So-net無料ブログ作成
検索選択

「幕末の世直し 万人の戦争状態」 [日本史]

IMG_20170726_0001.jpg

  吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」の一冊。2010年刊。
  著者は、日本近世史を専門とする須田務さん。

  江戸時代後半から末期にかけて、幕藩体制の崩壊の動きを、地方で頻発した騒動から見ていく。

1 伝馬(てんま)騒動
  1764年2月から翌年1月にかけて、武州(現在の埼玉県東京都神奈川県一帯)を中心に中山道周辺の1,000か村の百姓たち20万人が、幕府の施策に反対して、強訴、打ちこわしを起こした。

  関東地域で初めて発生した大規模広域化した百姓一揆であった。
  一揆の側は、不参加の村は打ちこわすと脅して、百姓を参加させた。
  原因は、わいろを受け取った老中首座の役人が、さらなる使役を百姓に課したことにあった。

2 上州絹一揆
  1781年6月、上州(現在の群馬県一帯)の百姓2万人が、絹取引の仕組みを変更するという命令に反対して立ち上がった。
  一揆勢は、変更を決定した老中首座の居城である高崎城を包囲した。
  幕府の権力者の居城が一揆勢に包囲されるというのは、前代未聞であった。
  その後、一揆勢は多くの有力商人の屋敷を打ちこわした。

3 天明江戸打ちこわし
  1783年から始まった天明の飢饉により、江戸では米価の上昇が続いた。
  困窮した貧民は、江戸全体で1,000軒の米穀商や質屋を打ちこわした。
  参加したのは日雇いや職人であったが、規律を保ち、沈着に行動していたといわれる。

4 農村部の経済格差拡大
  幕府が財政補てんのために始めた公金貸し付けの結果、農村部で経済格差が拡大していった。
  富裕な百姓は、地主経営を安定させ、金貸し、在郷商人として儲けた。
  一方では、土地を手放し、小作人に転落する小農がいた。

  財政難は幕府だけではなく、全国の幕藩領主共通の問題となり、彼らは特権商人と結託し、収奪を強めた。
  没落した百姓のせがれたちは、農業と親を捨て、宿場などの商業地に流入した。

5 甲州(現在の山梨県)騒動
  天保の飢饉が深刻化していた1836年、飢餓に苦しむ郡内地域(現在の大月市周辺)で始まった。
  一揆勢の当初のねらいは、米価の引き下げと豪農・豪商からの米の借り入れであった。
  しかし、次第に打ちこわしや盗みが目的になって行った。
  一揆勢に渡世人・無宿といった人たちが加わり、刀などの武器を持つようになった。
  一揆勢は甲府城下並びにその周辺で、打ちこわしを繰り返した。

  甲州の大部分は幕府の直轄地であったが、軍事力は脆弱で一揆勢を鎮圧出来なかった。
  このため、隣の諏訪藩に鎮圧の要請が出された。
  また、村々・一般百姓に一揆勢殺害を命令した。

  支配地域の治安を維持できなかった幕府の権威は地に落ちた。

6 自衛組織の出現
  1863年、幕府は代官陣屋を警備する民兵組織を作った。
  多摩地域では、代官が農民銃隊というものを組織した。

  また、打ちこわしを恐れる豪農たちは、自衛にための防衛組織を作るようになった。
  治安維持に関する幕府への信頼は失われていった。

  農兵の設置は江戸時代の兵農分離の原則を破る、身分制度の根幹にかかわる重大問題である。

7 天狗党の乱
  1864年、水戸藩尊王攘夷派のうち過激な者たち約60名が、幕府に尊王攘夷を迫るため筑波山に挙兵した。
  天狗党は約8か月間にわたり、北関東地域の町村に対して金銭や食料等の強要を行い、幕府軍と交戦して、北関東各地を戦場に陥れた。
  近隣各藩から集められた幕府軍は初戦は勝利したが、天狗党の夜襲に総崩れとなり、敗走した。
  その後、天狗党の総勢1,000名は京都に向かうため、中山道を進み、信州を抜け、加賀藩に投降した。
  幕府はこのうち352名を処刑した。水戸藩に戻された者も多くは幽閉された。

  天狗党の乱で、北関東の多くの町村が焼かれ、人々は天狗党の暴力に恐怖し、幕府・天狗党双方から金品を強要、強奪された。
  幕府軍は敗退し、人々を守れなかった。
   
8 戊辰戦争
  1868年1月、鳥羽・伏見の戦いをきっかけに戊辰戦争が始まった。
  同年2月、新政府軍が中山道碓氷峠にまで迫ると、高崎に近い幕府直轄領の役人たちは、屋敷を捨てて、江戸に向かい逃走してしまった。
  地域の弱小藩に力はなく、上州地域は権力の空白地帯となってしまった。
  このため、世直し運動が頻発するなど混乱を極めることになった。


「アンデスの奇蹟」 [海外文学]

IMG_20170725_0001.jpg

  1972年、南米アンデスの、雪が積もる山中に墜落した飛行機の乗客が、亡くなった人の肉を食べて生き延び、生還したという衝撃の実話。
  2006年出版された本書の著者の一人、ナンド・バラードさんはその生還者。
 
  この事件については、1973年に「ALIVE(生きてこそ)」という本が出版され、ベストセラーとなった。また、何回か映画化もされている。

1 飛行機の遭難
  1972年10月、ウルグアイのラグビーチームを乗せた乗員乗客45名のウルグアイ空軍チャーター機がアンデス山脈の高度3,700メートル地点に衝突、墜落した。

  飛行機はプロペラ機で飛行高度に限界があり、アンデス山脈の高峰の間を抜けていく必要があった。
  また、当日の悪天候が操縦士を苦しめた。
  「突然、期待が横へ滑りながら急降下した。その後四回、乱気流のポケットへまともに突っ込んだらしく、飛行機の胴体に鋭い上下動を感じた。」

  「私たちは濃い雲の中を飛んでいるが、雲の切れ目の向こうを、一瞬、岩と雪の巨大な壁が通り過ぎた。操縦士は必死の思いで急上昇を試みた。次の瞬間、金属が何かに打ち当たるような、そら恐ろしい騒音が響いた。突如、頭上に空が開けた。凍える寒気が顔面を叩きつけた。私は、信じがたいほどの力で自分の座席からもぎり取られ、前方へ投げ飛ばされた。」

2 生存者
  45名のうち27名が生き残った。重傷者は私を含め三人。
  私の頭蓋の割れた部分はまたくっつきあってきていた。
  あとは、両脚を複雑骨折している者と、右ふくらはぎの筋肉を骨からむしり取られている者。
  医師はいたが、手持ちの医療品は悲しいほど少なかった。
  
  食料や衣料をかき集め、仲間が全員生き延びられるように、全力を尽くした。

3 寒気と渇きと飢え
  生存者を最初に襲った苦しみは、寒気だった。
  季節はすでに春先だったが、アンデス山中はまだ冬の真ん中にあり、二十四時間ぶっ通しで吹雪くこともあった。

  また、渇きも生存者を苦しめた。
  雪が積もった氷河の上にいるが、効率的な融雪の手段を持っていない。
  しかし、座席についているアルミの薄板を集め、日差しで雪が解けるような工夫をして、何とかしのいだ。

  墜落から1週間。食料は尽きた。
  高所では平地以上に、体が熱量を必要とする。一日1,500カロリーは必要だ。
  しかし、事故以来、一日数百カロリーしかとっていなかった。ここ数日はゼロ。
  何度も何度も機体の中を漁りまわった。食べられるものは何もなかった。

4 亡くなった人の肉
  「なんとしても、何か食べられるものを見つけなければ、という重圧に耐えながら、私は大分長いこと、三、四十メートルの近間にある、唯一食べられるものを、見てみないふりをしてきた。」

  「私の気持ちは、雪の下に横たわる凍結する死体の周辺から、遠く離れることがなくなった。私たちが生き延びる唯一の可能性はあの死体にある、と承知していた。」

  「数日にわたって、私達は五人でその問題について話し合い、結局みんなに集まってもらって、この話を持ち出そうということになった。」

  その話し合いで、一人が「神様がそんなこと許してくれるだろうか?」と言ったのに対し、ある者が「食べないということは、自ら死を選択すること。神は、我々があらゆる手段を尽くして生き延びることを望んでいる。私はそう信じる」と答えた。食べて生き延びることにした。

5 雪崩
  事故から16日目、雪崩が襲ってきた。
  一人を除いて全員が雪に埋まって見えなくなった。
  一人また一人、掘り出されると、そのまま雪の掘り起こしに加わる。
  しかし、懸命の努力にもかかわらず、全員を救出することは出来なかった。
  生存者は27名から19名になった。
  機体の中も雪のせいで狭くなり、また、毛布などもなくなった。

6 脱出へ
  11月17日、事故から36日目、東に向かって比較的元気な三人が派遣隊として出発することになった。
  しかし、途中で東側に進んでも山中を脱することは難しいと判断して、機体の処へ戻った。

  今度は西に向かって進むことにした。
  高所の希薄な空気、そして厳しい寒気が難敵であった。
  12月12日、事故から61日目、西に向かって三人は出発した。
  (一人は途中で引き返し、二人になった)
  二人は出発して4日目に5,000メートルを超える峰を超え、川に沿って進み、12月21日、10日目に農夫に出逢った。

  22日に6人、23日に8名がヘリコプターにより救出された。生存者は16人であった。
  このニュースは「クリスマスの奇蹟」として世界中を駆け巡った。

  「多くの報道機関はセンセーショナリズムを煽るような形で、私達が生きんがために何を食べたか取り上げた。私たちが救助された直後に、カトリック教会の大幹部が声明を出した・・教会の教理に照らしても私たちが死んだ者の肉体を食べたことは、罪にならない、と。私たちが自死することこそ罪になる、と協会幹部が世界に向かって公言した。さらに、死んだ仲間たちの両親の多くが、私たちの行動を支持すると、公の場で発言してくれた。」

  30年後、生き残った16名はウルグアイの各方面で活躍している。
  

「鳥のいない空 シンドラーに救われた少女」 [海外文学]

IMG_20170724_0001.jpg

IMG_20170724_0002.jpg
  著者はステラ・ミュラー・マディさん。ポーランドに住んでいたユダヤ人。
  著者とその家族は、ゲットーへ、そして強制収容所へ入れられる。
  本書はその回想記。

1 ゲットー
  ステラは1942年、やっと12歳になった女の子
  ゲットーという、ドイツ軍が指定したユダヤ人居住区の建物の一室で、父母並びに兄とともに暮らす。
  
  病院で虐殺が行われた。病院の中庭でドイツ兵が患者を全員撃ち殺した。
  広場では人がトラックにどんどん押し込められ、駅に運び、家畜用の貨車に載せられ、強制収容所に送られる。

  10歳までの子供だけを集めた建物から、子供たちが次から次とトラックに載せられた。
  門に向かって一人の女の子が車道の真ん中を駆け出した。
  人形を抱えて。5歳くらい?
  しゃがみこんだドイツ兵が片膝を立てて射撃の姿勢を取り、そして銃声。
  女の子は人形を抱えたまま倒れ、動かなくなった。

  世界は私達を忘れ、そして見捨てています。
  どこからも最低限の援助さえ来ません。
  関心も持たれていないのです。

2 強制収容所へ
  強制収容所の中のバラックには電球ランプもなくろうそくが一本。
  壁に沿って並ぶ板張りベッド。すさまじい臭い。湿気と汚物。
  毛布の中に並んだ無数の灰色の顔。

  洗面所は、たくさんの丸い穴の開いた板があるだけ。ものすごい臭気。
  ここでは16歳であれば労働を与えられ、とりあえずは生きられる。
  両親は、書類を偽ってステラを16歳として働けるようにした。髪も短く切った。

  昼食のスープを受け取った。鼻が曲がるほどの不快なにおい。
  鍋で作った褐色の汚物。どうにかこの汚物を何口か飲み込んだ。

  収容所の外を監視されながら行進することがあった。
  道には大勢の地元の人が来ていた。反応はさまざま。
  無関心を装う人。涙をぬぐう人。
  「頑張るんだぞ」と声がある一方、「消え失せろ、ユダ野郎」と叫ぶ人もいた。

3 収容所での殺戮
  土がうずたかく盛られているそばを通った。高台の周囲には溝が深く掘られていた。
  おびただしい数の手足が、無造作に、もつれあって地面から突き出ていた。
  この高台に、トラックが毎日途切れることなくやって来た。
  銃声の途切れる日はなかった。

  移送されてきた人々の中に子供が二人いた。10歳ぐらいの少年と4歳ぐらいの女の子。
  少年は女の子の頭を自分の胸に押し当てながら溝の底に立った。
  少年の肩は震え続けていた。機関銃の連射音。
  大声で笑いながらトラックに戻るドイツ兵。この人たちも同じ人間なのに。

  ある朝、収容所から二人が脱走した。収容されている2万人全員が広場に集められた。
  脱走者が見つかるまで、そこに居なければならなかった。
  立ったまま、水を飲むことも許されない。
  声を出しただけで、ひどく殴られた。失神した人にムチがふり降ろされた。
  翌朝になっても脱走者は見つからず、立ったまま。
  ドイツ兵は「十数え」を行うと言った。順番に10人ごとに一人殺される。
  数えながらやって来たドイツ兵は、隣の女の人を引っ張り出した。
  涙がこぼれてきた。わずかな違いが生死を分けた。

4 アウシュビッツへ
  その後、家族とともにガス室のあるアウシュビッツ収容所に送られる。
  そこで、シラミが腿に入り込み、大きな潰瘍となってしまう。
  化膿と高熱で瀕死の状態となる。
  病気になるとすぐに殺される収容所で、親切な医師にかくまわれ治療を受ける。
  2週間もの昏睡状態から奇跡的に脱する。

5 シンドラーの工場へ
  ユダヤ人を労働者として使う、オスカー・シンドラーの工場へ、運よく移ることができた。
  収容所よりは恵まれた生活ができたが、そこにもドイツ人の監督官がいた。
  ドイツ軍の敗色濃厚な中、その監督官はそこのユダヤ人の絶滅と工場の閉鎖を企てたが、シンドラーはなんとかそうした事態を防ぐことができた。

  最後は食料もほとんど届かなくなったが、生き延びることができた。

「スマホ廃人」 [現代社会]

IMG_20170723_0001.jpg

  文春新書の一冊。2017年4月刊。
  著者はフリージャーナリストの石川結貴さん。

  携帯電話インターネットカメラなどが融合したスマートフォンは大変便利な道具。
  しかし、使い過ぎが我々の生活に悪影響を与えることにもなる。

1 子育てする母親
   子供を遊ばせたり、静かにさせたりする際に、スマホアプリが便利。
   幼児向けの動画やアプリ、音の出る絵本や漫画など。
   毎日スマホに接している2歳児が22%いる。
   ただで使えるおもちゃ箱のようなもの。

   しかし、日本小児科医会は以下のように言う。
   ・スマホに子守りをさせないで!
   ・赤ちゃんの育ちをゆがめる可能性がある。
   ・親子の会話や体験を共有する時間が奪われる。
   ・親がスマホに夢中になり、赤ちゃんを無視。

2 学生への悪影響
   98.5%の高校生がスマホを保有。
   1日の平均利用時間は、男子が4.8時間、女子が6.1時間。

   学校の仲間は、LINEによりいくつかのグループに分かれる。
   周りの評価が高い人は上位のグループに入ることができ、地味でおとなしい人は下位のグループからしか呼ばれない。
   そして、食事中であろうと深夜であろうと、LINEの書き込みを気にして、神経をすり減らす。

   ネットいじめ、SNSいじめもある。

   ソーシャルゲームにのめりこむ高校生も多い。
   ゲーム仲間とSNSでも交流する。
   そして、ノルマ達成に追われ、大切な時間やお金をどんどん費やしてしまう。

3 スマホと高齢者
   スマホは自宅で楽しむことができ、外出が難しくなる高齢者にはうってつけ。
   高齢者はお金はそうかけられないが、時間はたっぷりある。

   しかし、問題のある使い方をする高齢者もいる。
   例えば、ショッピングサイトで次々と買い物をしてしまう。
   サイトからの不当な請求に対し、事情も分からないまま支払ってしまう。
   サイトにある不確かな健康情報への妄信。

4 スマホの弊害
   日本医師会では、以下の警鐘を鳴らしている。
    睡眠時間・・夜、スマホを使うと睡眠不足になり、体内時計が狂う。
    体力  ・・体を動かさないと、骨も筋肉も育たない。
    学力  ・・スマホを使うほど、学力が下がる。
    視力  ・・視力が落ちる。
    コミュニケーション能力・・人と直接話す時間が減る。

   スマホは大変便利な道具。
   我々の生活をより豊かにする。
   しかし、そこには使い過ぎの弊害が忍び込んでくる危険性があることを常に認識しておくべきだ。

「日本の右傾化」 [現代社会]

IMG_20170722_0001.jpg

  筑摩選書の一冊。2017年3月刊。
  編著者は宗教社会学専門の塚田穂高さん。

1 右傾化とは
  日本は太平洋戦争において、3百万人の日本人並びに数千万人のアジアの人々を死に至らしめた。
  戦争は以下の体制のもとで進められた。
  ① 天皇を元首、国民を臣民とする君主制
  ② それを思想的に支える神道という宗教
  ③ 教育による、国民のマインドコントロール
  ④ 反対勢力に対する厳しい弾圧

  このため、戦後はその反省から、以下のような改革が行われた。
  ① 国民主権の確立と、天皇の政治からの分離
  ② 神社並びに神社本庁を、単なる宗教団体の一つとして位置づけ
  ③ 教育の民主化
  ④ 言論の自由の確立

  しかし、次第に戦争責任を否定し、戦前の体制への復帰を目指す動きが顕著になってきた。
  それが「右傾化」といわれる動きである。

2 右傾化の動き
  具体的には以下のようなことが実際に行われてきた。
  ・祝日としての建国記念日の制定
  ・教育基本法の改訂
  ・歴史教科書の改訂
  ・国旗・国歌法の施行
  ・元号の法制化
  ・総理大臣や閣僚の靖国神社参拝
  ・憲法改正への動き

3 右傾化勢力の思想
(1)戦争責任の否定
    太平洋戦争をアジアの植民地解放のための戦争と位置づけ、戦争責任を否定する。
    南京大虐殺を否定する。

(2)排外主義
    在日朝鮮人や中国人を排斥する。

(3)神道思想の復活
    戦前の「国家神道」の復活を目論む。

4 右傾化推進勢力
(1)神社本庁と神道政治連盟
    国家神道の復活や天皇の尊厳護持を主要な活動目標としている。

(2)日本会議
    極右団体の一つであり、安倍首相はじめ自民党に多くの支持者がいる。
    稲田大臣は生長の家時代からのシンパ。

5 見えない宗教
   宗教以外にも、右傾化しやすいものがある。

  ① パワースポット
    自然の中の特定の場所あるいは神宮・神宮が、強いご利益があるということで、若者の人気を集めている。

  ②「日本スゴイ」論
    日本の優秀性を強調するテレビ番組が人気を集める。
    しかし、そうした流行の背後で、排外主義、太平洋戦争の正当化、復古主義などを画策する人たちもいる。

6 宗教団体にとっての右傾化
   神道政治連盟のほか、創価学会、統一教会など多くの宗教団体が、右傾化する自民党を応援する。それはどのような理由によるのであろうか。

   ① 宗教団体はその本来の性格から、合理的、進歩的な考え方とは合わず、非合理的、復古的な考え方になじみやすい。

   ② 宗教団体は信者を増やすためには、人々が独立心や科学的な考え方を持つよりは、従順で迎合的である方がよい。

   ③ 宗教団体が非課税法人であるという優遇措置を維持したい。



若者の血液注入による老化防止 [医療]

ネズミの実験.jpg
  *イギリスの経済週刊誌「エコノミスト」最新号に拠る。

  若者の血液を老人に注入して若返りを図るということが、動物実験だけではなく、人間でも試されつつある。

1 1950年代の研究
  ある歯科医が虫歯の原因を探るため、二匹の実験用ねずみを双方の傷口を癒着させることにより、血液が行き来するようにした。
  こうした並体結合の実験により、この歯科医は虫歯の原因が生まれつきのものではなく、食べる砂糖にあることを正しく見つけ出した。

  この並体結合の実験技術を他の研究者が利用し、驚くべき結果をもたらした。
  ① 老化に伴い骨密度が減少していた年老いたネズミの骨密度が並体結合の実験により向上した。
  ② 並体結合の実験により、年老いたネズミが4~5か月、平均よりも長生きした。

  しかし、並体結合の実験は拒絶反応の危険性や、結合した二匹のねずみのうち片方がもう一方をかみ殺すなど、問題も多発したため、その後、同様の実験は行われなくなった。

2 研究の復活
  2005年に、ある研究者が生後2~3か月のネズミと生後19~26か月のネズミを結合させた。それぞれ人間でいえば20歳の人間と70歳代の人間に相当する。
  そして、年老いたネズミの筋肉を損傷させ、その回復ぶりを見た。
  通常、年老いたネズミの回復は遅い。
  しかし、このねずみの筋肉の回復は若いネズミのスピードと変わらなかった。
  肝細胞の増殖実験でも、通常の2~3倍のスピードで増殖した。

  この研究の後、他の研究がこれを追って行われた。
  それによると、脊髄損傷、脳神経、腎臓心臓壁の肥大化などが修復された。
  逆に、若い方のねずみには一部、老化の促進が見られた。
  
  また、ネズミ同士だけではなく、年老いたねずみに人間の臍帯血を注入したところ、記憶力の向上が見られた。

3 効果発現の要因
  こうした実験結果により、何らかの効果があることは推測されるが、それがどのような要因によるのかという点についての解明が必要とされた。

  化学物質の信号が年老いたネズミの方の幹細胞に作用する、という考えが出された。
  また、研究者は若いネズミと年老いたネズミの血液の化学物質の違いを探った。
  古いネズミの血液が若いネズミの腎臓や肝臓でろ過されるためという者もいた。
  免疫細胞の増加スピードの向上に、その効果の原因を求める者もいた。

4 人間への応用
  人間では並体結合は出来ないので、若者が献血した血液から作られる血漿が使用される。

  カリフォルニア州にある「アンブロシア」という会社は、血漿の注入を受ける方の人から8千ドル(88万円)の参加料を取るということでひんしゅくを買った。

  また、「アルカヘスト」という会社は、アルツハイマー病の患者18名に対して4週間にわたって4回、若い人から採取した血漿を注入する実験を行った。
  ネズミの実験では効果が見られており、この実験でも同様の結果となることが期待されている。
  結果は年末までには公表される予定である。

  効果があるということであれば、効果を発現する物質を特定し、化学的に合成して製造することにより、世界に4,400万人いるとされるアルツハイマー病患者に応用することができるようになる。

  これまでの実験結果からみて、寿命を延ばすという効果を期待することは難しそうだ。
  しかし、老化とともに現れてくる疾病の治癒に貢献することにより、「健康寿命」を延ばすことは期待できそうだ。

「フランス短編傑作選」 [海外文学]

IMG_20170719_0002.jpg
  岩波文庫の一冊。
  19~20世紀に活躍したフランスの作家の短編を中心に集めている。
  そのうちの二作品。いずれも愛に関する話。

1 「ヴェラ」 オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン(1838~1889)
  愛の不可思議な力には限りがない。

  パリの豪壮な屋敷に住む伯爵は、結婚して6か月の最愛の伯爵夫人を失う。
  「死」は突如、雷のように襲ってきた。
  夜、激しい抱擁に恍惚となって我を忘れ、そのため心臓が悦楽に耐え切れずに息絶えたのであった。

  伯爵は、地下墓所での悲しい儀式の後、屋敷に戻った。
  彼は年老いた下僕とともに、伯爵夫人がそこにいるかの如くの生活を始めた。
  伯爵は、最愛の妻の死を全く忘れて暮らしていた。
  伯爵も下僕も、自分たちが何をしているかわからなかった。
  どこまでが幻想で、どこまでが現実なのか区別しがたくなっていた。

  1年が過ぎたある夜、伯爵夫人が冥界の奥から、かぐわしい自分の香りの残るこの部屋へ戻ろうと、可憐にも努めていた。
  彼女は伯爵のもとへ戻ってきたいと思った。
  
  伯爵はそれに気づき、彼女がここにいることは、この自分の存在同様に確実なことだ、と伯爵は平静に考えた。
  信念の力によって、復活の道が彼女のところまで届いたのだ。
  彼はそばへ駆け寄った。
  二人の唇は合わされた。
  
  突然、伯爵は身をふるわせた。
  ふと何か不吉なことを思い出したように、
  「ああ、そうだった。何をぼんやりしているんだろう。お前は死んだのだったな。」

  この言葉が発せられたとたん、燃えるがごとき白い幻は空に戻り、伯爵の腕の中ではかなくもかき消えた。
  彼の夢は一挙についえ去った。

  彼はつぶやいた。
  「お前の所まで行くには、どの道を行けばいいのか。そちらへ行ける道を教えてくれ・・」

2 「ある少女の告白」 マルセル・プルースト(1871~1922)
  14歳の時、一つ年上の従兄が、後悔と愛欲でたちまち体が震え出すようなことを教えた。
  彼の話を聞き、手をなでられるがままにしながら私は、毒されている快楽を味わっていた。
  このことを母に打ち明けると、母は大したことではないとやさしく言ってくれたので、私の良心の重荷は次第に軽くなっていった。
  
  16歳のころ社交界に連れていかれ、質の悪い不良に恋をするようになった。
  彼は不意をつくようにして私を悪の道に誘い込み、悪い考えが私のうちにひとりでに目覚ますようにならせていった。
  私は、若い娘はみな同じようなことをしていて、親はただ知らぬふりをしているだけだということが呑み込めるようになった。

  私が生涯で一番くだらない人間であったこの時期に、私は皆からいちばん賞賛された。
  すり減った良心の奥底で、こうした的外れの賛辞に絶望的な恥ずかしさを覚えていた。

  20歳の冬、ある青年との結婚を承諾した。
  そして、告解師にこれまでの罪のすべてを打ち明けた。
  告解師はフィアンセには打ち明けなくともよいが、二度と過ちを起こさないと誓うことで、罪の許しを授けてくれた、

  間近に迫った私の結婚を祝って乾杯が行われた。
  私は、ぶどう酒そしてシャンパンと杯を重ねてしまった。
  そこに私の過去の過ちに最大の責任がある青年が近づいてきた。
  私は彼にについて行き、部屋に鍵をかけ、抱き合った。
  
  近くの鏡の中で、きらきらかがやく眼から上気した頬、顔全体が官能的な、おろかしい、けものじみた喜びに息づいていた。

  そのとき、母がバルコニーの上から、あきれ返った表情で私をながめているのが見えた。
  母は後ろに倒れた。卒中におそわれたのだ。

  私は危うく失敗するところだった。 
  狙いはちゃんとつけたのだが、引き金の引き方がまずかった。
  でも弾丸は摘出できず、心臓に異常が生じている。
  もうそう長いことはないだろう。私は死ぬのだ。



「植村直己の冒険学校」 [昭和史]

IMG_20170720_0005.jpg
  文春文庫ビジュアル版の一冊。1994年刊。

  著者の植村直己さん(1941~1984)は、登山家、冒険家。
  主な業績は・・・
  1968~1970 世界初の五大陸最高峰登頂
    欧州   モンブラン    4,810m
    アフリカ キリマンジャロ  5,895m
    南米   アコンカグア   6,959m
    北米   マッキンリー   6,194m
        (現在は「デナリ」と呼ばれている)
    アジア  エベレスト    8,848m

  1974~1976 北極圏12,000m犬ぞり探検(グリーンランドからアラスカまで)
  1978    北極点単独制覇
  1984    マッキンリー冬季単独登頂

  1984年、マッキンリーの登頂成功は確認されているが、帰路遭難して帰らぬ人となった。
  同年、国民栄誉賞受賞。

  本書は、植村さんが残した録音テープを基に、死後出版された。

IMG_20170720_0002.jpg

1 歩く
  1971年に、北海道の稚内から鹿児島まで3,000キロを52日間かけて歩いた。
  一日平均60キロ。
  所持金3万円、装備らしきものは一切持たずの旅。
  
  この走行の収穫は、この体の状態ならどのくらい歩けるか、どいう体のコンディションで歩くのが一番いいのか、体を中心にして物を判断するのが正確にできるようになったこと。

2 退く
  進むか退くか、いったん休むか、行動の中で最も重要なこと。
  一般的に言えば、行動は体力の50~60パーセントのところでとどめておかなくてはいけない。
  
  退くとか、じっとしているというのは難しいこと。
  しかし、体力はいつも蓄えがあるようにして、出し切らないこと。
  出し切った時は、体が動かなくなって生き延びることが難しくなる。

3 悪天候
  極地の場合ならブリザード(地吹雪)のときは、絶対に動いてはいけない。
  けがをしたり、凍傷にかかったりするのが目に見えている。
  
  日本の山でも、激しい雨風の時は行動すべきではない。
  どんな時でも雨で体を濡らしてはいけない。
  風も、風速1メートルにつき体温が1度奪われる。
  風速10メートルで気温が10度下がるのだから恐ろしい。

4 凍傷
  まず、寒さによるすごい痛みがくる。
  その後、その痛みがすっと消え、そこの色が乳白色になる。
  これをほっておくと、本物の凍傷にかかってしまう。
  
  だから、足だったら必死になって素早く動かす。
  顔の場合は、素手でほっぺたなり鼻なりを温める。
  そうすると乳白色が消えて元の色に戻ってくる。
  と同時に痛みが帰ってくる。

5 極地での服装
  極地では、なんといってもエスキモーの人たちと同じ装備が一番。
  マイナス30度を超すと、ダウンジャケットより、エスキモーが昔から使っている毛皮の方が断然優れている。

  上着はカリブー(トナカイ)の防寒服。
  ズボンはシロクマの毛皮で、ひざまである半ズボン。
  その下にアザラシの毛皮の長靴。

6 生肉
  エスキモーの人たちの家で暮らし始めた時、最初に目にしたのが、天井からぶら下がって血を滴らせている肉の塊。
  それは脂と血でどす黒くなっていて、薄気味悪いものだった。

  エスキモーの一人が切り分けてくれたのを口の中に入れたが、口の中に生臭さが充満してくると、飲み込もうという気持ちが薄れてくる。
  無理やり飲み込んで、うまいという表情を作ると、また肉を切り取って出してくる。

  そうして数日も経つと、これはもう少し脂の味があった方がいいとか、もっと生臭さがあった方がいいとか、分かるようになってくる。

  エスキモーの人たちは、肉を焼くのを嫌がる。

7 キビヤック
  グリーンランド北部の、キビヤックという料理は、皮下脂肪を残したアザラシの皮で作った袋に、アバリアスという渡り鳥をたくさんそのまま詰め、1年間ほったらかしにして寝かせる。

  エスキモーにとっては、これが最高の御馳走。
  強烈なにおいがするが食べるとうまい。
  正直言って、最初はこの食べ物には度肝を抜かれた。
  しかし、そのうちもう虜になってしまう。

IMG_20170720_0003.jpg

「殺戮の宗教史」 [宗教]

IMG_20170719_0001.jpg

  東京出版、2016年3月刊。
  著者は宗教学者の島田裕巳さん。

  宗教と殺戮の関係で検討対象となるのは・・・
  ① 世界でテロを繰り返すイスラム原理主義
  ② 異教徒や異端者の殺戮を容認してきたキリスト教
  ③ 戦没者を英霊として祀る日本の神道

1 イスラム教の特徴
(1)預言者ムハンマドは、イスラム教の開祖であると同時に、イスラム共同体の政治的な支配者となり、武力を使って勢力を拡大した。
 (キリストや釈迦は政治的な支配者とはならなかった)

(2)キリスト教の「洗礼」に当たるような儀式はなく、また、偶像を崇拝することも禁止されている、比較的シンプルな宗教である。
 (モスクには開祖などの像はなく、単なる礼拝をするための集会所である)

(3)イスラム教が誕生した背景には、アラブ社会における部族同士の対立と抗争があり、そうした事態から抜け出すためには、それぞれの部族が独自の神を信仰するのではなく、共通の神を信仰することが求められた。

   イスラム教で部族の統一を進めるためには、武力に頼ることも認められた。
   コーランでは、「多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい」と記されているが、部族間の対立抗争を防ぐためには、どうしても宗教による統一が必要であったため。

(4)教団組織を持たない。
   イスラム教には二大宗派としてスンニ派とシーア派があるが、これらは学派としての性格が強く、それぞれの派が教団を組織しているというわけではない。

   教団組織が存在しないため、教義を実行するかどうかは個人に任されている。
   このため、「多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい」というコーランの言葉の時代背景を考慮せずに、その言葉通りに実行に移そうとする信者が出てくることにもなる。

(5)「原理主義」を、もともとの教義により忠実になろうとするということと考えれば、イスラム教はキリスト教や仏教よりも全体的に原理主義的な傾向が強い。
  (イスラム教徒はコーランを重視し、そこに示された法に忠実であろうとする)

2 キリスト教の暴力性
(1)カトリックでは、神やキリストだけではなく多くの聖人を崇拝している。
   また、聖人の遺骸、遺骨、遺品などを崇拝する「聖遺物崇拝」も行われている。
   こうした傾向が、聖地としてのエルサレムを重要視した十字軍につながった。

(2)福音を伝えることを使命とする宗教であり、そのためには犠牲をいとわない。
   これは開祖であるキリストが十字架にかけられて殺されたことから、その信仰が始まるからである。
   
   イエスは人類全体の罪をつぐなうために殺されたのだという教えが確立され、そのイエスに倣って殉教することが、福音を伝える人間にとってもっとも尊い行為と位置付けられた。

(3)ローマ教皇の権威が確立し、そこで決められた教義は「正統」とされ、そこで排斥された教義は「異端」とされた。

   異端は弾圧や処罰の対象となっていった。

3 キリスト教の善悪二元論
(1)唯一絶対の善なる存在である神が創造したこの世において、なぜ「悪」が存在するのか。
   世界にはもともと悪は存在しない。
   しかし、天使の堕落により悪魔が生まれ、それが悪を生み出すことになったとした。

(2)こうした善悪二元論に立つ者たちは、自分たちに敵対する人間や勢力が出てきた場合、それを悪魔と呼んで、激しく非難し、攻撃を繰り返す。

(3)しかもそれが神という超越的な存在からの絶対的な要求として人間に迫ってくる。
   そうなれば、人は殺戮という行為に神聖なものを見出し、積極的にそれを実践していくことになる。

4 神道における神の暴力性
(1)皇祖神とされている天照大神は、武神としての性格を持っていた。
   天照大神は、天皇に対して西の方にある国、すなわち朝鮮の新羅を征伐するように命令したとされている。
   この話が、後に秀吉による「朝鮮征伐」や、近代における「韓国併合」を正当化することに使われた。
   天照大神は殺戮を命じる神だった。

(2)多神教の世界では、多く存在する神々の間で役割の分担が行われる。なかには武神、軍神があり、多神教であるからといって、殺戮と無縁であるということにはならない。

   石清水八幡宮や鶴岡八幡宮などの八幡神は武神である。
   また、神社に戦勝を祈願するということは、太平洋戦争の際にも盛んに行われた。


東芝の行方 [現代社会]

東芝.png

 *雑誌「世界」2017年8月号掲載論文
  「東芝はどこへ行くのか」(会計評論家の細野祐二さん執筆)に拠る。

1 債務超過から脱出は可能か?
(1)債務超過見込み
   2017年3月末時点の債務超過額    5,400億円
   WEC関連の今後の損失発生見込み額  9,933億円  
          合計       1兆5,333億円 ・・・①
  (WEC・・米ウェスティングハウス)
  (ただし、今後の損失見込みは最大2兆2,908億円の可能性あり)

(2)東芝メモリの売却益
   東芝メモリの売却はいまだ不確定であるが、仮に2兆円で売却できたとすると、簿価が5,923億円であるので、売却益は1兆4,077億円(②)となる。
   2018年3月期の通常業務による利益が2,000憶円(③)見込めるとすると、2018年3月末の株主資本額はプラスの744億円と、ぎりぎり債務超過を回避できる。
       ① ー1兆5,333億円
       ② +1兆4,077億円
       ③ +  2,000憶円
        合計 + 744億円
   
(3)不確定要因
    2017年3月末時点の債務超過は確定しているので、2018年3月期も債務超過ということになると、二期連続の債務超過ということで、上場廃止に追い込まれる。

    主要な不確定要因は・・
    ① 東芝メモリの売却
       ・2兆円以上で売却可能かどうか。
       ・提携先のウェスタンデジタルが売却手続き停止を求めている。
    ② WECの整理損1兆5,900億円が税務上、損金として認められるか。
      (WECの再生計画が米当局から認可される必要がある)
    ③ WEC関連の今後の損失発生見込み額が 9,933億円で収まるか。

2 その他の問題
(1)監査法人との対立
   東芝とPWCあらた監査法人が対立し、2017年3月期決算が確定できない状態になっている。
   対立点は、2015年10月にWECが買収したS&Wの工事損失引当6,357億円の認識時期。

   PWCあらたは、S&Wを買収した2015年10月時点で、工事損失を認識していたはず、と主張。
   東芝は、買収した2015年10月時点では認識しておらず、2016年12月になって初めて認識した、と主張している。

   この点についてはPWCあらたの主張の通りに決着する可能性が強い。
   ただし、東芝が巨額の工事損失の存在を隠して買収を決めたとなると、当時の経営陣の特別背任が問題となってくる。

(2)東芝の会社更生法申請
   本年3月、WECがチャプター11を申請するに際して、日本政府は米国政府に対して以下の理不尽な条件を吞まされている(世耕経済産業大臣が訪米)。
   ① 米国政府が行った融資保証83億ドル(9,500億円)は履行しなくてよいこと。
   ② WECにおいて米国民の雇用が損なわれないこと。

   このため、日本政府としては米国政府とのこの約束を守るため、東芝を生かしておかなければならない。

   会社更生法という、東芝が再生するために利用可能であるべき道が、日本政府の安易な妥協により閉ざされてしまった。

(3)たかるヘッジファンド
   エフィッシモという村上ファンド系のヘッジファンドが東芝株を安値で買い集めている。
   会社更生法が適用されると東芝の株式は無価値となるが、このファンドは、東芝は会社更生法適用に踏み切ることはないとみている。
   東芝が債務超過になり、上場廃止になったとしても、資産を切り売りして行けば、十分に利益が出てくる、という考えである。


 * 高い技術を多く保有している東芝という会社が、無能な経営者、政治家、ヘッジファンド、米国政府などにより食い散らされ、消滅してゆくのだろうか。