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日本人によるスイスアルプス登頂の歴史 [昭和史]

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  4,000メートル前後の高峰が聳え立つスイスアルプス。
  そこに日本人登山家が偉大な足跡を残した。

  以下に拠る。
  ・「山の旅」 岩波文庫 

1 アイガー東山稜の初登攀
   (3970メートル)  槇有恒     1921年
  当時、南側と西側からは登頂できていたが、東側と北側はまだ誰も登ったことがなかった。
  東側は約3,000メートルの断崖が屹立している。
  3人のスイス人ガイドとともに登頂。

  アイガーは石灰岩でできている。
  概して、岩の面が平滑で堅く、手足の懸かりが少なく登りにくい。
  この辺りは、分厚なスレートの層を斜めに重ねたような感じである。
  
  午後5時、山稜の一地点に、間口が60センチ、奥行きが120センチほどの自然にできている穴を発見し、露営の場所と決めた。

  日が暮れ切ると、風も雲もだんだん激しくなって、雪さえ降ってきた。
  粉雪が目にも耳にも吹き込む。

  翌朝、午前6時に行動を開始し、3,500メートルくらいのところに辿り着く。
  ここまでは、今までこの山稜の登攀を試みた人たちも登っているが、この上の急にそそり立つ痩せた絶壁がこの人たちを追い返した難場である。

  この難場の200メートルを登り終えるのに、朝の9時から午後の5時までかかった。
  午後7時15分前、ついに頂に立った。

  直ぐに降り始め、ふもとの町に戻ったのは午前3時であった。

  朝になると、花火がとどろき、広場は人の群れだ。
  皆がおめでとうと言う。
  村の山と言っても良いアイガーの、それも村からよく見える東山稜が、長い間登られずにあったというのだから、村の人たちが喜んでくれたのは、もっともだと思う。

2 ウエッターホルン西山稜の初登攀  
   (3701メートル)  浦松佐美太郎  1929年

  山へ登る者の数が増え、技術が発達するとともに、昔の人たちが念頭にも置かなかった岩角や氷の懸崖に、新しい魅力を感じるようになる。
  かくして、山はそのあらゆる方面から、人によって頂上が極められるようになった。

  ウエッターホルン西山稜も、アルプスに残されていた問題の一つであった。
  麓の村々の者には、不可能の山稜として思いあきらめられていた。

  しかし、あきらめきれないスイス人ガイドがいて、私にこの西山稜を一緒に試みることを薦めた。

  朝4時、小屋を出てガイド二人とともに登り始める。
  しばらく氷河を登る。
  大きな塔のように聳え立つ褐色の岸壁の、北側の麓に当たる所で、ともかくよじ登れそうな 足場を見出す。
  ずるずる崩れ落ちる足場の悪い岩を登ってゆく。

  岩の角に足を掛けて向こう側へ飛ぶ。
  下をのぞくと、靴の先のひっかかっている岩角から真直ぐに600メートル下のクリンネ氷河までの間は、空気の他には何もない。

  岩が凍っているので指に吸い付く。
  50度から60度の急さだったろう、背中のルックサックが体を後ろへ引くのに苦しまされる。

  さらに上へと昇り始める。
  汗で体がぐっしょりと濡れている。

  難所を超え、丁度12時、岩の上に腰を下ろし、ルックサックを開いてあるだけの御馳走を食べる。

  最後の急な斜面を登る。
  青空へ突き刺すように昇っていた氷の一線が、とたんに目の前に切れてなくなる。
  頂上だ。

3 アルプス三大北壁の登頂   今井道子
   女性として初めてアルプスの三大北壁の登頂に成功した。
  
      1967年 マッターホルン北壁登頂  4477メートル
      1969年 アイガー北壁       3970メートル
      1971年 グランド・ジョラス北壁  4208メートル

<アイガー北壁>
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