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「イタリア古寺巡礼」 [美術]

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  著者は、哲学者の和辻哲郎(1889~1960)。
  1927年末から3か月間、イタリア旅行した時の記録。
  岩波文庫所収。

1 ミケランジェロ「モーゼ像」 サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会
  ミケランジェロは、ギリシャ彫刻のように、「中から盛り出るもの」を刻みだそうとしている。
  決して上っ面の、中の空っぽな形だけを作ろうとしているのではない。

  モーゼのひげ、着物のひだ、腕や肩の肉、いずれもほとんんど全体の形を無視するかのように、むくむく盛り上がっている。
  その局部的な表現力で、全体の輪郭などをわざわざ見せないようにしているのではないか、と思われるほどである。

  こうしたことで「内なるもの」を、あるいは精神を、外に押し出すことができる。
  それが彼のねらいであったと思われる。 

ミケランジェロ モーゼ.png

2 「ヴィナスの誕生」 ローマ国立美術館
  この像が最初に与える印象は構図の妙である。
  中央の海から出ようとするヴィナスが両方に腕をあげ、それを左右から二本ずつの腕が出て助け上げようとしている。
  実に鮮やかな統一、微妙な調和、一点の晦渋さもない。
  この厳密なシンメトリーには機械的な繰り返しはいささかも含まれていない。

テルメ ヴィナスの誕生.jpg

3 「ニオベの像」 ローマ国立美術館 
  ニオベがアポロの矢を背中に射こまれて、その瞬間に、ひざまずこうとしつつ、同時に手で背中の矢を抜こうと焦っている。
  そういう瞬間的な非常な動作を現わそうとしたものである。
  ニオベは危急の際の激烈な動作のために、着物が脱げて肉体が露出することなど構っていられない。

ニオベの像.jpg

4 ミケランジェロ「最後の審判」 システィーナ礼拝堂
  最初に感じたことは、この堂自身が壁画や天井画のためにあるのであって、絵がお堂のためにあるのではないということであった。
  堂の構造そのものが絵のためにできている結果として、絵の効果は十分に発揮され、堂内は芸術的な美しさに満たされたものになる。

  驚くべきことは深さの巧みな活用である。
  同じ一つの平面に描かれていながら、人物が明らかに層を異にして見える。
  そういう立体感の活用によって、それぞれの画像の連絡統一が実に巧妙に行われている。

最後の審判.png

5 「シヌエッサのヴィナス」  ナポリ国立美術館
  このヴィナスの美しさはパリにある「ミロのヴィナス」の比ではなく、今まで発見されたヴィナスの裸像のうちでこれほど優れたものはない。

  残っている下半身だけでも、この彫刻が神品であることを感ぜしめるに十分である。
  あらゆる点が中から湧き出して我々の方に向いている。

  霊魂そのものである肉体、肉体になり切っている霊魂である。
  人間の「いのち」の美しさ、「いのち」の担っている深い力、それをこれほどまでに「形」に具現したことは、実際に驚くべきことである。

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