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「漂流記の魅力」 [日本文学]

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  新潮新書の一冊。2003年刊。
  著者は小説家の吉村昭さん。

  江戸時代に、日本沿岸で遭難し、ロシア領に漂着した人々のことを描く。

1 江戸時代の船
(1)船の構造
   鎖国のため外国へ行く船は必要とせず、内海航路を航行することのみを目的として設計、建造された。
   帆柱は一本で、また、船が川をさかのぼれるように舵が引き上げ式になっていた。
   舵の耐久性に弱点があった。

(2)船の利用
   国内の荷物の運搬の多くは船によって行われた。
   港湾の設備も整備されていた。
   馬による陸路の運搬も可能であったが、効率が悪く高価につくため、大量輸送には向かなかった。

2 主要航路
   航路は、波が穏やかで安全な日本海側や瀬戸内海が幹線航路となった。
   
   しかし、大阪から江戸へ荷物を運ぶには太平洋側を航行することが避けられないが、海難事故が多発する魔の航路であった。理由は・・
   ① 気象状況の変化で、海が荒れ狂う。
   ② いったん漂流すると、日本列島沿いに南から北に流れる黒潮によりはるか遠い海域まで流されてしまう。
   
3 暴風雨による遭難
(1)以下の順序で対応する。
   ① ちょんまげを切り、ざんばら髪で神に祈る。
   ② 積載した荷物の一部を海へ投棄する(刎ね荷)。
   ③ 帆柱を切り倒す。

(2)黒潮の流れに乗り漂流を始めると、大半は船が沈没するか、そうでなくても食料や飲料水が尽きて、次々にに死者が出て無人船となる。

(3)陸に辿り着いても、そこで死に果てるか、現地の住民に掠奪、殺害されることが多かった。

4 日本への帰還
(1)18世紀後半以降、漂流民の中から日本への帰還を果たすものが出てくるようになった。
   その主な理由は・・
   ① ロシアが日本への進出の準備のために、日本語のできる自国民を養成するようになり、ロシア領に漂着した日本の漂流民を日本語教師として利用しようとした。

    (ロシアは、日本の漂流民にキリスト教の洗礼を受けるように薦めた。キリスト教の信者になれば、キリスト教を厳しく禁止している日本に帰ることは出来なくなり、死ぬまで日本語教師として働くことになるため。)

   ② 19世紀に入ると、太平洋に外国の捕鯨船や交易船が増え、それらの船に救助される例が出てきた。

(2)しかし、いったん救助されても、外国の地で亡くなるものの方が多かった。
   ① 長期間漂流した場合、壊血病にかかる。
   ② 外国の食べ物に慣れることができない。
   ③ ロシアでは、厳しい寒さに対応できない。

(3)運よく日本に帰還しても、幕府の取り調べがある。
   まず、キリスト教に帰依していないかが調べられる。
   帰依していないと確認された場合は、難破や漂着の状況、その後の外国滞在の状況などが細かく聴取される。

   故郷に戻ってからは、国内であっても他地域への旅行は禁じられた。
   ジョン万次郎のように英語の能力を買われ、通訳となって活躍する漂流民が現れるのは、幕末になってからである。