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「浄土真宗とは何か」 [宗教]

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  中公新書の一冊。2017年1月刊。
  著者は日本宗教史を専門とする小山聡子さん。

1 天台宗
   唐に学んだ天台宗の開祖最澄(767~822)ならびにその弟子たちは、釈迦如来を中心とする教義を構築し、天台密教を完成させる。
   天台宗は、比叡山延暦寺に総本山を置き、のちに法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった鎌倉仏教の祖師を生み出すことになる。

   平安仏教の役割(現世利益のために加持祈祷を行う)
    ① 鎮護国家
    ② 延命安穏、病気治療

  *病気治療の役割分担
    陰陽師  占いにより、病気の原因を見定める。
    原因が・・・
     ① モノノケ(正体の分からない死霊の気配)の場合
        僧侶による修法や加持が効果的とされた。
     ② 疫神や呪詛の場合
        陰陽師が祭りや祓いを行う。
     ③ 食中毒が原因の場合
        医師が投薬や灸などの治療を施す。

2 浄土教の流れ
(1)源信(942~1017) 
    比叡山の世俗化を嫌い、末法の世への危機意識を持ち、極楽往生のための指南書「往生要集」を著した。
    末法の時代に生きる人間は、現世で悟りに至ることは不可能なので、阿弥陀仏にすがって念仏をして極楽往生を遂げ、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聞き仏になるしかない、とした。

(2)法然(1133~1212)
    25年間比叡山で学んだ後、ただ念仏のみに専念することを説くようになる。
    源信は臨終時の念仏を重視したが、法然はそれを特に重んじなかった。
    法然は、前世の因縁による病を患った場合に、仏や神に祈るのは無意味とした。
    阿弥陀仏の本願を深く信じて念仏を称え往生を願う人は、阿弥陀仏をはじめとする諸仏菩薩から守られているのだから、ことさら魔を払うために様々な仏菩薩や神に祈ったり、物忌みをしたりする必要はない、
    ただし、依頼があれば祈祷を行うことを拒まなかった。

3 親鸞とその弟子
(1)親鸞(1173~1262)
    29歳まで20年間、比叡山で天台僧として修業をした後、法然のもとに行き着く。
    そこで法然の教えを学ぶが、33歳の時に、ある事件の影響で、法然は土佐へ、親鸞は越後へ流罪となる。
    親鸞は5年で流罪を解かれたが、その地にさらに2年留まり、その後、常陸国(茨城県)に向かい、そこに居を構えた。
    親鸞は62歳で京都へ戻るまでの22年間、常陸国で熱心に布教活動を行った。
    親鸞の弟子の大半は、この地で親鸞から教えを受けた者たちである。
    京都に戻った後、90歳で亡くなるまでの28年間、布教活動は行わず、執筆を行うのみであった。

(2)親鸞の教え
  A 末法に生きる者は自力で悟りには至れない凡夫であることをまずは深く自覚する必要がある。
  B 極楽往生には、阿弥陀仏により与えられる信心(他力の信心)が不可欠である。
   (臨終行儀による極楽往生を否定した)
  C 他力の念仏とは、現世利益や往生のために少しでも多く称えようとするものではなく、信心を得たその時に自然と口をついて出てくるもの。
  D 法然と同様、仏菩薩や神への不拝を説いた。
    
(3)他力信心の難しさ。
   親鸞は59歳の時に、風邪をこじらせ一時重態になった。
   この時、高熱によってもうろうとなったためであろうか、寝ていながら経典読誦をしてしまった。
   これは病気回復という現世利益のための自力行為であり、他力の念仏とは相容れない。
   親鸞は後に、このことを失敗談として語っている。
   親鸞は、阿弥陀仏の本願力を少しも疑わずに信じることがいかに難しいかを実感した。

4 蓮如(1415~1499)
   親鸞の教えは、その子孫により代々受け継がれ、蓮如により大きく発展した。
   蓮如は、親鸞の流れをくむお寺を、浄土真宗という一つの教団にまとめる基礎を作った。
   また、山科本願寺を完成させ、本山とした。

   蓮如の死後、その子孫の努力により教団はさらに発展し、織田信長など時の権力者と争うほどになった。
   また、徳川時代に入り、教団は西本願寺(浄土真宗本願寺派)と東本願寺(真宗大谷派)とに分裂し、現在に至っている。

5 親鸞の教えの難しさ
(1)浄土真宗の教えでは、阿弥陀仏一仏に帰依すべきであるとしている。しかし、蓮如をはじめ後継者は祈願のために他のお寺や神社への参詣を行ったりしている。少なくとも中世の段階では、教義上はともかくとして、実際の信仰は一神教的とは必ずしもいえない。

(2)他力による往生は、深い学問知識や峻厳な修行は不要で、一見、やさしい。しかし、極楽浄土に住む阿弥陀仏の姿そのものを目にすることは決してできない。不可視の阿弥陀仏を信じ切り全面的に身をゆだねることは、非常に難しい。


   * 現代においてこうした宗教はどのような意味を持つのであろうか。
     中世の時代には謎とされていたことも、現代ではその多くが解明されている。
     病気の多くもその原因が解明され、治療が行われている。
     一方、ご利益を期待しての初詣や、パワースポットといわれるところへの参詣は今も人気がある。
     現代においても、死の恐怖はある。しかし、現代に生きる我々で、「極楽往生」という願望を持つ人は少ないのではないか。