や制度が破壊され、一党独裁国家が成立した。
  多くの人が、そのようなことは出来ないだろうと決め込んでいた。

3 一党独裁国家に気をつけよ
  20世紀には、参政権を拡大し、民主制の定着が図られたが、第一次大戦後、いくつかの国で、選挙とクーデターとにより一党独裁となってしまった。
  選挙結果が有利なものとなったため、権力者はより大胆になり、自己のイデオロギーにより制度を変えていった。

4 シンボルに責任を持て
  ナチスが政権を獲得して以降、一般市民の多くがナチスを示すバッジをつけるようになった。
  また、ユダヤ人の商店にユダヤ人を示すマークを付け、排斥の対象にした。
  独裁者はこのようにして自分に従うものと排斥するものを明確にしていく。

5 職業倫理を忘れるな
  ナチス政権下で、多くの弁護士が占領地の圧制や、ユダヤ人の排斥に加わった。
  また、医師はユダヤ人などの人体実験に手を染めた。
  彼らは職業倫理を忘れ、その時の社会の雰囲気に飲まれていった。

6 準軍事組織には警戒せよ
  ナチのSA(突撃隊)は、もともとはヒトラーの政治集会で会場から政敵を排除する特別保安舞台だったが、その後、一般の人々に恐怖をまき散らし、またユダヤ人の排斥の先頭に立った。
  トランプは、私設保安部隊を設け、政治集会から反対者を排除した。

7 武器を携行するに際しては思慮深くあれ
  ドイツでは、ホロコーストのどの大規模なユダヤ人射殺作戦にも、ドイツ人の普通の警察官がかかわっていた。
  彼らの多くは命令を受け、弱虫とは思われたくなかったため、その命令に従った。
  命令を拒んだからといって、処罰されることはなかったのだが。

8 自分の意志を貫け
  第二次大戦中、多くの人が時代の風潮に流される中で、自分の意志を貫いた人もいた。
  大陸の多くの国がドイツとロシアの支配下になる中で、ヒトラーはイギリスに対し和睦の提案をしたが、イギリスのチャーチルはそれを拒否して戦争を続行し、アメリカの参戦も得て、ヨーロッパの解放につなげた。

9 自分の言葉を大切にしよう
  テレビやパソコンは止め、本を読むべき。
  テレビからは次から次へと映像が送られてきて、意味を咀嚼するのが難しくなる。
  私たちは視覚的な刺激で恍惚となり、言葉が私たちをすり抜けてしまう。

10 真実があるのを信ぜよ
  トランプは以下の方法で真実を消し去り、有権者が自分に盲従するように仕向けた。
  ① 実証できる事実を公然と敵意をむき出しにして否定し、作り事と嘘をあたかも事実であるかの如くに提示する。
  ② 競争相手に悪いレッテルをはり、それを繰り返し呪文のごとく唱え、相手の人格を貶める。
  ③ 有権者にとり魅力的な、しかし、相互に実行不可能な公約を平然と主張し、有権者の理性を押さえつける。
  ④ 筋の通らない、信仰といってよい信頼を有権者に強いる。

11 自分で調べよ
  大切なのは事実を調べ、見極める能力。
  トランプは、ジャーナリストを嫌い、選挙戦の集会からレポーターを締め出した。
  自分に賛同する有権者にも、新聞などのメディアを嫌い、正確性に欠けるツイッターなどのインターネットを利用するよう仕向けた。

12 アイコンタクトとちょっとした会話を怠るな
  周囲と接触を保ち、社会的なバリアを崩し、誰を信頼し誰を信頼してはならないかを理解するための方法。
  最も危険な時代に、信頼できる人たちを知っていることは最後の頼みの綱。

13 「リアル」な世界で政治を実践しよう
  「抗議」は最後は街中で行わなければならない。
  そのためには様々な背景を持った人たちが、それまではいたことのなかった集団の中に身を置かなければならない。

14 きちんとした私生活を持とう
  インターネットからプライバシーが盗み取られ、それがニュースとして伝えられる。
  競争相手を無力化するとともに、有権者はそういったニュースに惑わされ、「無秩序な群衆」に退化する。
  自分のコンピュータを攻撃から守ることが必要だ。

15 大義名分には寄付せよ
  私たちは、自分たちにとって意義のある活動に携わるべきだ。
  私たちが、こうした活動に誇りを抱き、他の人たちと知り合いになれるなら、民間ベースの社会活動に参加していることになる。
  また、賛同できる慈善活動を行っている組織に対する寄付も、そういった参加の一形態といえる。

16 他の国の仲間から学べ
  アメリカ人はもっと他の国で起きていることに関心を持つべきだ。
  大統領選挙期間中にロシアにより仕掛けられたサイバー攻撃とフェイクニュースにより、トランプは勝利を得たが、こういったロシアの攻撃は2013年にはウクライナに対して行われていた。
  ウクライナは迅速に対処して効果をあげさせなかったが、アメリカではそういった攻撃が成果を挙げた。

17 危険な言葉には耳をそばだてよ
  権力者は非常時だと言って危機意識を煽る。
  そして、安全のために必要ということで、我々から自由を奪おうとする。

18 想定外のことが起きても平静さを保て
  テロ攻撃があった時、権力者はそれを利用して反対勢力を一掃しようとする。
  ヒトラーはドイツ国家議事堂の火事で、プーチンは連続ビル爆破事件で、権力をつかんだ。
  暴政は、何らかの非常時に姿を現す。

19 愛国者たれ
  トランプはナショナリストではあるが、以下のように愛国者ではない。
  ① 徴兵逃れをしてベトナムに行かなかった。
  ② 税金を納めていない。
  ③ カダフィ、アサド、プーチンなどの外国の独裁者を崇拝している。
  ④ ロシアにアメリカの大統領選挙に加担するよう訴えた。
  ⑤ ロシアとつながりのある人物を国務長官に任命した。

20 勇気をふりしぼれ
  仮に私たちの誰一人、自由のために死ぬ気概がなければ、私達全員が暴政の下で死ぬことになる。



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「ファウストとホムンクルス」 [海外文学]

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 慶應義塾大学出版会、2009年刊。
 著者はドイツの元外交官、マンフレート・オステンさん。

 ゲーテ(1749~1832)の著作の中から、彼の思想を探る。

1 加速化する時代ー悪魔的速度
 ゲーテは、西欧社会ではすべてのことが加速化しており、それにより傲慢さや不安があふれてきていると嘆く。一方、ゆっくりと動いている中国やイスラム社会に憧れる。
 
 西欧社会の加速化について、ニーチェは以下のように言う、
 「アメリカ人が金を求める際の、息つく暇もない性急な仕事ぶり、これは新世界の悪徳そのものであるが、それが感染を拡大し、古きヨーロッパを野蛮にし、奇妙極まりない愚かさを広めつつある。今、人々は休息を恥じる。長い沈思はどことなく後ろめたい気分にさせる。」

 「ゆっくりとした成長や先祖から受け継いできた伝統的なものを根こそぎ破壊したのがフランス革命だった。落ち着き不足から、我々の市民社会には新しい野蛮性が拡大する。行動する人々、すなわち落ち着きを失った人々は、時間のないことに、より価値をを置く。」

 また、マルクスとエンゲルスは・・
 「生産器具、つまりあらゆる生産関係、あらゆる社会的関係に絶えず革命を起こさなければブルジョワジーは存在しえない。製造過程の絶え間ない大変革、すべての社会階層を揺らし続ける振動、永遠の不確かさと変動は、ブルジョワジー時代を前時代からはっきりと区別する。」

 カフカは・・
 「人間を楽園から追放し、そこからますます遠ざけるのは、性急さである。」

 ゲーテは「ファウスト」で・・
 「運命が彼に自分では制御しえず、つねに前へ駆り立てる精神を授けたのだが、あまりにも性急な努力は地上の喜びを飛び越してしまう。」

 ナポレオンは現代的機動戦を実践した最初の人物。
 また、政治家としても、それまで無縁だった新しいテンポを導入し、彼の人格と成功の秘密である速さを新しい生活感情としてヨーロッパに強要した。

2 不安とホムンクルス
 ファウストは権力の絶頂にあり、幸福と完璧さの頂点にあると思い込んでいるが、一方では、不安が忍び込む。
「太陽は昇りもせず、また、沈みもしない。外部の感覚が完全でも、闇は内部に巣食うもの。そして、あらゆる財宝の何一つ、所有することができないことを思い知るのだ。」

 不安は、自らをとてつもない仕事に駆り立てる。
 ホムンクルスはゲーテが作り上げた、21世紀を予測させるような想像上のもの。

 ホムンクルスは「ファウスト」に登場する、母胎外で育てられた人工生命体。
 母胎という孵卵器の代わりに、精子はガラス製フラスコに密閉され、適温に維持された空間で、栄養を与えられて育つ。
 そして、40週後、人間の子供同様に闊達で、母胎から生まれた他の子供と同様にすべてに身体器官もそろっているが、非常に小さい人間となる。

 ホムンクルスは人間の傲慢さと好奇心から作り出されたもの。
 人間はまるで神のように、生命を創造する。
 しかし、自分が神に似ていることについては、不安を覚える。
 
 ホムンクルスは前代未聞の才能を余りあるほど有する。
 彼は全知のセラピストであり、人類の記憶の守護者となる。

 ホムンクルスはフラスコのガラスを突き破って外に出たいと願う。
 しかし、ホムンクルスはフラスコにとじこめられ、そこから逃げられない。

 ホムンクルスは、人間による際限のない科学技術の進化と、その成果物の悲劇性を現わしている。
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米国の銃規制 [インターネット情報]

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 *ニューヨークタイムス電子版に拠る。

 米国で銃乱射事件が続いている。
   2016年 6月 フロリダ州ナイトクラブ       死者49名
   2017年10月 ネバダ州ラスベガスのコンサート会場 死者58名
   2017年11月 テキサス州教会           死者26名

 他の国に比べて、銃乱射事件が多い理由として以下のようなことを挙げる人もいる。
 ① アメリカ社会自体の暴力的な性格。
 ② 人種的に分断しており、社会のきずなに欠ける。
 ③ 医療制度の欠陥により、精神面で問題のある患者に適切な治療が行われていない。

 しかし、最もはっきりしている理由は、アメリカ社会における銃の多さである。

 アメリカの人口は世界の4.4%を占めるに過ぎないが、銃の保有量は世界の42%を占めている。
 人口1千万人以上の国で、人口比で最も銃乱射事件が多いのは中東のイエメン。アメリカは二番目。
 イエメンは、アメリカに次いで世界で二番目に銃の保有率が高い。

 各国で色々な事情はあるが、銃の保有率と銃乱射事件の発生頻度の関連性は明白である。

 精神面で問題のある患者への治療についてみると、人口対比でのアメリカの治療費額、精神科医の数、高度の精神異常者数は、いずれも他の先進国と変わらない。
 アメリカでの銃による死者のうち、精神異常者によるものは全体の4%のみという研究もある。

 アメリカではビデオゲームが盛んであるが、これも他の先進国と大差はない。
 人種的な分断や移民の増加も、ヨーロッパでは銃乱射事件の増加をもたらしてはいない。

 アメリカでの銃による自殺者数は2009年で百万人当たり33名であり、先進国の平均を上回っている。
 百万人当たり、カナダは5人、イギリスは0.7人である。

 犯罪の多さについてみると、アメリカの犯罪は殺人に結びつきやすい。
 例えば、ニューヨークとロンドンは強盗の発生率は同じ程度である、
 しかし、強盗に襲われたニューヨークの人たちは、ロンドンの人たちの54倍の頻度で殺される。

 他の先進国との比較、アメリカの各州の比較、アメリカの各都市の比較などから得られた結論はいずれも、銃の保有率が高ければ、銃による殺人の比率も高いということである。

 2013年では、アメリカの銃による死亡者のうち、自殺が21,175名、殺人が11,208名、銃の暴発が505名であった。
 人口がアメリカの3分の1の日本では同じ年、銃による死亡者数は全体で13名のみであった。

 アメリカは、人口当たりの銃保有率では日本の150倍であるが、銃による死亡者の比率は300倍である。
 アメリカで、銃の保有率以上に死亡率が高いのは、他の国に比べ、誰でも、どのような種類の銃でも持つことができるためである。
 
 スイスは、先進国ではアメリカに次いで銃保有率が高く、銃による死亡者数も百万人当たり7.7人と、先進国では高い。
 しかし、それでもアメリカの4分の1以下。
 スイスでは、銃の保有と、保有できる銃の種類について厳しい規制が敷かれている。

 アメリカは、メキシコ、グアテマラとともに、国民は銃を保有する権利を有していると考える、世界で数少ない国のひとつである。
 イギリスやオーストラリアは自国で銃乱射事件があった後、銃の保有規制を強化した。
 しかし、アメリカは度重なる銃乱射事件の発生にもかかわらず、銃規制の強化は行われていない。

 2012年には、コネチカット州の小学校で児童20名を含む26名が銃の乱射で殺された。
 この痛ましい事件の後も、全米ライフル協会は、原因はビデオゲームや暴力的な映画にあるとして、銃規制に反対した。



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ボコ・ハラム [インターネット情報]

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  BBC電子版によると・・

  ボコ・ハラムはナイジェリアのイスラム系武装グループ。
  アフリカで最も人口の多い国(1億8,600万人)ナイジェリアで、政府を倒し、イスラム国を建設しようと、爆破、殺戮、誘拐を繰り返し行っている。
  ボコ・ハラムは支配下の人々が。西洋社会と関連する活動に参加することを禁ずる。
  例えば、選挙での投票、シャツやズボンを着ること、近代的な教育を受けることなどは不可。

  ボコ・ハラムは2002年に創設された。
  まず、モスクやイスラム式の学校を含む宗教施設が建設された。
  最初は近代的な教育に反対することが主な活動であったが、2009年にはイスラム国建設のための軍事行動を開始した。
  その後、シリア・イラク地域のISとの連携を強めてきた。

  ナイジェリアでは、もともと教育を軽視したり、西洋式の近代的な学校に子供を通わせないと言った風潮があり、ボコ・ハラムのイスラム式の学校は多くの貧しい家庭の子供たちを受け入れるようになった。
  そして、そういった学校は「聖戦」の戦士を調達する手段となった。

  ボコ・ハラムは、その後、教会、バス、酒場、軍兵舎、警察などの爆破といった過激な攻撃を繰り返すようになった。
  また、町や村を襲い、略奪や殺害のほか、婦女子を誘拐し、青少年を軍隊に徴集した。

  2014年には、200名以上の女子生徒を誘拐し、国際的な非難を浴びた。ボコ・ハラムは誘拐した女子生徒を奴隷としたり、強制的結婚させるとした。
  
  しかし、2015年3月までには、ナイジェリアならびに近隣諸国の連合軍により、ボコ・ハラムは掌握していたすべての町を失い、森林地域に追いやられた。
  ただ、CIAはボコ・ハラムがいまだ9千人前後の戦闘員を保持しているとみており、また、約2千人の子供たちが捕らえられたままとなっていると推測されている。
  依然として、慢性的な貧困や教育の不備が、ボコ・ハラムが新規の戦闘員を獲得することを可能にしている。

  VOA電子版によると・・

  ナイジェリアの北部地域で、本年に4~9月の6か月間に、分かっているだけでボコ・ハラムにより223名の一般市民が殺された。
  その地域からナイジェリア国内の他地域や近隣諸国に避難している人たちの数は230万人にのぼる。


  ニューヨークタイムスの電子版によると・・
 
  その地域の子供たちは被害者であったり、加害者であったりする。
  少年少女たちはボコ・ハラムに連れ去られた後、他の子供たちを誘拐する仕事をすることになる。
  また、10代の少女たちが自爆テロの実行犯となるよう訓練を受ける。
  ナイジェリア政府は、自爆テロを行う少女たちに気をつけるように、市民に呼びかけている。
  
  彼女たちは、自発的に自爆テロリストになるではなく、ボコ・ハラムの戦闘員たちにより、無理やり爆弾を身体に縛り付けられる。
  戦闘員との結婚を拒否したために、テロリストにさせられたものもいる。
  自爆テロを実行せず、警察などに駆け込んで自首して助かった者もいるが、少数だ。
  
 <誘拐された少女たち>
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「天皇制と進化論」 [日本史]

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  青弓社、2009年刊。
  著者は、歴史社会学を専門とする右田裕規さん。

1 進化論と皇国史観
  戦前に強制された皇国史観と、同時代に人々を引き付けたダーウィン進化論との相容れない関係がどのように処理されてきたか。

  アメリカでは20世紀初頭以来、「神が人間を作った」という聖書の記述を信ずるキリスト教信者の圧力により、学校で生物進化論の教育を行うことを禁止する時代が長く続いた。

  日本でも明治の初め以来、天皇は天照大神の子孫であり、大和民族も同じく神の末裔とする皇国史観を国民に教育することが強制されていた。
  皇国史観に反する言論は不敬罪等の法律により厳しく取り締まられた。
 「天皇も人間」というだけで、天皇の尊厳を冒とくしているとされた。
 「ヒトは現存する他のほ乳動物と同じ祖先から進化した動物である」というダーウィンの進化論とは相容れない。

  それまでの宗教的な考えでは、ヒトを他の動物と区別し、高級・霊妙な存在とみなしていた。
  しかし、ヒトと動物の祖先は同じという考えからは、人の身分や属性、血統や家柄も取るに足らないものと見えてくる。

2 皇国史観側の主張
  皇国史観側の論者は以下のように主張して、皇国史観と進化論の矛盾を解消して見せた(佐々木高行、1907年発表)。
  ① 人間は生物の中でも、最も進化した生存競争の勝利者である。
  ② 人間の中でも大和民族は、最も高い位置にいる。
  ③ それは、君主である天皇が臣民と同祖であり、相助け合って進んできたから。
  ④ この忠君愛国の基礎に立って進歩し続ける大和民族が適者生存の最優等者であり、その中で最も優れて尊いのが天皇である。

  また、加藤弘之という、皇国史観と進化論の双方を信ずる学者は、以下のような折り合いをつける(1908年)。
  「人類は進化により生じたものである。人間界が起こり、民族が分かれ日本民族ができて以来、その宗家たる天皇が統治の大権を掌握して、我々臣民が服従の義務を尽くすという君臣の関係が出来上がった。」

3 反体制側の主張
  それに対して、明治の左翼運動家は進化論をベースに、皇国史観を以下のように批判する。
  ① 人間の先祖が猿であっても、単細胞生物であっても、今日の人間の価値に関係はない。
  ② 人間だけ別物にして、神の作り給うたものとしたところで、それで人間の価値が増すわけではない。
  ③ 2500年の歴史を有する神国は他の諸国とは訳が違うというような幼稚なる国自慢や、吾輩の家柄は東照神君以来、十幾代、連綿たる名家であるから、百姓町人とは血統が違っているのだというような階級思想は、ばかばかしく見えてくる。

  大正から昭和にかけて、体制側から皇国史観や国体思想など反科学的思想が強化された時代には、反体制側は以下のように主張している。
  ① 日本のように大衆と科学との乖離が著しいところでは、科学的な考え方、科学的精神を大衆の間に浸潤させることが急務。
  ② 迷信打破は、遅れた大衆層を非科学から守る最低の目標。
  ③ 天文学的宇宙論や生物進化論などを通じて、科学的な考え方、科学的精神を大衆の間に浸潤させ、広範な大衆層の教養を高めることは極めて重要。

4 進化論の取り締まり
  思想を取り締まる警察は、生物進化論を危険思想として認識しながらも黙認を続け、そういった書物は発禁処分を受けることはなかった。
  また、天皇の聖性や皇国史観を明瞭に否定・冒涜しない限り、不敬罪に問われることもなかった。
  産業・軍事力の発展を担うべき国内の自然科学界の保護育成という国家的要請が重視されていたということが、科学の一分野として生物進化論が許容されていた背景にあった。

5 学校教育における取り扱い
  ただし、戦前の小学校では進化論が教えられることはなかった。
  それに対し戦後は、小学校で進化論が詳しく教えられるようになった。
  その意図が以下のように説明されている。
 「日本国民は合理的精神に乏しく、科学的水準が低い。批判的精神に欠け、権威に盲従しやすい。例えば、これまでの教科書では、神が国土や山川草木を生んだとか、神風が吹いて敵軍を滅ぼしたとかの神話や伝説が、あたかも歴史的事実であるかのように記されていたのに、生徒はそれを疑うことなく、その真相やその意味を極めようともしなかった。このように教育された国民は、竹やりをもって近代兵器に立ち向かおうとしたり、門の柱に爆弾除けの護り札をはったり、神風による最後の勝利を信じたりした。軍国主義や極端な国家主義は日本国民のこうした弱点につけ込んで行われた。」

6 昭和天皇と進化論
  昭和天皇が生物学を研究するようになったのは、以下の理由によるようだ。
  ① 当初は歴史を好んだようだが、深く歴史を探求していくと色々と差しさわりが出てくる。
    例えば、昭和天皇は、先祖が神であるということについて疑念を表明されて周囲を驚かせたことがある。
    このため、歴史の勉強は好ましくないということになった。
  ② その点、生物学研究であれば特に害もないと思われた。
  ③ 加えて、野山を散策して標本を採集するということであれば、健康によく、気晴らしにもなる。

  進化論との関係の懸念はあったが、研究が形態学的分野にとどまってる限りは問題なかろうということであった、

  昭和天皇はダーウィンの進化論を当然承知していたと思われるが、それと皇国史観や国体主義との矛盾についてどのように考えていたのかは不明である。
  

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「神なきユダヤ人」 [科学]

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 みすず書房、1992年刊。原著は1987年出版。
 著者は、アメリカで比較思想史を専門とするピーター・ゲイ。

 フロイトは自らを「神なきユダヤ人」と呼び、「敬虔な信仰者が誰一人として精神分析を創造しなかったのはなぜでしょう。そのためには完全な神なきユダヤ人を待たなければならなかったのは、どうしてなのでしょうか。」と問いかけている。

 本書は、当時の「宗教 対 科学」の論争やユダヤ人の対応を含めて、フロイトのこの問いかけについて探っている。

1 宗教 対 科学
  19世紀のヨーロッパでは、フロイトが以下のように言うように、自然科学の発展により、宗教は劣勢を強いられていた。
 「宗教はもはや昔のような影響力を持っていない。
  これは、社会の上層階級に科学的なものの考え方が強まったため。
  批判的精神は、宗教文書の持っていた証拠としての力を腐食させ、自然科学はそこに含まれていた誤謬を白日の下に曝した。」

 「宗教の批判はすべての批判の前提である。」
  
  一方、哲学者のウィリアム・ジェイムスは科学のすばらしさを認めつつも、宗教の存在意義を以下のように主張する。
 「私たちが人間の精神生活の全体をあるがままに考察し、また、学問や科学とは別個に人々の内部にあって、人々が内面的に、私的に営んでいる生活を考察してみると、合理主義が説明しうる生活領域は比較的表面的な部分でしかないことを、私達は認めなければならない。」

  しかし、フロイトは宗教と科学とは相容れないものであると以下のように強く主張する。
  ① 宗教的観念は修正不可能だが、科学的観念は修正可能である。
  ② 世界には神学的思考様式と、科学的思考様式という二つの絶対に両立不可能な思考様式があり、いかなるものもこの両者を和解させることは出来ない。

  フロイトは考える。
 「宗教信仰とは一種の文化的神経症だ。」
 「宗教は大人の生活の中での幼児的無力感の遺物であり、妄想的な病気すれすれの幻想なのだ。」

  ある神学者は、宗教を擁護して以下のように言う。
 「『創世記』の記事は、文字通りの真理とみるならば、到底擁護することは出来ない。だが、キリスト教の創造物語は比喩及び神話であって、独自の妥当性を持っている。科学には科学本来の領域があり、宗教にもそれ自身の領域がある。科学は事実を立証し、宗教は価値の秩序を構成する。」

2 神経症患者の治療と宗教的なケアの類似性
  精神分析そのものは、宗教的でも反宗教的でもなく、苦しみから人々を救い出すことが目的である限りでは、聖職者でも利用することができる。
  フィスターというスイスの牧師は、フロイトの著作を読み、感銘を受け、フロイトの友人となった。

  フロイトは、フィスターが精神分析の成果を利用することに理解を示しつつも、精神分析が一般的な科学的世界観に基づいており、この世界観と宗教的な世界観とは両立不可能なものであることについては妥協することはなかった。

  フロイトにより見出された精神分析のノウハウを聖職者が利用することについては、フィスター以外にも次第に浸透するようになっていった。
  信仰する者から、フロイトを高く評価する者も現れてきた。
 「(フロイトにより)人間の行動をより批判的に掘り下げ、より率直に探究するようになった。彼は、羞恥の外套を引き裂き、それによって欺瞞、特に幼児性欲と抑圧の破壊的な作用についての欺瞞を打ち破る手助けをしてくれた。」
 
  しかし、一方では、フロイトの学説はキリスト教がすでに認知していたもの、とする聖職者も少なくなかった。
 「キリスト教的洞察の深さに較べれば、精神分析が人間性について投じる光は、微かな、借り物の光に過ぎない。聖パウロによる『性的な罪』の理解は、精神分析の発見より900年前のものだが、人間性の錯綜と深淵を精神分析よりもはるかに深いところまで探っている。」

3 精神分析と神学の折り合い
  フロイトの無神論に対して、精神分析と神学を何とか折り合いをつけようとする試みは、成功しなかった。
  宗教を擁護するある学者が、「神は存在するのでなければならない。なぜなら、人間は神の存在を構想することができるのだから」と言った。
  それに対しフロイトは、「心の中で実在するとしても、そこからそれが現実に存在するということが導かれるとは思えない。」と答えた。
  
4 精神分析がなぜユダヤ人から生まれ、ユダヤ人によって育てられたのか?
  この問いに対して、いくつかの答えが出されている。
 「ユダヤ人の特異な性格、気質、すなわち心理学的な意味において分析的であり、絶えずあらゆることについて、その理由と由来を自問するところに求められる。」
 「ユダヤ人の強迫神経症になりやすい素質は、何千年も前からこの民に特徴的だった詮索癖と関連している。」

  フロイトはそれに対し、我々が強迫神経症を見出すのは、最も高度に発展した民族においてであり、ユダヤ民族に限らないと、述べ、また、私はユダヤ人でであったがゆえに、他の人々の場合その知性使用に制限を加えた数多くの偏見から自由でいられた、と言っている。
  
  フロイトが精神分析を発展させることができたのは、徹底した無神論で、宗教から自由であったからであり、必ずしもユダヤ人であるからということではないと考えられる。


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「毒ガス開発の父 ハーバー」 [科学]

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 著者はフリージャーナリストの宮田親平さん。
 朝日新聞社、2007年刊。

 フリッツ・ハーバー(1868~1934)はドイツのユダヤ人化学者。
 第一次世界大戦中、ドイツ軍のために毒ガス開発を指揮した。
 その大戦終了直後の1918年11月に、アンモニア合成法発見の業績が認められ、ノーベル賞を受賞した。

1 空中窒素固定法
  農作物のための肥料として、それまで使われていた堆肥だけでは限界があるため、化学肥料の開発が急がれた。
  食物が必要とするカリウム、リン、窒素のうちカリウムとリンについては化学肥料の生産が可能となっていたが、窒素についてはチリ硝石や石炭乾留の副産物としてできる硫化アンモニウムなどが使用されていたが、絶対量が不足していたため、空中の窒素を固定化する方法の開発が必要であった。

  多くの化学者が開発を競う中、ハーバーは1909年、窒素と水素のガスを高圧下でオスミウムという触媒層を通してアンモニア(NH₃)を精製分離することに成功した。

2 毒ガスの開発
  第一次世界大戦において、ハーバーは二つの面でドイツに貢献した。
  一つは、アンモニアの生成であり、もう一つは毒ガスの開発である。

  アンモニアは、合成肥料であるだけではなく、火薬の原料でもある。
  火薬にはすべてニトロ基が必要である。
  従来はチリ硝石を原料としていたが、海上封鎖によりチリ硝石の輸入が困難になった後、合成されたアンモニアが使用された。

  第一次世界大戦が始まると、ハーバーは毒ガス開発で主導的な役割を果たした。
  何故、ハーバーは毒ガス開発に手を染めたのあろうか?
  ① ハーバーはユダヤ人であったが、ドイツ社会で確固たる地位を築きたかった。
    19世紀のドイツではユダヤ人に対する締め付けが緩和され、ユダヤ人の社会進出が認められるようになってきていた。
    ハーバーは20代前半に、プロテスタント教会で洗礼を受け、キリスト教に改宗さえしていた。
    愛国心を発揮して、戦争の勝利に貢献し、ドイツ人社会で認められたかったのだと思う。

  ② どちらかが最初かは分からないが、ドイツ軍、フランス軍の双方で毒ガスを使うようになり、より効果のある毒ガスの開発が必要となり、化学者として著名なハーバーに期待が高まった。

  ハーバーの指揮の下に行われた最初の毒ガス攻撃は、1915年4月のイープル地区での戦い。
  連合国軍は、中毒者1万4千人、死者5千人という大打撃を受けた。

  ドイツ軍は国際社会から厳しい非難を受けたが、この後、毒ガスはドイツ軍、連合国軍の双方で使用されるようになった。
  
  ハーバーは、毒ガスを使用すれば早期に戦争を終わらせることができると考えたが、その狙いは外れた。

  1915年5月、ハーバーの妻、クララが夫の毒ガス開発への関与に抗議して自殺した。
  クララも博士号を持つ化学者であった。

  しかし、ハーバーの毒ガス開発への情熱はおさまらなず、以下のような展開を見せた。
  ① 東部戦線でロシア軍への毒ガス使用
  ② ジフォスゲン、ヒ素化合物、マスタードガス(イペリット)など、より強力な毒ガスを次々と開発

  しかし、ハーバーの奮闘もむなしく、1817年4月にアメリカが参戦したこともあり、1818年11月にドイツは敗北した。

3 ノーベル賞の受賞
  ハーバーはドイツの敗北で打ちのめされ、また戦犯として責任を問われるのでは、との危惧もあった。
  一方では、ドイツの復興のためには化学工業の再生が不可欠で、ハーバーの力が必要であった。

  そうした中、1818年11月、スウェーデン王立科学アカデミーはその年のノーベル賞化学部門の授賞者として、フリッツ・ハーバーを選定したと発表した。
  授賞理由は、アンモニア合成法が食料生産に寄与した、ということであった。

  この選定について、連合国側の化学者からは非難の声も出たが、アンモニア合成法がノーベル賞に値する顕著な業績であることに加え、敗戦で打ちひしがれているドイツ国民に希望を与えたいという選定者側の配慮があったのでは、とみられている。  

4 その後のハーバー
  ドイツの化学界のリーダーとして、研究を続けるとともに、後輩の育成にあたった。
  その中からノーベル賞授賞者も出てきている。
  敗戦後の経済の混乱のため、研究資金が枯渇する中で、資金集めにも奔走した。

  連合国側からドイツに課せられた巨額の賠償金の支払いに充てるためということで、海水から金を採取するという事業にも真剣に取り組んだ(これは完全に失敗)。

  1923年には、世界一周の旅に出かけ、 途中日本にも立ち寄っている。
  日本訪問の目的は以下の通り。
  ① 多額の研究資金を供与してくれていた星製薬の社長との懇親
  ② 叔父のルートヴィッヒ・ハーバーが領事として赴任していた函館で惨殺されていたが、その50周年にあたって建立された記念碑の除幕式に参列するため
  ③ 日本陸海軍に毒ガスに関する情報を伝えるため(これに関しては記録は残っていないが)

5 ヒトラーの台頭
  1932年、ナチスが第一党となり、ヒトラーが権力を掌握した。
  ユダヤ人排斥が始まり、ハーバーも例外ではなかった。
  1933年10月、ハーバーはドイツを去り、二度と戻ることはなかった。
  そして、1934年1月、64歳でスイスにて亡くなった。

  多くのユダヤ人がアウシュビッツなどの収容所で殺された時に使われた薬品「チクロン」は、ハーバーが開発したものであった。


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新渡戸稲造 [日本史]

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 *以下に拠る。
  「明治のサムライ 『武士道』新渡戸稲造、軍部とたたかう」
    文春新書 2008年刊。
    著者は比較文明論を専門とする太田尚樹さん。

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  新渡戸稲造(1862~1933)は、明治から昭和にかけての激動期に、国際的な感覚をもって内外で活躍した人物。
  その活躍の範囲は、以下の通り。
  ① 英文書籍「武士道」をアメリカで出版
  ② 台湾総督府殖産局長
  ③ 一高校長、東京女子大名誉学長
  ④ 国際連盟事務次長
  ⑤ 貴族院議員

1 札幌農学校卒業まで
  新渡戸稲造は、幕末の1862年、岩手県盛岡市で生まれた。
  東京英語学校で英語を学んだ後、16歳で札幌農学校に入学した。
  同期生には、終生の友となる内村鑑三や宮部金吾らがいた。
  教師はみなアメリカ人で、授業や日常生活はすべて英語であった。

  初代教頭であったウィリアム・クラークは、新渡戸が入学するときにはすでにアメリカへ帰国していたが、その教育方針は以下のようなものであった。
  ① 知育偏重を排し、人格主義の教育、人物養成に重点を置く
  ② キリスト教を基礎に置き、バイブルを尊重する

  その影響から、新渡戸や内村をはじめ学生の多くがキリスト教の洗礼を受けるようになった。
  成績は、新渡戸、内村、宮部の三人で常にトップを争った。

  新渡戸は、在学中にイギリスの哲学者、トーマス・カーライルの著書を読み、大きな影響を受けた。
  新渡戸はカーライルの本を何十回も読み、以下のようなことを学んだ。
  ① 人生は、能力や小細工ではなく、真面目なものが最後に成功する。
  ② 人間は、剛気と優しさを持たなければならない。
  ③ 理想の中に現実があり、現実の中に理想がある。
  ④ 人生において重んずべきは、人格である。

2 アメリカとドイツへの留学
  新渡戸は、札幌農学校卒業後、東大へ入学した。
  入学に際しての面接で新渡戸は面接官に対して、「東大で英文学の勉強を希望するのは、自分が将来、太平洋の(日米の)懸け橋になりたいと思っているため」と答えた。

  その後、22歳でアメリカに渡り、首都ワシントン近郊にあるジョンズ・ホプキンズ大学に入学した。
  そこで、新渡戸は後に大統領となるトーマス・ウィルソンと親しくなった。
  また、同大学在学中にフレンド教会(クエーカー派)に入会した。
  さらに、将来結婚することになるメアリー・エルキントンとも出会っている。

  25歳の時には、札幌農学校からの金銭的サポートを受けて、ドイツに留学する。
  ボン大学並びにベルリン大学で学んだ。

  ドイツから日本へ帰国する途中でアメリカに立ち寄り、メアリー・エルキントンと結婚した。
  新渡戸は29歳になっていた。

3 「武士道」出版へ
  札幌農学校の教授として札幌に戻り、多くの科目を担当したほか、自宅での日曜日ごとのバイブル・クラス、私立中学校の校長兼任、夜間学校の創設など、多くのことに携わった。
  しかし、せっかくできた子供が病死するという不幸も重なって、心身の衰弱を覚え、3年後には札幌を離れることになった。

  カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の保養地で病気療養する間に英文で書き上げたのが「武士道」という書籍である。
  西欧人の考え方の基盤にキリスト教があるように、日本人の倫理観の底にあるものとして武士道を捉え、アメリカの人々に日本人の思考構造を理解してもらおうとした。
  1905年、日露戦争の勝利により日本が欧米の注目を集めるようになると、この本も売れ出した。
  原書は英語であるが、日本語のほか、ドイツ語、ロシア語、イタリア語などに翻訳された。
  セオドア・ルーズベルト大統領も愛読したと言われる。

4 その後の活躍
(1)台湾総督府
  新渡戸は39歳の時に、請われて日本の植民地となっていた台湾に行く。
  そこで、甘藷栽培を推進し、台湾に砂糖産業を確立させた。

(2)一高校長
  その後、京都大学教授として日本に戻ったが、44歳の時に東京にある第一高等学校の校長に就任した。
  それまでの一高はバンカラ的、保守的な傾向が強かったが、新渡戸は人格主義、教養重視、社会性尊重に改めた。
  新渡戸の人柄は多くの学生をひきつけ、その中から河合栄治郎、矢内原忠雄、田中耕太郎、鶴見祐輔など数多くの学者、知識人を輩出することになる。
  また、谷崎潤一郎、和辻哲郎、芥川龍之介、菊池寛などの文学者も新渡戸の薫陶を受けた。

(3)国際連盟事務次長
  第一次大戦後に設立された国際連盟の初代の事務次長として、新渡戸が選ばれ、57歳の時にロンドン、その後、ジュネーブに赴任した。
  7年間、総会、理事会の運営に携わるほか、ヨーロッパ各地を講演して廻った。

(4)日米関係改善のための活動
  日本に戻り、貴族院議員に選ばれる一方、太平洋問題調査会理事長として、太平洋地域の平和のため、外国の代表団の理解を得るために活動した。
  
  1932年、70歳の時には、対日感情が悪化するアメリカへ行き、各地で主要な政治家と面談するとともに講演活動を行った。
  新渡戸は数度にわたり昭和天皇に対して国際情勢に関する進講を行っていたが、厳しくなる一方の日米関係を天皇が憂慮して、天皇から新渡戸に対して、日米関係の改善のために努力してくれ、と言われれば、老躯に鞭打ってアメリカを回らざるを得なかったと思われる。

  1933年、新渡戸は71歳の時にカナダで倒れ、帰らぬ人となった。
  日本は、新渡戸が亡くなる8か月前に、国際連盟を脱退していた。

5 新渡戸の保守的な側面
  国際的な知識人として内外で活躍した新渡戸であるが、その保守主義的、帝国主義的側面も指摘されている。

 ① 満州事変での日本の行動を肯定している。
   関東軍は1931年9月、南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国軍の仕業として軍事行動を開始して、満州事変が始まった(柳条湖事件)。
   新渡戸は「私は満州事変については、我らの態度は当然のことと思う。しかし、上海事件に対しては正当防衛とは申しかねる」と言っている。

 ② 朝鮮人の苦しい生活ぶりをもとに、韓国併合を支持した。
   新渡戸は朝鮮人を「有史前紀」の民であり、その習風は「死の習風」である、と言った。
   また、「原始的人民」であり、「野性的気こん」もない、と書いている。

 ③ アイヌ民族の自治を目指す活動には否定的であった。
   新渡戸は、アイヌ民族を「臆病で消滅に瀕した民族」であると、書いている。

  *②と③は「明治日本の植民地支配」(井上勝生著、岩波書店 2013年刊)に拠る。

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「中国では書けない中国の話」 [現代社会]

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 河出書房新社、2017年8月刊。
 著者は、ユイ・ホアさん。北京在住。
 中国で小説を発表するとともに、中国の現状に関する記事をニューヨークタイムスなど、欧米の新聞雑誌に寄稿している。
 本書は、それらの寄稿をまとめたもの。

1 陳情制度
  人々は司法を信用せず、問題があると国に陳情する。
  北京の国家陳情局は、陳情を受け付け、地方政府から人を読んで、陳情者を引き取らせる。
  国がこの陳情というシステムを残すのは、人々が過激な行動に出ないよう、不満のはけ口とするため。
  地方政府は自分のところから陳情者が出ることを恐れる。
  安定維持の名目のもとに、陳情しようとする者の足止めや勾留などを行う。

2 検閲制度
  ある小説が公然と出版販売されているのに、その本を基にした映画の上映が許可されないということがある。
  これは、書籍の場合、発行する出版社の社長が審査をするが、映画は国家電影局の役人の審査となるため。
  出版社は500社もあり、どこかの出版社がOKを出してくれる。
  それに、政治的にリスクのある本は人気があり、儲かる。
  国家電影局の役人は、無理してOKを出しても自分にプラスになることはない。

3 封建的なやり方
  民衆を手なずけるには、毛沢東が唾棄した封建的なやり方の方が効果がある。
  例えば、ある地方政府は都市開発のために一千個余りのお墓を一か所にまとめたが、それが洪水で流されてしまった。
  人々は激怒した。
  地方政府は、十数人の風水師を雇い、人々の説得にあたらせた。
  風水師は、怒りを鎮めるため「みんな金持ちになれる」と言った。
  中国では、水に触れれば金持ちになれるという俗信があり、みんな納得した。

  また、ある地方政府では購入した資材が近所の住民に盗まれる被害が続出した。
  住民は、政府の財産を取っても、盗みにはならないと考えている。
  そこでその地方政府は「寺院建設用」という立札を立て、盗みを防止した。
  人々は、寺院のものを盗むとバチが当たると思っている。

4 階級闘争
  毛沢東の時代は、資本家や地主がいなくなり、みんなが貧しく階級矛盾などなかったが、「絶対に階級闘争を忘れるな」と叫んでいた。
  一方、現在は貧富の差が激しく、また、役人の汚職が蔓延している。
  階級矛盾が存在する今の時代に、国は民衆の暴発を恐れ、「絶対に(階級)闘争を忘れろ」と叫んでいる。

5 歴史に対する反省
  日本政府の自国の歴史に対する態度は中国人を怒らせたが、中国政府の自国の歴史に対する態度にも、反省が必要だ。
  中国政府は、日本政府に対して、自国の侵略の歴史に対して正しく向き合わないと、日本はまた同じ道を歩むことになる、と警告する。
  しかし、中国政府も自国の文化大革命の歴史に正しく向き合わないと、我々もまた同じ道を歩む可能性がある。

6 汚職により得たお金
  中国では、マネーサプライが急増しているのにインフレがさほど進行していない。
  ある経済学者は、その理由として「マネーサプライの残高の50%は汚職官僚により現金で隠匿されている」ため、と言った。
  50%という数字が正しいかどうかは分からないが、中国の汚職官僚たちが隠匿して流通しない現金の額が驚異的なものになっていることは間違いない。

7 株式市場
  中国の株式市場では、株価が業績と関係なく暴騰し、また暴落する。
  暴落しても、国が救ってくれると投資家は考え、借金をして株を買う。
  ある企業は倒産した後も、株価は上昇を続けた。
  また、ある国有企業は赤字で給料も支払えない状態であったが、その国有企業に出資している地方政府は、高値の株式を売却して、その国有企業を支援した。

8 インターネットの検閲
  中国の検閲機関は、特定の文字が使用されているとその記事を発信できないようにする。
  例えば、天安門事件の日である「6月4日」。人々は、「5月35日」という言葉を使用して、検閲をすり抜ける。読む人は意味することを理解できる。
  また、「革命」という言葉は、「開花」という言葉で代替する。

  インターネット上で独自の思想を表明しようとするとき、人々は出来るだけ修辞法を使う。
  暗示、比喩、風刺、嘲笑、誇張、連想などを最大限利用する。

9 汚職
  不透明な政治の下での経済発展が大量の腐敗をもたらした時、政府は不適当なやり方で腐敗を退治している。
  だから、腐敗の退治と同時に、新たな腐敗が生まれてしまう。

  ある官僚が腐敗を理由に軟禁状態で取り調べを受け、事件にかかわった実業家も拘束された。
  すると、検察と関係の深い人物が拘置所に行き、実業家と面会し、財産を安く譲ってくれれば補色の道があると告げた。

  

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