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古美術読本「陶磁」 [美術]

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  光文社「知恵の森文庫」の一冊。2006年刊。
  当初、1987年に出版された本を文庫に収録したもの。

  陶磁についての、いろいろな執筆者によって書かれた文章を集めている。

1 「陶磁の美」 芝木好子(小説家)
  ・東洋陶磁を楽しむのに、大阪市立東洋陶磁美術館ほど良いところはない。
  ・私は李朝の、白磁に呉須の草花文の清楚さも好きだが、中国のものに一層惹かれる。

  ・中でも私の好きなのは青磁で、北宋官窯の端正で清冽な翠青や、藍青色の瓶や壺をみると、心を洗われる。

  <飛青磁 花生>
飛青磁花生.jpg

2 「染付皿」 小林秀雄(評論家)
  ・平凡な日常性のうちに生きている美、これが利休の美学の根本観念であった。彼の健全な思想が、茶人趣味に堕落したという問題は別にして、日用雑器の美に対する非情な鋭敏、平凡な物、単純なもの、自然なもの、というような言葉で、仮に呼ばれている美についての、非常に高度な意識、それが、利休の美学によって、私達日本人の間に育てられたことは間違いない。

3 「秘色青磁」 幸田露伴(小説家)
  ・青磁は柴窯(さいよう)からということになっていて、昔から異論もなく、その初頭の青磁を秘色と称えて非常に結構なものとしているが、誰もまだ確実明白に、これが真の秘色だという極めのついたものを、歴史的の証拠を具備して見定めた者のあることを聞きませぬ。

   *柴窯は、後周の柴世宗が作らせた窯であるが、その場所はいまだ確認されていない。また、そこで作られた青磁は、歴史上最上級の「幻の至宝」とされているが、公に認めらてたものはまだ一点も発見されていない。

4 「李朝陶磁の美とその性質」 柳宗悦(民芸研究家)  
  ・日本ではとかく正確さに執心したり、逆に不正確さに美しさがあると気付くと、すぐ不正確さに執心する傾きが濃い。日本の楽茶碗のごときは、この執心の表れに他ならない。

  ・ところが井戸茶碗などをみると、もとより正確さに無関心な心が生んだものゆえ、どこかに歪みが出ているが、その歪みは決して不正確さに執心があっての結果ではない。朝鮮では正確さにも、また不正確さにも気を奪われることがないのである。

  ・茶人たちが随喜した井戸のごとき高麗茶碗は、茶意識のごときものから解放されたものなのである。それはもともと雑器で非茶器であった。実はこの美意識から解放された自由さが「井戸」の美を生んでいるのである。

 <井戸茶碗>
井戸茶碗.png

5 「日本の陶器の味について」 小林太市郎(美術史家)
  ・中国の磁器は土から出ながら、土を離れて玉となり、天空の色をあらわすものに他ならない。

  ・日本の陶磁は決して玉とならず、天の色をあらわさない。いかに精妙な日本の青磁であっても、それが中国青磁と同じく滴るような雨後の晴天を示すということは決してない。日本の青磁の色はどんなによくしても土の色である。天の光がそこにはない。

  ・土を離れず、陰に止まるところに、かえって日本陶磁器独特の妙味がある。

6 「茶碗の美しさ」 谷川徹三(哲学者)
  ・茶碗というものは使用によって美しくなるものである。

  ・井戸茶碗のあの肌のさびた味わいは、長年使っている間に自然に茶渋や手脂のしみ込んだところから生まれたものなのである。

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