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樋口一葉の作品 [日本文学]

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  梧桐書院、あおぎり文庫、2010年刊。
  樋口一葉(1872~1896)は明治時代のの女流作家。
  25歳で肺結核により亡くなった。

樋口一葉.png

『にごりえ』
 主人公のお力(りき)は、現在の東京都文京区にあった私娼街の菊の井という店で暮らす酌婦(遊女)。
 中肉のすらりとして、色白。
 器量よしで、店の一枚看板の人気者。
 年は一番若いけれども、客をひきつける技を心得ている。
 それほどお愛想や嬉しがらせを言うわけではなく、わがまま至極のふるまいであるが、つきあって存外やさしいところがある。

 お力には源七というなじみの客がいたが、お力に入れ込みすぎて身上をつぶし、いまは女房と子供とともに狭い長屋の一室で暮らす。
 それでも、たまにお力の顔見たさに店に現れるが、お力は会おうとはしない。
 その子供はお力の方を見て「鬼」と言う。
 女房は三十前だが、内職に疲れ、貧しさにやつれている。
 
 遊女らのことを「白鬼」と呼ぶ者がいる。
 客を逆さに落として、血の池にはめ、借金の針の山に追い上らせるのもお手の物。
 店の前で通りのいく男たちに「寄っておいでよ」と甘える声も、蛇を食うキジのようで恐ろしくなる。

 しかし、お力にしても、悪魔の生まれ変わりであるはずはない。
 事情があって、流れに落ち込むようにここにきて、うそのありったけを言ってその日を暮らしているが、悲しいことや恐ろしいことが胸につもり、人目を忍んで泣くこともある。

 源七の女房は、いつまでもお力のことが忘れられない源七を責める。
 そこに子供がカステラの箱を持って帰ってきた。
 通りでお力に会い、買ってくれたのだという。
 女房は、くらいついても飽き足らない悪魔にもらったお菓子を食べるわけにはいかない、と言ってカステラを捨ててしまう。
 それがもとで源七と女房は口論となり、源七は女房を離縁するから出ていけ、と言う。
 女房は、「私が悪うございました。堪忍してくだされ。私は、親もなし、兄弟もなし。離縁されては後の行き先がありません。どうぞ堪忍して、ここにおいてくだされ」と頼んだが、源七は聞きいれなかった。
 女房は、子供とともに出て行き、とうとう源七一人となった。

 それからしばらくして、お力と源七の遺体がお寺の山で発見された。
 お力は、逃げるところを後ろから切りつけられた。
 源七は見事な切腹だった。

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『大つごもり』
 お峰が奉公することになった家の奥様は口うるさく、下女が頻繁に変わった。
 一晩で逃げ出した者もいたほどだ。
 お峰は辛抱した。
 「感心だ」というものがあり、また、「器量が申し分ない」というものもいた。

 お峰の父母はもはやこの世になく、ただ一人の伯父が病で床に伏せていると聞き、許しを得て、見舞いに行った。
 お峰は7歳から18歳までの間、この伯父夫婦に育ててもらった。
 伯父は6畳一間に、女房、子供と共に暮らしていたが、見るからに貧しそうであった。
 伯父は働くことができず、女房、子供の稼ぎもたかが知れていた。
 
 伯父は、お峰にお金の用立ててもらえないか、と聞いた。
 伯父は、病に倒れた時に高利貸しから10円を借り、もうすぐ期限がくる。
 期限を延ばしてもらうお願いをするにも、利息の1円50銭を用意しなければならない。
 奉公している家のご主人に、前借をしてもらえないかと、伯父はお峰に頼んだ。

 お峰はしばらく思案して、その願いを聞き入れ、大晦日」に子供を寄こすように言って、帰った。

 しかし、お峰は奥様に前借を頼んだが、大晦日が来ても、いい返事はもらえなかった。
 その日、伯父の子供が約束通り、お金をもらいにお峰のところに来た。
 お峰は切羽詰まって、家の硯箱の引き出しに入れてあったお金を盗んだ。
 「拝みまする、神様、仏様。私は悪人になりまする。成りたくはないけど、成らねばなりませぬ。」
 2円を子供に渡して帰したことの始終を、誰も見ていないと思ったのは愚かであった。
 
 その日、大勘定といって、家にある金をまとめて封印するしきたりであった。
 奥様はお峰に「硯箱をここにもってきなさい」と言った。
 硯箱には、貸し付けの返済金20円が入っているはずだった。

 お峰は、硯箱に18円しかなく、2円足りないと分かれば、奥様に2円の前借を頼み込んでいた自分が疑われるのは間違いないと覚悟した。
 お峰は、問われれば「自分が盗みました」と白状し、その場で舌をかみ切って死のうと思い定めた。
 
 奥様が、硯箱を開けてみると、お金は全く入っていなかった。
 そこには「拝借いたし候 石之助」と、その家の若旦那の書いた紙が入っていた。
 お峰に対する詮議はなかった。

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「中谷宇吉郎 雪を作る話」 [日本文学]

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  平凡社、2016年2月刊。
  著者の中谷宇吉郎(1900~1962)は、物理学者で随筆家。
 
1 雪はどのようにしてできるのか?
(1)「かく」と水蒸気
 大気中の極めてちいさなゴミが「かく」となり、そのまわりに水蒸気が凍りついてできる。
 大気中には、顕微鏡でも見えないような小さなごみがたくさんある。
 まず、3~5千メートルの上空で、水蒸気がこの「かく」にくっついて、極めて小さな氷の結晶(氷晶)ができる。
 この氷晶が、極めてゆっくりと降ってくる間に、水蒸気の多いところへ来ると、その上にさらに水蒸気が凍りつく。
 そして、だんだん大きくなって地表へ届く。
 通過した大気の気温や水蒸気の量によって、結晶の形が変わる。

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(2)水蒸気の存在
 冬の上空は零度以下であるが、そこに水蒸気があるのはなぜか?
 水は氷と触れ合っていると、零度で凍る。
 しかし、水だけを静かに冷やしていくと、零度以下でも凍らない。
 空中に浮かんだ状態で水を冷やすと、零下37度までは、液体の状態のままでいる。
 冬の空を覆っている灰色の雲は、全部この過冷却の水滴からできている。
 この過冷却の水は、氷に触れるとすぐ凍る。
 氷晶が降ってくると、過冷却の水滴が凍りついて、雪の結晶が成長していく。

2 昭和新山
 北海道の壮瞥(そうべつ)町の、鉄道が通り畑が耕されていた、ただの平地であったところが、1944年5月ごろより隆起を始め、1945年夏には405メートルもの火山が現出した。
 その火山は、盛んに鳴動しながら、噴煙を吐いている。
 はるか地の底に眠っていた、真っ赤に溶けた岩しょうが、そろそろ目を覚まして、起き出してきたのだ。

 降灰の範囲は次第に広がり、多くの畑地に3センチ以上の灰が降り、作物は全滅した。
 周囲の山の立木も勿論すべて枯れてしまった。

 この異変は、終戦の時まで報道が禁止されていた。
 太平洋戦争の戦局が不利な方向にあることが明確になりつつあった頃であり、人々に不安を惹起させないため、ということであったようだ。
 
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3 立春の卵
 新大陸を発見したコロンブスが、卵を立てることを試みさせ、一人もできなかった後に、卵の尻をつぶして立てて見せたという、コロンブスの卵の逸話があるが、細工をせずに卵を立てるのは難しいということになっている。

 1947年であるが、立春の日に卵が立つということがその日の数日前から噂されていた。
 多くの人が試してみようと卵を購入したため、物不足の時代でもあり、卵の値段が10倍以上に跳ね上がった。
 立秋の日の翌日の新聞には、各地で実際に卵が立ったということが写真付きで報じられた。

 立春に卵が立つという話を中国の古書で見つけた中国人が、それを広めたようだ。
 この話は日本だけではなく、アメリカなど世界中で話題となった。

 しかし、立春の時にのみ卵が立つというのは、科学的に説明するのは難しい。
 実際に試してみたところ、落ち着いて時間をかけてやれば、卵はいつでも立つことが分かった。

 物が立つのは、重心から垂直に下した仮想の線が、底の面積内を通る場合である。
 卵の底を顕微鏡で調べたところ、底の幅は10分の8ミリ程度。
 決して広くはないが、人間の手で、落ち着いて少し根気よくやれば、重心をその範囲内に入れることはできる。
 ただ、角度にすると1度以内ということであり、そう簡単でないことは間違いない。

 
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「耄碌(もうろく)寸前」 [日本文学]

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  みすず書房、2010年刊。
  著者は、森於菟(おと)(1890~1967)。
  森鴎外の長男で、医師。

1 耄碌(もうろく)寸前
 不幸中の幸い、私は凡庸な人間に生まれついた。
 私は医学者として大きな仕事を残さなかったし、思うところあって文学者にもならなかった。
 偉大な頭脳の持ち主と言われた父に比べれば、いかに卑小で不肖の子であろう。
 
 私の老化した頭の中では、人生はその固有の生々しさの大部分を失い始めている。
 私は死を手なずけながら、死に向かって一歩一歩近づいていこうと思う。
 若い時代には恐ろしい顔をして私をにらんでいた死も、次第に私に慣れ親しみ始めたようだ。

2 文学雑感
 当今の文芸作品には、魂の擾乱とその後にくる深山にたたえられた湖水にも似たる沈思がない。
 あるものはちまたの喧騒そのものである。
 ちまたに流布する作品をを見るとき、まことに奇々怪々、これが文学であるかと疑わざるを得ぬものが多い。

3 弱きものよ汝の名はよ男なり
 生理的には、男性よりも女性が上位にある。
 知能も、決して、女性は劣っていない。
 法的に男女平等ということになると、もともと勝っていた女性は男性を完全に制覇することになりかねない。
 
 各分野で活躍している男性は多い。
 しかし、男性は本来優秀であるがために立派な仕事を残すのではない。
 むしろ生物学的に劣っているので、その劣勢を挽回するために仕事に打ち込むのだ。
 男性から仕事を除いたとき、首輪を外された犬のように惨めになる。

4 鴎外の健康と死
 父は61歳で亡くなった。
 父は重態になりながら、誰にも診察をさせなかったが、父の親友の一人が説得して、ある医師に見せることを許した。
 その結果、尿には相当に進んだ萎縮腎の兆候があり、また、喀痰には結核菌がいっぱい含まれていることが分かった。
 父は若い時に結核にかかり血痰を吐いたことがあり、長く潜んでいた結核病巣が老年に至って活動化したのであった。

5 全終会
 台北帝国大学医学部の解剖学教授をしていた時、医学生の実習教育に必要な死体の確保に苦労した。
 中国人が伝統的に、解剖を嫌っていたのがその原因である。
 そうした状況を憂いて、ある老人が、周りの人に献体の意思表示をするよう説得して回ってくれた。
 意思表示をした人の集まりとして「全終会」というものも作った。
 彼は、以下のような言葉で皆を説得し、多くの人がその熱意に動かされ、献体に同意してくれた。
 「人体は霊魂が宿っている間こそ、その人の所有物であるが、天寿を全うして魂が離れれば、あとは『なきがら』で、遺族の所有物ではない。これを提供して解剖の用に当てれば、立派な医師を要請する資材となる。これが人間の世に処する最終の道である。」



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「大導寺信輔の半生」 [日本文学]

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  芥川龍之介(1892~1927)が自殺する2年前、33歳の時の作品。
  自身のそれまでを振り返っている。

芥川龍之介.png

1 本所
 信輔は、絶えず、本所の町々を愛した。
 並木もない本所の町々は、いつも砂ぼこりにまみれていた。
 彼はごみごみした往来で、駄菓子を食って育った少年だった。
 彼は、木曽や瀬戸内の自然よりも、本所のみすぼらしい自然を愛した。

2 牛乳
 からだの弱かった信輔の母は乳が出ず、信輔は牛乳を飲んで育った。
 信輔は、母の乳を知っている彼の友だちを羨望した。
 彼は、ただ頭ばかり大きい、不気味なほどやせた少年だった。
 はにかみやすく、臆病な少年だった。
 彼は、これらを牛乳のせいにした。

3 貧困
 信輔の家庭は貧しかった。
 退職官吏だった彼の父は、わずかな恩給に頼り、節約の上にも節約をしなければならなかった。
 それでも体裁だけは繕わなければならなかった。
 かれは、家庭のみすぼらしさを憎み、背の低い、頭の禿げた父を憎んだ。

4 学校
 彼は、学校の授業に興味を感じたことは一度もなかった。
 しかし、中学、高校、大学と、通り抜けることは貧困から脱出する唯一の方法だった。
 中学では、あらゆる無用の小知識を学んだが、無用の労役を強いられた囚徒が経験するような精神的苦痛を経験した。

 ある英語教師は、「生意気だ」という理由で、信輔に体刑を課した。
 漢文の教師は「お前は女か?」と嘲笑したので、信輔は「先生は男ですか?」と言い返した。
 その教師は信輔に厳罰を課した。

5 本
 本に対する信輔の情熱は小学時代から始まっていた。
 信輔は、あらゆるものを本の中に学んだ。
 人を眺めるために、本の中の人生を知ろうとした。
 人の愛を、憎悪を、虚栄心を知るためには、本を読むよりほかはなかった。
 
 彼は彼の半生の間に、何人かの女に恋愛を感じた。
 しかし、彼女らは誰一人、本で学んだような女の美しさを教えなかった。

 貧しい信輔は、本を自由に買うことはできなかった。
 彼は、図書館や貸本屋を利用し、また、節約して本のためのお金を貯めた。
 
6 友だち
 信輔は、素行だけが良い同級生を嘲笑した。
 同級生は憤ったが、信輔は「嫌な奴」と呼ばれることに、愉快を感じた。

 知的貪欲を知らない人たちも、彼には無関係であった。
 彼の友だちは、頭脳を持たなければならなかった。
 彼は、がっしりと出来上がった頭脳の持ち主を愛し、かつ憎んだ。
 彼の友情は、いつも幾分か愛の中に憎悪をはらんだ情熱だった。
 彼は、彼の頭脳を武器に、絶えず、彼らと格闘した。
 

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加藤周一の漱石評 [日本文学]

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<加藤周一>

 *以下に拠る。
  「漱石における現実」
    1948年に雑誌に掲載。
    著者の加藤周一(1919~2008)は、医学博士で評論家。


 「吾輩は猫である」は、全く読むに堪えず、「虞美人草」の太平楽は馬鹿々々しい。
  知性や教養の豊富さは出ているが、知的遊戯の浅薄さというべき。

 「三四郎」以降、ことに「門」以後の作品には、そういう浅薄さはない。
  倫理的真摯が現れ、知性ははるかに創造的となり、小説は比較にならないほど綿密に設計されている。
 「こころ」や「行人」に知的な漱石の一つの頂点がある。

  しかし、問題点は以下の通り。
 ① 人間的な現実の世界を作るには至っておらず、倫理的な問いかけは現実を離れ、抽象的になっている。
 ② 抽象的な論理としても単純すぎて、説得力がない。

  小説家の倫理的真摯とは、道徳て問題を直接小説の中で扱い、観念的な回答を与えるのではなく、人間性の本質を真摯に、表現することである。
  漱石の、観念的な小説の主人公たちは人間的でなく、あまりに人間的現実を離れていた。

  「猫」は今日読むに値せず、「こころ」は読みえるかもしれないが、我々に何らの新しい現実を加えていない。
  新しい現実は「明暗」の中にある。。
  「明暗」によってのみ、漱石は不朽であると思う。
  「明暗」は漱石の知性人ではない本質によって、今日なお新しい現実、人間の情念の変わらぬ現実に達しえたと思う。

  夫婦喧嘩の事件、その事件を組み立てている背景や人物の出会いや投げ合う言葉が描かれる中で、喧嘩をする人物たちの中に燃えている虚栄心や憎悪やあらゆる種類の偏執の激しさそのものが現実的である。

  人間は、それほど合理的なものではなく、憎悪や愛情やその他もろもろの情念は、しばしば極端に至り、爆発的に意識をかき乱し、その他の精神的機能をすべて奪い去る。
  意識の底に、我々の行動を決定する現実があり、日常的意識の奥に、我々を支配する愛憎や不安や希望がある。

  もし、「明暗」がなければ漱石は何ものでもないが、「明暗」の作者は、明治大正の文学史で、無双の心理小説家である。

  「明暗」の直前に描かれた「道草」は、以下のように、それまでの小説とは違っていた。
 ① 劇的起伏に乏しく、自然な叙述に従っており、経験的な事実を意識的に利用している。
   また、以前の作品にみられる観念的な内省や知的探求からは著しく遠ざかっている。

 ② 自己を小説の主人公とし、小説を告白に近づけることによって、自我の本質を表現しようとした。

  そして、「道草」に描きえなかったものを「明暗」に書き込んだ。
  この未完の小説は、人生に関する体験の深さを、直接、我々に伝える。
  その限りでは、小説家の意図は未完ではないし、小説家の人生も未完ではなかろう。
  
 

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「日本文化の神髄」 [日本文学]

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 *以下に所収の随筆。
   「心 日本の内面生活の暗示と影響」
    (岩波文庫、1951年刊、原著は1896年にアメリカ並びにイギリスで出版)
   著者のラフカディオ・ハーン(1850~1904)はギリシャ生まれ。父親はアイルランド人で母親はギリシャ人。
   1890年、40歳の時に来日。
   英語教師として、島根、熊本、神戸、東京に住んだ。
   日本名は小泉八雲で、「怪談」など、日本に関する著作を数多く出版した。

   本随筆では、当時の日本人の特徴を捉えている。

1 欧化
  明治維新以来、欧化が進められる中で、日本人の頭脳がよくこれだけの激動を耐えることができたということに驚く。
  特に、医学、外科手術、化学、顕微鏡学などという面では、日本人の天性は生まれつき適応していて、この方面ではすでに世界に聞こえるほどの仕事をしている。
  また、日本ほど優れた外科医のいるところはない。

  しかし、国民的天性に適しない方面、例えば西洋音楽、西洋美術、西洋文学などでは、何一つ目立った仕事がなされていない。
  西洋の芸術は、日本人の心情には一向に感興をおこさせない。
  東洋の一民族の感性が、わずか30年足らずの西洋思想との接触によって改変されるということは考えられない。

2 非永続性
  西洋人は持続する家を建てる。
  それに対して、日本人はほんの一時しのぎのために家を建てる。
  日用品なども、長持ちをさせようという考えで作られているものは多くはない。
  わらじ、箸、障子、たたみ、どれをとってみても、長持ちのしないもので結構満足している。

  日本では、国土そのものがじつに有為転変の地だ。
  風光のうるわしさにしても、うつろう色の美しさと,立つかと思えばたちまちにして消え去る、霧や霞のうるわしさに過ぎない。
  こうした自然の風光に、朝な夕なに親しく接しているものでなければ、ふるさとの山の心は知ることができない。

3 仏教の影響
  仏教の教えは・・
  ① 宇宙は一つの迷夢であり、人生は果て無き旅の一里塚。
  ② 物に対する執着は、すべて悲しみの種子となる。
  ③ 人間は一切の欲念を滅却すべきだ。
    それによって、はじめて永遠の平和に到達することができる。

  仏教の教義は、日本人に悟りと慰めとを与え、何事にも屈せずに辛抱するという、新しい力を与えた。
  日本人の特質であるところの忍従の精神をなお一層強いものにした。

4 旅好き
  日本人は、文明人の中の最大の旅行家だ。
  いるところが嫌になれば、手軽にそこを立ち退いて、行きたいところへ行ってしまう。
  荷物と名のつくほどのものもなく、日に十里(40キロメートル)やそこらは、苦も無く歩きとばせる健脚を持っている。
  少ない食い物にもかかわらず、からだは頑健で、不養生な厚着などと言った習慣に毒されていない。
   旅にあっても、必ず毎日、湯につかり、小ざっぱりした着物に着かえる。

5 短期の異動
  大臣、知事、局長、あらゆる高位の文官武官が、驚くべき短期間に異動する。
  下っ端の小官吏どもも同様。
  とりわけ、教育界における更迭の頻繁迅速なことは、著しいものがあった。
  こんな状態のもとにあって、一国の教育が。とにかく大きな成績を収めたということは、実に奇跡というほかはあるまい。


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「そうかもしれない」 [日本文学]

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  晶文社、2007年刊。
  著者は、小説家の耕治人(1906~1988)さん。

  妻並びに自身も80歳。
  50数年連れ添った妻は脳軟化症を病み、懸命に看護するも、自分もがんに侵される。
  二人の生活を綴り、老年の現実を描く。

1 妻の異変
(1)料理
  妻の料理が。以前と違ってきた。
  妻はきれい好きで、鍋の手入れも行き届いていた。
  しかし、鍋を焦がして真黒くするようになった。
  鍋は使い物にならなくなる。
  一度、このことでひどく妻を叱ってしまい、その後、妻は料理をしたいと言わなくなった。
  私が買ってきた弁当やおかずで、食事を済ますようになった。

(2)お金の管理
  結婚して以来、お金の管理はずっと妻がしていた。
  銀行から残高不足の連絡がきた。
  妻は自分のためにお金を使うわけではないが、わずかの支払いにもたくさんのお金を渡していたようだ。
  妻に、今後は、必要な額だけを渡すことにしたいと言った。
  妻はそれに対して、何の反応も示さなかった。

(3)火の始末
  妻が台所を離れる時に、ガスの火を止めるのを忘れたため、鍋のふたにかかっていた布巾に火が移った。
  この時は、妻がすぐ戻り、消し止めた。

(4)夜中の出来事
  夜中の2時過ぎに起き出し、服を着替えて片づけ物をしたりする。
  「あたしの考えていることがちっとも実現しない」と言った。
  私は、「長い間働いてきたのだから、このあたりで休むのはいいことだよ。そのうち実行できるよ」と言って、ベッドに戻らせた。

  夜中に、テーブルに空の食器を並べ、「御飯の支度ができたわよ」と、寝ている私を呼びに来たこともあった。

2 症状の進行
(1)風呂
  きれい好きで、毎日風呂に入っていた妻が、1週間、10日と入らなくても気にならなくなった。  それで、私が妻を風呂に入れることにしたが、体力的にきつい。
  熱い湯を沸かし、タオルを湯につけて絞り、家内の体を拭くことにした。

  自分一人で介護をすることに限界を感じ、役所の人の勧めもあって、ヘルパーさんやデイケアの施設を利用させてもらうことにした。

(2)徘徊
  ある日、突然、妻がいなくなった。
  幸いこの時は、警察署に保護されていた。
  連絡すると、パトカーで妻を送り届けてくれた。

(3)排便の不始末
  夜中に、ベッドで排便の不始末をしてしまった。
  着物を着換えさせ、便所にひきずって連れて行ったが、私の方がくたばりそうになった。
  お湯を沸かし、妻の体を手拭いで拭いた。
  妻は、「あなたにこんなことをさせてすいません」と言った。

3 老人施設への入所
  老人施設への妻の入所が決まったと、役所から連絡があった。
  妻の着物などを風呂敷に包み、連れていった。
  妻は施設のベッドで静かに横になった。
  妻を見ていると、涙が止まらなかった。

4 自分の入院
  一人になり、口の中の痛みを見てもらうために歯科医院に行った。
  歯科医院では手に負えず、病院に入院して治療することになった。
  体重が40キロを切っていたため、鼻から栄養を入れることになった。
  体力面から手術は止め、放射線治療を受けることになった。

  一度、妻が、施設の人に連れられて、自分を見舞いに来た。
  施設の人が、「奥さん、ご主人ですよ」と言った。
  妻は、低いがはっきりした声で、「そうかもしれない」と言った。
  それは、以前からの妻の口癖の言葉でもあった。


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「老いの歌」 [日本文学]

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  岩波新書の一冊、2011年刊。
  著者は、歌人の小高賢さん。

  日本の高齢者は、加速度的に増大している。
  一方、齢をとってから短歌を始める人が急速に増えている。
  
  明治・大正時代の平均寿命は43歳前後。
  結核で早逝する人も多かった。
  石川啄木は26歳、山川登美子は29歳で亡くなった。
  こうした時代の短歌のテーマは、青春そして恋愛が主であった。
  老いがテーマになることはなかった。

  しかし、今は違う。
  新聞の短歌欄に投稿する人の多くは70代や80代の人である。
  そこでは身近なテーマとして、「老い」が取り扱われる。

1 身体の衰え
   年とともに体力が衰えるのはやむを得ない。

  「足の機嫌を取りつつ われは歩まん なにとぞ先に行ってくだされ」(竹山広)
  「階段の昇りは膝に障りなし 『ワタシクダラナイヒト』降り難儀す」(宮英子)
  「今朝の足は昨日の足にあらざるか 立ち一二歩すなわち転ぶ」(土屋文明)

2 病院通い
   病院に行くことも多くなる。

  「もの食むゆるされたれど 何ひとつ食いたきものの無き身となりぬ」(前登志夫)
  「歯科眼科耳鼻咽喉科泌尿器科。今日は暇にて畑仕事す」(泉明)

3 定年のない農家
   農家で働く人には定年がなく、いつまでも農作業にいそしむ。

  「傘寿越えし口やかましき連れ合いを 頼りに思う田植え後先」(西田範三)
  「相撲界は三十引退 農界は生涯現役 百茄子作る」(奥中敬一)

4 食欲の減退
   年を取るとおいしいものを食べたいという欲求が少なくなる人が多い。

  「黒パン二枚よりはましかとささやきて 朝昼晩といなりずし食いぬ」(清水房雄)

5 寂寥感
   年を取ると、連れ合いに先立たれて一人暮らしになったり、夫婦の関係が疎遠になったりする。

  「くすぶっているこの気持ち あせりでも憧れでもない ゆふぐれこころや」(宮英子)
  「妻の鬱 なおいつまでか 黙しあうのみの一と日の昏れなずむころ」(近藤芳美)
  「ながきながき思い 心に重ねつつ 老年というさびしき時間」(近藤芳美)
  「耳遠き妻と入れ歯の合わぬ我 会話無きまま 夕餉すませぬ」(松村勝行)

6 死への恐怖
   死という現実が間近に迫ってくる。

  「生まれるまえ わたしどこかにいたかしら 死んでもまだいるかしら」(浜田蝶二郎)
  「この妻と生死分かつは当然のことなるものを 朝夜おびえつ」(竹山広)

7 戦争の記憶
   戦争のことがいまだに脳裏に焼き付いている。

  「嘔吐する 大便漏らす兵もいて 突撃の命待つなり 壕に」(川口常孝)
  「『お母さん助けて』と叫び殺さるる兵あり 塹壕の白兵戦に」(川口常孝)
  「強姦をせざりし者は並ばされ ビンタを受けぬ わが眼鏡飛ぶ」(川口常孝)
  「夫の裡に戦争いまだ終わりなく 行軍といいて徘徊する夜半」(波村千代女)



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「阿部一族」 [日本文学]

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  森鴎外(1862~1922)の歴史小説。
  1913年、鴎外51歳の時の作品。

  肥後熊本の城主細川忠利の家来、阿部弥一右衛門とその一族の話。
  阿部弥一右衛門は1,100石の身分。
  (1,100石は米16万5千キログラムに相当。10キロで5千円とすると、現在の価値では8,250万円となる。)
  1642年、忠利は病に倒れ、亡くなった。
  この時、18人の家来が忠利の許しを得て殉死した。

  殉死には決まりがある。
  誰でも勝手に殉死ができるわけではない。
  三途の川のお供をするには殿様のお許しを得なくてはならない。
  その許しもないのに死んでは、それは犬死である。

  ある者は、以下のように言って、その許しを請うた。
 「ご病気が一日も早くご全快遊ばすよう祈願しております。それでも万一と申すことがござりまする。もしそのことがござりましたら、どうぞ私めにお供を仰せ付けられますように。」
  このようにして、18人が忠利の許しを得た。

  殉死を願い出る者の心のうちは、以下のように複雑。
  ① これまでのお殿様の恩に報いたいとの気持ち。
  ② もし自分が殉死せずにいたら、恐ろしい屈辱を受けるに違いないとの心配。

  なお、殉死者の家族は藩から格別の取り扱いを受け、生活の心配はない。

  阿部弥一右衛門も忠利に何度も殉死の許しを願い出たが、ついに許しが出なかった。
  忠利には、以前から阿部弥一右衛門の言うことをきかない癖がついていた。
  阿部弥一右衛門の仕事ぶりは申し分ないが、どうも親しみがたいところがあり、忠利は好きになれなかった。

  忠利の死後、許しを得た18人は次々と殉死した。
  阿部弥一右衛門は仕事を続けたが、「阿部はお許しのないのを幸いに生き続けている」というような陰口も聞こえてきたこともあり、切腹して死んだ。

  忠利の長男の光尚が新しい殿様となり、殉死の18人については、長男にそのまま父の後を継がせた。
  しかし、阿部弥一右衛門については、その知行を長男がそのまま次ぐのではなく、その5人の兄弟が平等に分け与えられることになった。
  弟たちの知行は増えるが、長男の権兵衛にとっては5分の1となる。
  一族としても、本家が千石以上の格式であったのが、どんぐりの背くらべのようなことになってしまった。
  周りの者も阿部一族を疎んじるようになった。

  忠利の一周忌の法要の際に事件は起こった。
  権兵衛は焼香の際に、自分の髪を脇差しで切り、位牌の前に添えた。
  権兵衛は、知行が5分の1になったのは、自分がいたらないからで、武士を捨てようと思うと、話した。
  光尚は、権兵衛を縛り首という極刑にした。
  
  この処分に権兵衛の弟たちは激怒した。
  切腹ではなく、盗人のように縛り首にするとは・・。
  一族の頭領がこのような目に合えば、ほかの者も今後平穏に勤めを続けることはできまい。
  こうなっては、戦うしかない。
  阿部一族は、妻子も含めて権兵衛の屋敷に立てこもった。

  光尚は兵を差し向けた。
  その前日、立てこもった阿部一族の老人や女はみな自殺した。
  幼子は刺殺した。
  
  討ち入った当日、激しい戦いになったが、阿部一族は残らず討ち取られた。
  討ち入った側にも相当の死傷者が出た。

  先代の忠利の意固地、当主の光尚の思慮の足りなさが、阿部一族に悲劇をもたらした。

  徳川幕府の第四代将軍家綱は、1663年に殉死の禁止を命じた。
  殉死は無益なことと否定したのみならず、厳しく罰した。
  主人の死後は殉死することなく、跡継ぎの新しい主人に奉公することを義務付けた。


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志賀直哉の短編小説 [日本文学]

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  以下に拠る。 
   「小僧の神様、城の崎にて」
     新潮文庫、1968年刊。

  志賀直哉(1883~1971)は、武者小路実篤らとともに同人雑誌「白樺」を1910年に創刊。
  短文を重ねる文章のうまさは他の追随を許さないと言われる。
  短編小説に佳作が多い。
  太宰治は志賀直哉を嫌い、また、志賀も太宰の「斜陽」などの作品を酷評した。

『佐々木の場合』
  佐々木は書生としてある富裕な家に住み込んでいたが、その家のお嬢さんのお守り役として働いていた、三歳年下で16歳の娘、トミと仲良くなった。
  ある日の夕方、佐々木はお嬢さんと一緒にいたトミを物置に誘った。
  トミはしばらくして一人で物置にやってきた。
  少ししてから外で悲鳴が聞こえた。
  お嬢さんが転んで倒れ、近くにあったたき火の残り火でひどくやけどをしていた。
  佐々木は数日後いたたまれずその家を飛び出した。
  トミも責任を感じたが、その後もお嬢さんの世話を続けた。

  七、八年後、佐々木は偶然、街でお嬢さんとトミを見かけ、トミに会いたいと連絡した。
  佐々木は、トミのことが気になって結婚していなかった。
  数回の手紙のやり取りののち、トミは以下のように書いてよこした。
 「あなたは私を大変気の毒がってくださるけれども、私は今少しも不幸ではない。ただ、お嬢様にいいご縁がないだけが自分の不幸である。一生お嬢様のおそばで働くつもりでいます。どうか自分のことは忘れてください。」

  佐々木は、トミの心を変えられると思っている。
  佐々木は、出世した今の自分を誇りに思っている。
  しかし、佐々木はエゴイストで、相手の気もちを分かろうとしない。
  トミが佐々木の妻になっても、それが必ずしも彼女の幸福を増すことになるとは言えない。
  佐々木には、トミが今持っている幸福がどんなものかは分かっていない。

『城の崎にて』
  山手線の電車に跳ね飛ばされて大怪我をした。
  退院後、養生のため城崎温泉に一人で数週間滞在することにした。
  
  部屋の縁側の椅子に座って、ハチの巣から忙しそうに出入りするハチを眺めていた。
  ある朝、一匹のハチが死んでいた。
  その死んだハチは三日ほど、そのままであったが、夜の間に雨が降り、その死んだハチは洗い流されてしまった。

  散歩していると、川で必死になって土手に這い上がろうとするネズミを見た。
  ネズミは何度試みても這い上がることはできなかった。
  そして川に流されていった。
  ネズミが、死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽くしている様子が妙に頭についた。
  死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう苦しみや騒ぎは恐ろしいと思った。
  自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなければならない。

  散歩道で石の上にいるイモリを見た。
  驚かそうと思って、イモリの近くを狙って小石を投げた。
  それがイモリに当たってしまった。
  イモリは死んだ。
  イモリにとっては全く不意の死であった。
  自分は電車に跳ねられても偶然死ななかった。
  イモリは偶然に死んだ。
  生きていることと死んでしまっていることと、それ両極ではなく、それほどに差はないように感じた。

『好人物の夫婦』
  18歳の女中が妊娠した。
  数か月前、妻は祖母の看病のため1か月ほど家を空けていた。
  その間、夫はその女中と二人だけになっていた。
  疑われても仕方がない。

  しかも、夫はその面では厳格ではない。
  独身時代に実家で女中と仲良くなったことがあった。
  結婚してからも、長期の旅行ではそういうこともあった。
  妻が留守の間に、女中が近くに寄ってくると、胸がどきどきした。
  女中はかわいい顔をしていた

  夫は妻が疑っているに違いないと思った。
  数日前から妻の元気がなくなっているように見えた。
  このままにしては置けないと思い、夫は妻に「女中の妊娠は、俺じゃないよ。俺はそういうことをしかねない人間だが、今回の場合、それは俺じゃない」と言った。
  妻は、唇を震わしていたが、「ありがとう」と言うと、その大きく開いた眼から涙がとめどなく流れてきた。また、「あなたがいつそれを言ってくださるか待っていたの」とも言った。
  妻は身体をブルブル震わしていた。



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