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ヨーロッパの名画から [美術]

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  以下の書籍を参考にした。
    高階秀爾著「名画を見る眼」 岩波新書 1969年刊

1 プーサン「サビニの女たちの掠奪」1637年制作 
         ニューヨーク メトロポリタン美術館所蔵
サビニ 略奪.png

(1)ニコラ・プーサン(1594~1665)はフランス生まれの画家であるが、その生涯のほとんどをイタリアで過ごした。

(2)この絵は、ローマ建国の頃のエピソードを基に描いたもの。

(3)ローマが建国された頃は、市民の多くが軍人や他国からの流れ者で、女性がとても少なかった。しかし、国の発展のためには、男たちが結婚して子供を増やしていくことが必要だった。このため、ローマ人たちは、お祭りを催すからと言って隣国のサビニの人々を招き入れ、集まったところでサビニの女たちに襲い掛かった。サビニの人たちは必死になって抵抗したが、結局、女たちは奪われてしまった。

(4)それから数年後、サビニの男たちは報復のためにローマに押し寄せた。ローマ人たちは武器を取って迎え撃とうとしたが、ローマ人と暮らしていたサビニの女たちが両者の間に入り、仲直りさせた。その場面が以下の絵。
  <ジャック・ルイ・ダヴィッド 「サビニの女たち」 1799年制作 ルーブル美術館所蔵>
サビニの女たち.png

2 マネ「オランピア」 1863年制作
           パリ オルセー美術館所蔵
オランピア.png

(1)エドゥワール・マネ(1832~1883)は、19世紀の絵画を近代絵画の方向に大きく推し進めた革新者。

(2)この作品は1865年のサロンに出品されたが、大きな騒ぎを引き起こした。当時の新聞や批評はこぞってこの作品に厳しい非難を浴びせた。

(3)物議をかもした理由は・・
  ① 女性の裸体自体を描くことは、それまでにも例があり非難されることではない。しかし、それまでの裸婦像は、神話か、歴史か、寓意の見せかけの衣がかけられていた。しかし、「オランピア」は、街中で出会う少女をそのまま裸にしたようにして描かれていた。当時の道徳的な常識では、この作品は超えてはいけない一線を越えてしまっていた。

  ② マネはその2年前にも「草上の昼食」(オルセー美術館所蔵)という作品で物議をかもしていた。それは、裸の女が当世風の服装をした二人の男たちと一緒にいるというものであった。
草上の昼食.png

(4)当時、社会に対する反逆者として美術界をリードしていたのはクールベであるが、彼に対抗意識を燃やしていたマネはこれらの作品により、クールベをはるかに超えていくことになる。
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