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漱石「硝子戸の中」 [日本文学]

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  1915年、夏目漱石が48歳の時の連作エッセー。
  全体として26個の話から構成されている。

  この中で特に「死」にかかわる部分を拾ってみると・・

1 「死」は最上至高の状態
   いつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。
   死というものは、生よりは楽なものだとばかり信じている。
   それを人間として達しえる最上至高の状態だと思うこともある。

2 しかし、私は生きることを助言する
   回復の見込みがつかないほど深く傷つけられた女性に対して・・

   ① 「時」がその傷口を次第に癒してくれる。
   ② 彼女にとって、その傷が痛みであると同時に、普通の人にないような美しい思い出の種となっていた。「時」は傷を癒すと同時に、この大切な記憶を失わせる。
   ③ それでも、いくら平凡でも生きてゆく方が死ぬよりも彼女には適当だった。

3 医者の拷問
   医者は、安らかな眠りに赴こうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝らしている。

   こんな拷問に近い所作が、人間の徳義として許されているのを見ても、以下に根強く我々が生の一字に執着しているかが分かる。

4 自分は死なないと思っている
   ある人が言った。
   「他人の死ぬのは当たり前のように見えますが、自分が死ぬということだけはとても考えられません」

   戦争に出た経験のある男に「隊のものが続々倒れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いた。
   その男は「いられますね。死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。

   私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。

5 継続中のものを抱える人生
   人の心の奥には、自分たちさえ気の付かない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか。
 
   しょせん我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を思い思いに抱きながら、一人残らず、遠い所へ、談笑しつつ歩いていくのではなかろうか。

   ただ、どんなものを抱いているのか、人も知らず、自分も知らないので、幸せなんだろう。

  * この作品には「死」にかんする具体的な話がいくつも出てくる。
   ① 愛犬のヘクトーの死
   ② いとこの高田の死
   ③ 芸者の御作が見受けされ、ウラジオで亡くなった。
   ④ 同じ会社の佐藤君の死
   ⑤ 旦那二人が若い芸者を身受けすることでもめ、その芸者が自殺してしまった。
   ⑥ 大塚楠緒さんの死(「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」という句を手向けた)
   ⑦ 長兄の死
   
 
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