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「モーパッサン短編傑作選」 [海外文学]

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  モーパッサン(1850~1893)はフランスの作家。
モーパッサン.png

『春の夜に』
  未亡人の姉二人やその子供たちと一緒に住む生涯独身の老婦人。
 「彼女は無に等しい存在だった。彼女がそばにいない時には、だれも彼女のことを話す者もなく、彼女のことを考えてくれる者もなかった。自分のそばで暮らしている人たちの生活の中にも、習慣の中にも、また愛情の中にも入っていくことのできない人だった。」

  その彼女が、若い愛し合う二人が優しい言葉をかけあうのを聞き、突然顔を両手に埋め、ひきつったような、激しいすすり泣きを始めた。
 「そんなことは、あたしは一度だって言われたことはないわ。このわたしはね!」

『パリの情事』
  真底女性的な女性とは、三重底の精神を生まれながらに恵まれた女性のことを言う。
  三つの秘密室には・・
  ① いつも落ちつかずにそわそわしている女性特有の不安
  ② うわべを誠実で取り繕った狡さ
  ③ 魅惑的な卑しさ、愛想のいい嘘、心地よい不実など
   (馬鹿正直な恋人たちを自殺に追いやりはするが、その他の男たちを恍惚とさせる、背徳的なすべての性質)
  
  女性の好奇心ほど激しいものが有るだろうか。性急な好奇心が目覚めたら、どんな気ちがいじみたことでも、どんな無謀なことでも、どんな大胆なことでもやってのける。

  田舎に住む、夫や子供の世話で忙しく過ごしていた普通の女性が、パリの享楽の世界にあこがれた。
  彼女はある時、理由を見つけて一人でパリに行き、骨董店で見つけたある作家の男に、ずんぐりとした小男であるが、言い寄った。一緒に食事や芝居になどで時間を過ごした後、彼の家に泊まり込んだ。しかし、夢のようなことは起こらなかった。
  彼女は翌朝、その男の家から飛び出し、家に帰った。
  自分の中で、何かしら掃除がされた様な気がした。

『旅にて』
  兄弟が雨水溜めのほとりに遊びに来ていた。
  兄は縁石のまわりを走っていて、池に落ちてしまった。
  11歳の弟は、四つん這いになって、腕を兄の方へ延ばした。
  四つの手は絡み合い、互いにぐっと握りしめた。

  兄は懸命に壁を登ろうとしたが、壁が垂直なので、なかなか登れない。
  弟は渾身の力を込めて兄の手を握りしめたが、引っ張り上げることは出来ない。
  二人の少年は長い時間、どちらかが力尽きて、か弱い手を離しはしないかと恐ろしい思いに苦しめられながら、いつまでもそうしていた。

  ついに、寒さに震えていた兄が、「もうだめだよ、もう落っこちるよ」と言った。
  日はとっぷり暮れてしまっていた。
  兄はもうだめだと観念して、「さようなら、ママとパパに接吻しておくれ」と言って、痺れていた指を開いた。
  兄は沈み、二度と再び浮いては来なかった。

『ある女の告白』
  私は、伯爵のお金持ちと結婚しました。
  私は、なかなかの美人でした。
  私は、夫を全然愛していませんでした。
  本当の恋愛というものは、自由と障害を同時に必要とするものです。
  合法的な接吻など、決して、盗まれた接吻ほどの値打ちもありません。

  秋のはじめ、狩猟が盛んになり、若い男爵の方がしょっちゅううちにおいでになるようになりました。
  夫は私との関係を疑っているようでした。
  ある晩のこと、食事を終えた後、夫が私に、うちの鶏をねらってやってくる狐を撃ちに行くのでついてこないかと言いました。
  私はお供をすることにしました。

  二人で、庭の樹の下で銃を構えて、狐の来るのを待ちました。
  そこに、一人の男が月の光を全身に浴びて、まるで逃げるように急ぎ足でやってきました。
  夫は、その男を撃ち、その男は弾にあたって、地上にころがりました。
  そして、夫は私を抱き上げ、草の上に倒れている死体の上に、乱暴に投げつけました。
  夫は私を殺そうとしていたのです。私はもうだめだと思いました。

  その時、小間使いとして雇っていた娘がやってきて、夫を倒し、きちがい猫のように掻きむしりました。
  そして、その娘は死体を抱きしめ、接吻をしました。
  夫は自分の間違いに気づき、私に「許しておくれ。私はお前を疑って、この娘の恋人を殺してしまった」と言いました。

  この後、私は夫に対して不定な妻になり、幾度か、この燃えさかる恋は決して終わることがあるまいと思ったほど、激しい恋を経験しました。

  
 
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「フィッツジェラルド短編集」 [海外文学]

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  岩波文庫の一冊。1992年刊。
  スコット・フィッツジェラルド(1896~1940)は、アメリカの小説家。
  長編「偉大なるギャツビー」のほか、176もの短編を書いた。

『冬の夢』
  冬の夢.png

  デクスターは23歳。東部の有名大学を卒業し、故郷のミネソタで事業を始め、大成功していた。
  同じ町に住む、3歳年下の裕福な家の娘ジューディの魅力に引き込まれる。
  見る者をくぎ付けにしてしまう美しさを持っていた。

  彼女は欲しいものが有ると、おのれの魅力を総動員して探し求める。
  ただ、その最高に美しい容姿を男たちに見せつけてやるだけの話だった。

  他の男にキスしたりなんかしないわ、とジューディは請け負ったけれども、そんなことは嘘だと分かっていた。
  デクスターは1ダースもいるジューディの取り巻きのうちの一人に過ぎなかった。

  デクスターはジューディに結婚を申し込んだ。
  彼女は「そのうちにね」と答えた。
  デクスターは、ジューディを自分のものにするのはむりだ、と思った。

  デクスターは25歳になり、他の女性と婚約した。
  ジューディは、フロリダで誰かと婚約し、そして婚約破棄したとのうわさを耳にした。

  しかし、デクスターが婚約披露を予定していた1週間前に、ジューディが街に戻ってきた。
  デクスターはジューディに誘われるままに、彼女の家に行き、そこに泊まってしまった。
  彼女はデクスターに婚約者がいることを知りながら、「あなたと結婚できたらいいのに。うまくやっていけそうね、あたしたち。」と言った。

  婚約者は傷つき、婚約は解消となった。
  しかし、ジューディの激情の炎はひと月で消えてしまった。

  デクスターはその後、ニューヨークに移り、事業を順調に拡大させた。
  ジューディと別れてから7年後、デクスターはジューディが遊び好きの男と結婚し、家で子育てに専念し、その美しさをすっかり失ったといううわさを耳にした。


『バビロン再訪』
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  チャーリーは、1920代のパリで、株式相場でしこたま儲けた。
  そのお金は、度はずれた濫費でばらまかれ、また酒にも狂った。
  ちょっとした行き違いで最愛の妻と別れ、その後、妻は病気で亡くなった。
  お金も株の大暴落ですっかりなくなった。
  可愛い娘は、怒った妻の姉に親権を渡さざるを得なくなった。

  チャーリーは何もかもなくして、プラハに行き、商売を始めた。
  そして、2年ぶりに娘に会いにパリに戻ってきた。
  娘は慕ってくれている。
  プラハの商売は順調だった。
  酒も一日一杯しか飲まないと決め、実行していた。

  彼は、娘の面倒をみてくれている妻の姉夫婦に、娘をプラハに連れてゆきたいと言った。
  妻の姉は、チャーリーを信頼して子供を任せられるか、不安だった。
  チャーリーの妻は、死ぬ間際に姉に、この子をお願いねってすがって頼んだ。

  しかし、妻の姉夫婦は、チャーリーの説得にようやく心を開き、子供を引き渡すことに前向きになってきた。
  娘も、父と一緒に暮らすことができるということを聞き、喜んだ。
  チャーリーは、妻の姉夫婦の家で、談笑していた。
  そこに、チャーリーがパリに戻っていることを聞きつけた、バブル時代の遊び仲間が訪れてきた。
  彼らは酔っている様子で、チャーリーを荒っぽく食事に誘った。
  妻の姉夫婦や子供たちはおびえた。
  彼は食事の誘いを断った。
  しかし、妻の姉夫婦は子どもを引き渡すことを考え直すことにした。

  結局、半年ほどは今のまま、妻の姉夫婦のところに娘を置いておくことになった。
  チャーリーは思った。
 「いつかまた戻ってこよう。あの二人だって、そういつまでもおれに償いを求めるわけにはいかないだろう。おれはあの子が欲しい。あの子の他に何の楽しみもないのだ。」


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「フランク・オコナー短編集」 [海外文学]

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  岩波文庫の一冊。2008年刊。
  フランク・オコナー(1903~1966)は、アイルランド出身の作家。

「国賓」
  1919年から始まったアイルランド独立戦争ならびに、それに続くアイルランド内戦で、アイルランドがイギリスと戦っていた時の話。

  捕虜となってしまった二人のイギリス人は、監視するアイルランドの若者たちと、打ち解けて話をしたり、トランプをして暇をつぶしていた。
  二人は、逃げ出そうなどという気はさらさらなく、今のままでいることに何の不満もなさそうだった。
  一人はおしゃべりで、アイルランドの若者に宗教のことで議論をしたりした。
  (アイルランドはカトリックで、イギリスはプロテスタント)

  敵同士にもかかわらず、友情といった感情さえ芽生え始めていたころ、イギリス軍がアイルランド人の捕虜4人を処刑したことが分かった。このため、アイルランド軍は報復として、捕虜のこの二人を処刑することに決め、監視していた若者たちに処刑を実行するよう命令してきた。

  監視の一人は、捕虜の二人が抵抗するか逃げてくれればいいと思った。
  しかし、二人は抵抗も逃げもしなかった。
  監視の一人が、銃の引き金を引いて、二人を処刑した。

「ある独身男のお話」
  その男には、結婚を前提に付き合っている女の子がいたが、その子が他に二人の男と付き合っていることが分かり、別れた。あまりに傷つき、それ以来、女ぎらいになった。

  他に二人も同時に付き合っている男がいると分かった時、彼はその女の子を詰問した。
  その女の子は、こう言った。
  「昔、ある男の子に、付き合ってくれって言われて、断ったことがあるの。
  そうしたら、彼は自殺してしまった。本当に恐ろしいことよ。
  単なる遊びだと思ってた。彼のことをどんどんけしかけて、おもしろがってた。
  男の子が何を考えてるかなんて、分かるわけないじゃない。」
  
  それ以来、彼女は付き合ってくれと言われると、断れなくなった。

  彼は言った。
  「君はこれからも自分の前に現れるまじめな気持ちの人間たちを次々に欺き、出し抜いていくわけか。お慈悲ゆえに。」

  この話を彼から聞いた友人は、彼女のやさしさに惹かれた。
  「何か危ない気がするからこそ、そういう女性に惹かれるのじゃないか?
  いい女っていうのは、過去にそういう自殺沙汰でも起こしたように見えるものなんだよ。
  だから、彼女だっていい女だという気がする。
  君はもったいないことをしたと思うよ。」

「はじめての懺悔」
  (懺悔とは、信者が神父と面会し、それまでに自分が犯した罪を告白して許しをもらうという、キリスト教の儀式。信者の告白を聞いた神父は助言を与え、罪の内容や大きさに応じて償いを命ずる。)

  初めて懺悔をする男の子の話。
  懺悔の時に、犯した罪を言わずにいたり、うその懺悔をすることは、地獄に落ちるような大罪だ。
  僕は懺悔が死ぬほど怖かった。
  あれやこれやで、ぼくはモーゼの十戒はみんなやぶっているのだ。

  懺悔の部屋に入り、ぼくは神父様に懺悔をした。

  僕はばあさん殺害計画を立てました。
  うちのばあさんは、黒ビールを飲んだり、タバコを吸ったり、裸足で歩き回るんです。
  死体は、バラバラにして、僕の手押し車に載せれば運びだせるかなと思いました。

  僕は姉ちゃんのことも殺そうとしたんです。
  パンナイフを使って、テーブルの下で。うまくいかなかったけど。

  神父さんが言った。
  君と同じように私だって殺してやりたいと思っている連中はたくさんいる。
  だけど、なかなか思い切れないんだ。
  絞首刑になるのは怖いしね。
  絞首刑になる人は、みんな、やらなきゃよかったって言ってたぞ。

  教会の外まで神父様が僕を送ってくれた。
  神父さまとおわかれするのが本当に残念だった。
  教会で会う人の中ではずぬけて面白い人だったから。


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「人間ぎらい」 [海外文学]

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  フランスの作家、モリエール(1622~1673)が44歳の時に発表した戯曲。

  舞台は17世紀フランスの貴族社会。
  主人公は、純真で曲がったことが嫌いな青年貴族アルセスト。
  若い未亡人セリメーヌを愛している。

1 主人公アルセストは、社交界の人たちが、思ってもいないお世辞を口に出し、陰では悪口を言うのに我慢が出来ない。思ったこと、毒舌めいたことを口に出し、周りの人のひんしゅくを買う。

アルセスト:「人間は人間でありたいのだ。どんな場合にも、僕らの心の奥底を僕らの言葉に表したいのだ。僕らの心がそのまま、僕らの言葉でありたいのだ。僕らの感情を口先ばかりのあいさつで覆いたくはないのだ。」

友人:「率直一点張りというやつは、時によると、笑われ者になることがあるあるものだよ。心に思っていることを押し隠すのが、いいこともあるものだよ。あいつはどうも嫌な奴だ、気に食わないやつだと思ったら、すぐそれを、そのまま言ってしまっていいものだろうかね。」

アルセスト:「みんなが交際しあってる様子を見ると、歯がゆくてたまらなくなる。情けなくなってしまう。どこへ行っても、卑しい阿諛追従ばかりだ。奸計ばかりだ。一切の人間が嫌でたまらない。僕はあらゆる人間を憎む。」

アルセスト:「邪悪にして悪事を働く連中。口先だけの人に慇懃を尽くす連中。悪事に対して憎悪の念を抱かない連中。悪だくみをする連中が、みんなに許されているのを見ると、僕はもう生きてる気持ちがしない。時にはどこかの砂漠にでも逃げ出して、人間と絶縁したくてたまらなくなるんだ。」

友人:「人間の性質を、少しは大目に見ることにしようじゃないか。厳格一点張りで見るのは止そうじゃないか。人の欠点を見るのでも、少しは寛大な心で見ようじゃないか。交際社会では、ゆとりのある心が必要だ。聡明一点張りでは、人に非難されないとも限らない。」

友人:「完全な理性は、あらゆる意味の極端を避け、程度のよろしきを得た聡明を欲する。昔のまるで融通の利かない道徳は、現代にあってはことごとく衝突する。相対的な人間に対して、絶対的な完全を要求する。我々は我を捨てて、時代に服従しなければならん。」

2 主人公アルセストは、時代の悪習にどっぷりと染まった若い未亡人セリメーヌを愛してしまってる、

友人:「現代の悪風習を呪いぬいている君が、あの女の時代かぶれな言動に我慢しているなんて、おかしな話だよ。」
 
アルセスト:「僕はあの若い未亡人に愛を感じているからといって、あの女の欠点が見えないわけじゃない。僕はいくらあの女の欠点を認めても、非難しても、ついあの女を愛する気になるのだ。あの女の美しさが何より強いのだ。僕はきっと今に、時代の悪風習に染まったあの女を、僕の恋の力で洗い清めてやる。」

女性の友人:「何事にも真剣を誇りにしていらっしゃるところは、それなりにどこかきりりとした、雄々しいところがおありですわ。今の世の中では、ほんとに珍しいお心掛けで、あたくし、どなたにもあのような心掛けでいていただきたいと思いますわ。」

友人:「僕はアルセストがなんだってあんな恋をしているのか不思議でならない。」

女性の友人:「セリメーヌが本当にアルセストを愛しているかどうか、判断がつきかねる。セリメーヌは自分で自分の心がはっきりしない人ですから、時には恋をしていながら、はっきりとそれを知らずにいることもある。また時には、何ということもないのに、恋をした気になることだってある。」

3 アルセストは、セリメーヌに対して、一緒に人里はなれたところに行ってくれないかと頼むが、断られる。

アルセスト:「僕はあなたのだいそれた罪を忘れたいと思います。しかしそれも、一切の人間から離れようとしている僕の計画に同意してくださらなければだめです。これから行って住もうと思っている人里離れたところへ、すぐにも僕と一緒に行く決心をしてくださらなければだめです。」

セリメーヌ:「でも、まだ年寄りでもないのに世捨て人になるのでしょうか。二十歳そこらのものには、恐ろしくてなりませんわ。」

アルセスト:「僕は、悪事が跋扈している渦中を離れ、人里離れた場所をこの地上に探し求めて、何の束縛もなく、名誉を重んずる人間として生きるんです。」

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「空を取り戻した日」 [海外文学]

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 著者はカナダの作家、ミシェル・ブリューレさん。 主婦の友社、2005年刊。

 ブラジルのリオデジャネイロで、両親を亡くしたホームレスの少年の話。
 
 生まれ育だったのは、リオデジャネイロのはずれ、掘立小屋の立ち並ぶ貧しい地区。
 かあさんと二人で暮らしていた。
 12歳の時、町が洪水に襲われ、段ボールで作った二人の家は壊れてしまった。
 母さんは病気で寝込んでしまい、それからまもなく息をひきとった。

 住んでいた貧民街は、社会から締め出された者ばかりが集まっていた。 
 でも、そこからも追い出されてしまった。
 浮浪児として生きるしかない。
 ぼくはカタツムリみたいに、自分の家となった段ボール1枚を背負って貧民街を後にした。
 そこを離れるのに悔いはなかった。

 僕は去年、学校をやめなければならなかった。くやしくてたまらなかった。
 僕はクラスで一番勉強ができた。読むのも書くのも得意だった。
 先生たちから、あなたには才能があると言われた。
 でも、うちには本が一冊もなかった。
 学校で、夢中で本を読んでいると、世界も自分の人生も、一から作り直せるような気持になった。

 足を引きずるようにして歩き続けた。
 お腹がすきすぎて、胃とあたまがガンガンする。ひもじいのはつらい。
 ひとりっきりで生きて行くのに、12歳は早すぎるよ。

 道行く人に物乞いをした。「どうかお恵みを」、「どうか助けてください」
 ある人が、5レアル札(175円)をくれた。
 早速、マクドナルドに入り、ハンバーガーを食べた。
 すごい勢いで食べたけど、期待した割にはおいしくなかった。
 母さんが作ってくれた料理の方がずっとおいしかった。

 孤独ってっやつは、半端なくつらい。
 孤独だってことは、愛することも愛されることもないってことだ。
 母さん、どうして死んじゃったんだ。僕を一人にするなんてひどいよ。

 ロシア人の船乗りが、黒っぽいパンをくれた。こんなパンは初めてだ。
 かじってみると、おいしい! 
 ガラス瓶に入ったキャビアもくれた。ひどく塩辛くて、あまりおいしくなかった。

 5レアル札をくれた人が、新しい服と靴をくれた。
 それを着て、仕事を探しに職業安定所に行った。
 そこで会った若者が、自分が働いている工場に連れて行ってくれた。
 コンビーフを缶に詰める工場だった。
 月150レアル(5,250円)で働かせてくれることになった。
 
 職場は地獄そのものだった。
 騒音がひどく、工場の中は不潔で、暑さは外よりもひどかった。
 三度目の給料をもらうと、手持ちのお金は230レアルになった。
 工場を紹介してくれた青年と一緒に、アパートを借りに行った。
 持っているお金をすべて彼に預けた。
 彼はそれをもったまま、いなくなった。

 工場をやめ、また、物乞いを始めた。
 工場の仕事を続けていれば、きっと病気になっていた。
 何も持っていなければ、何も失うこともないんだ。
 しかし、ようやく友達ができたと思ったのに、裏切られたことがつらい。
 ひどく貧しい者どうし、本当の友達になれると思ったのだ。

 日本食レストランで「求人」の張り紙が出ていたので、入って、働かせてもらえませんか、と尋ねた。
 気の毒だが、今朝、決まってしまったという返事だった。
 だが、そこに居たおじいさんが、巻ずしをごちそうしてくれた。
 それはとてもおいしかった。
 そのおじいさんは、自分が日本からブラジルに来たいきさつを話してくれた。

 5レアル札や衣服と靴をくれたひとが、病気の自分の母親の面倒をみてもらうために、ぼくをその人の家に住まわせてくれることになった。
 守衛がいる大きな家だった。食べ物を腹いっぱい食べさせてくれた。
 そのお母さんにも気に入ってもらえそうだった。


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「死の海を泳いで」 [海外文学]

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  著者はアメリカのノンフィクション作家のデイヴィッド・リーフさん。
  岩波書店、2009年刊。
  
  著者の母親は、スーザン・ソンタグさん(1933~2004)といい、小説家で批評家。人権問題に関するオピニオンリーダーでもあった。ニューヨーク在住。
  著者は、その母親の亡くなるまでの9か月間を追った。
  
  母は2004年3月、医師から、血液の精密検査と骨髄の生体検査の結果から、骨髄異形成症候群(MDS)であると告げられた。
 医師は、また、以下のことを告げた。
 ① 致命的な血液のがんであること。
 ② 有効な治療法は全くない。
   治癒はもちろん、一時的に症状が軽減される治療法もない。
 ③ 骨髄移植はあるが、71歳の人には有望な手段とは言えない。

 母は、1975年、42歳の時に第四ステージの乳がんと診断されたことがある。
 がんが17ものリンパ腺に広がっていた。
 医師は治癒の可能性は少ないと告げたが、母は出来ることはなんでもすることにした。
 「ハルステッド」という乳房全摘手術を受け、化学療法がそれに続いた。
 免疫システムを増進させるための投薬も試した。
 母は、できるだけたくさんのことを試みれば、その分だけ生きる可能性が増える、と信じていた。
 母は42歳で死ぬつもりなどなかった。

 その後、65歳頃に子宮肉腫も経験した。

 子宮肉腫の患者に使用される化学療法の薬の中には、かなりの確率で白血病を発症させるものがあるとということであった。
 しかし、母は原因の追求よりも、快癒の可能性を重視した。

 母は、こうした難病を切り抜けることができたのは、奇跡ではなく、自分自身が最も根治的で、体を切り刻むような処置を受けたことの結果と考えていた。

 MDSと告げられたのち、家に帰り、母はインターネットでMDSの情報を集めた。インターネット上では、MDSのことを「くすぶる白血病」とか、「手に負えない鉄芽球性貧血」と書いてあった。
 いろいろな人に電話もかけ、アドバイスを求め、新しい医師や治療法を探した。
  
 転移性乳がんの時には、ある医師が、これは絶望的なものではないと言ってくれた。
 しかし今回は、母はMDSについて徹底的に調べたが、何もやれることは見つからなかった。
 母は少なくとも可能性のある領域にいたいと思った。

 母は科学が自分を支えてくれたと思っていた。
 がん研究は日進月歩で進歩しており、もしも数年間余計に生きられれば、そのうちに新たな実験的処置が開発される可能性がある。そう考えた。

 乳がんの時も、提供された処置に満足することなく、幅広く専門家を探した。
 確率をひるがえし、母を生還させる処置をしてくれる専門家を。

 母は自分の前向きな姿勢が、生き残った要因であると感じていた。
 前向きな姿勢が免疫システムを強めたとか、化学療法の効果を高めたといった生化学的な意味以上に。

 母は、西海岸のシアトルにあるワシントン大学病院で、骨髄移植を受けた。
 骨髄移植の準備のため、白血病で弱まった免疫システムにたっぷり放射能を浴びせて、それを破壊しなければならなかった。
 そして、移植後の3か月間、次々に病気にかかり、感染した。
 それでも、骨髄移植で生還できると、信じていた。

 しかし、骨髄移植の結果、寝たきりになり、筋肉が弛緩し衰弱して、手助けなしには寝返りも打てなくなった。
 肉には次第に潰瘍が生じ、口の周りにも潰瘍ができて、しばしばものを飲み込むことができず、時には話すことさえできなくなった。
 
 母が本当に諦めたのは、人生の最期の数週間になってからだ。
 骨髄移植に失敗し、シアトルからニューヨークの病院に戻り、ついに母は道を探る努力を断念した。
 
 沈没する船の船員が帆桁にしがみつくように、母は医師たちにしがみついた。
 ほとんど人生の最期の日まで。
 その間、我々はなすすべもなく見ているだけだった。

 母の死には、楽な面などまったくなかった。
 文字通り、最後の数時間を除けば。
 それは激しく、そしてゆっくりとした死だった。
 
 私には母の最期の数日が実際にスローモーションで起きていたようにさえ思われた。
 そして、その過程で、威厳をすっかりはぎとられてしまったのは、母だけではなかった。


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「エセー」を書いたモンテーニュ [海外文学]

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  *「モンテーニュ」(大久保康明著、清水書院 2007年刊)ならびに
   「モンテーニュ」(原二郎著、岩波新書 1980年刊) に拠る。

  モンテーニュ(1533~1592)は、フランスのボルドー近郊に領地を持つ貴族の長男として生まれた。
  学業を終えたのち、22歳で裁判所の評定官に就いたが、35歳の時に父親が死去したため、37歳で裁判所を退職し、父の跡を継ぎ領主となった。
  なお、モンテーニュは32歳で10歳年下の有力貴族の娘と結婚した。
  彼にとって結婚とは、一家の隆盛を図り、周りとうまくやっていくための取り決めであって、浮薄な楽しみを目的としたものではない、という考えであった。
  このため、結婚相手は自分の個人的な好悪によらず、周囲の人々の意向に従って選んだ、と言っている。

  領主となった後しばらくは家事の監督、管理に専念した。
  こうしたなか、知的に洗練され、幼時から深い教養の中に育っていたことから、一人静かに読書と思索にひたることに最上の喜びを感じた。
  城館の離れたところに書斎を作り、一人だけの孤独の世界を心ゆくまで味わうことができた。

  モンテーニュは言う。
  「われわれはいままでに他人のために十分生きてきた。今度はせめてわずかばかりの余命を自分のために生きようではないか。」

  「私はこの書斎で一日の大部分を過ごす。自分の家にいても自分の居場所のない人、自分自身に語りかける場所のない人、隠れ場所のない人は、私の考えでは惨めな人である。」

  モンテーニュは1580年、47歳の時に「エセー」初版を自費出版する。
  内容は、領主となってからの10年間で、断続的に書き継がれたものである。

  モンテーニュは静かな生活を望んだが、そのころのフランスは宗教的な対立が深まっていた。
    (1517年 ドイツのルター 95ヵ条の論題を発表,
     1536年 フランスのカルヴァン『キリスト教綱要』を発表。)
  国王軍の一員として先頭に加わることもあった。
 
  また、「エセー」出版後、彼は、持病の腎臓結石の湯治もかねて、1年半にわたりイタリアを旅行する。
  旅の終わりころ、彼がボルドー市長に選ばれたので、すぐ戻るようにとの知らせを受ける。
  いったんは固辞するが、フランス国王からの強い要請もあり、就任を承諾することになった。
  
  ボルドー市長を4年間務めた。無報酬の名誉職であった。
  彼は、穏健なカトリックの立場を守り、安易な武力的衝突は避け、王権を尊重して内乱の終息を求める現実重視の立場で職務にあたった。

 「エセー」に書かれているモンテーニュの考えをいくつか拾ってみると・・

1 自己査察
   自分を観察すればするほど、自分の複雑さと不統一とを発見し、矛盾だらけの自分の姿にほとほとあきれてしまう。
   しかし、そのようなことは果たして自分だけなのであろうか。
   程度の差こそあれ、誰でも同じではないか。

   揺れ動く自分の底には常住不変な何ものかがある。
   生まれつきの傾向は、教育によって改変され克服されることはほとんどない。
   持って生まれた性質は、根絶されずに覆い隠されるだけである。

2 実践的真理探究の方法
(1)正しい話し合いの方法、討論の方法を会得する。
  ① 自尊心を捨て、個人的感情のために公平無私の態度を失わない。
  ② 対話者の外見や言葉に惑わされない。
  ③ 会話の形式と秩序を守る。

(2)経験を重んずる。
   人々は、経験と事物そのものを越えて、直ちに抽象的な推論や理論に走る。
   また、直接に自分の目で事物を見ることをせずに、学説や書物の権威に頼る。 

3 快楽について
  モンテーニュは多分に快楽的な気質を有していた。
  精神の美しさは恋愛よりももっと立派な事柄に用いられる。
  けれども、恋愛となると、これは主として視覚と触覚に関するものであるから、精神の美しさがなくとも相当のことができるが、肉体の美しさがなくてもどうしようもない。美こそはご婦人方の真の長所である。

  モンテーニュの快楽主義の底に一種の無常観のようなものが読み取れる。
  人間に最後に残るものはむなしさだけである。


  モンテーニュは、1592年9月、59歳で亡くなった。
  
  フランスでは16世紀後半、ユグノー戦争(1562~1598)と呼ばれる宗教内乱が起こっていた。
  モンテーニュはその真っただ中で生きた。
  モンテーニュが期待を寄せていたアンリ4世が1589年に王位を継ぎ、カトリックとユグノーを和解させた。
  以後、フランスの歴代国王は貴族勢力を抑えながら国家統合を進め、17世紀後半にはルイ14世(在位1643~1715)のもとでフランスの全盛期をむかえた。
  
   
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ジャン・ジャック・ルソー [海外文学]

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 *「誇り高き市民」(小林善彦著、岩波書店 2001年刊)に拠る。
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<ジャン・ジャック・ルソー>

1 ジュネーブを飛び出すまで
 ルソーは、1712年、時計職人の次男として、スイスのジュネーブで生まれた。
 母親は、ルソーが生まれて9日目に亡くなった。
 父親は、母が残した小説などの本を、よく読んでくれ、ルソーは並外れた感受性の発達した子供として育った。
 また、10歳になる前に、親戚の牧師が残した歴史の本などにも読書の幅を広げ、読書の習慣を身につけていった。

 しかし、父親は、ルソ-が10歳の時に犯罪の嫌疑をかけられ、子供たち残して他国へ逃亡してしまう。
 ルソーは、祖父にあずけられたり、牧師にあずけられたり、さらには親方のもとで丁稚奉公をする。
 親方のもとで、空いた時間に貸本屋から借りた本を読んだりすると、親方に殴られたりした。
 こうしたことから、ルソーは16歳の時にジュネーブを飛び出してしまう。

2 ヴァランス夫人
 着のみ着のままでお金もなく、行く当てもなかった。
 彼は教会に行き、カトリックへの改宗を条件に、そこの牧師からヴァランス夫人という女性を紹介してもらう。
 ルソーはヴァランス夫人に初めて会った時から、彼女の魅力のとりこになり、彼女への愛情はその後も変わらなかった。
 ヴァランス夫人には、彼女に関する事務をとりしきり、かつ、彼女の恋人であるという、ルソーより6歳年上の男性がいた。
 三人で暮らすうちに、ルソーは恋人という地位を奪ってしまい、ルソーが22歳の時に、その男性は亡くなってしまう。

 このころ、ルソーは音楽の勉強をするとともに、哲学、数学、歴史、ラテン語などの勉強をした。
 
 その後、ルソーが病気治療のため長期間留守にしている間に、ヴァランス夫人には新しい恋人ができていた。

 ルソーはヴァランス夫人のもとを去らざるを得ず、リヨンで家庭教師をしたり、ヴェネチアでフランス大使の秘書をしたりして、糊口をしのいだ。

3 パリでの生活と結婚
 ルソーは34歳の時にパリに行き、そこで泊まっていたホテルで働く24歳の女性と出会った。
 二人はやがて夫婦の関係となり、ルソーはこの女性と生涯一緒に暮らすことになる。
 彼女は、字を満足に読めず、また、お金の勘定もできなかった。
 しかし、ルソーはこの女性を高く評価していた。ルソーにはない「生きる力」を持っていた。
 「無知で愚かなこの女が、困難に際しては優れた助言者なのである。私が破局に置かれた時に、
私自身には見えないものが彼女には見えていて、従うべき最良の意見を与えてくれたし、私が目に見えずに落ちかかっている危険から、引き出してくれた。」
 
 二人の間には5人の子供ができたが、ルソーはすべて孤児院に入れてしまう。
 ルソーは世間から、父親としての義務を怠ったとして、攻撃された。

4 懸賞論文への応募と当選
 転機は、ルソーが37歳の時に訪れた。
 雑誌の懸賞論文に応募して、その「学問芸術論」という論文が見事に当選した。
 「われわれの学問と芸術が完全なものへと進歩するにつれて、我々の魂は腐敗した」とするルソーの主張は多くの批判を受けることになるが、その反論を雑誌に掲載するなどの中で、ルソーの名声は高まって行った。

 ルソーは貴族や金持ちの出身ではなく、奉公人や下僕などを経験した民衆の一人であった。
 しかし、それにもかかわらず、読書をし、学問に熱中し、文章を書くことを学んだ。
 一般の民衆の多くが字もかけないこの時代に、ルソーは民衆の立場からものを書いた、きわめてまれな人間であった。

5 その後の活躍
 ルソーは42歳の時に「不平等起源論」を書いた。
 自然状態では不平等は殆どなく、我々の能力の発達および人間精神の進歩から不平等が増大し、そして所有権と法律が確立することによって、不平等が安定し合法的なものになる、と論じた。

 その後の著作では・・
 「新エロイーズ」   フランス小説史上かってなかったほどの成功を収めた。
 「エミール」     自然状態の人間性をいかにして社会状態のなかでも保ち続けるかを考えた教育論。
 「社会契約論」    自然状態において自由であった人間が、社会状態においても自由であるための社会契約を考えて、人民主権の理論を打ち立てる。

 ルソーは1778年、66歳で亡くなった。

6 その後への影響
(1)ルソーの特に『社会契約論』に込められた民主主義の理念、人民主権の理念は、1789年のフランス革命に大きな影響を与えた。

(2)ルソーは自然状態における自由と平等を高く評価していたが、マルクスも資本主義を批判するために原始共同体を理想的な社会と考えた。


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「ダブリンの人々」 [海外文学]

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  著者はアイルランドの小説家、ジェイムス・ジョイス(1882~1941)。
  本作品は、15の短編でアイルランドの首都ダブリンの人々の諸相を描いたもの。

  アイルランドは12世紀後半から1922年に独立するまで約750年間、イギリスの支配に苦しんだ。
  作品全体に停滞と喪失感が漂う。
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1 「姉妹」
  老神父が聖杯破損の事件から神経衰弱に陥り、引きこもったまま亡くなった。
  主人公の少年は、この神父と親しく、色々なことを教えてもらった。
  少年は、亡くなった神父の家を訪ねた。
  神父は、棺の中で聖職服をまとい、大きな両手に聖杯を力なく持っていた。
  家の人が、シェリー酒をグラスに注ぎ、少年に手渡してくれた。
  「終油の秘蹟」(罪が許され天国に導かれるのを祈る儀式)は6日前に行われた。
  すっかり観念して、(死が近いことを)分かっていたようだ。

2 「イーヴリン」
  若い女性が知り合ったばかりの男と駆け落ちしそうになる話。
  彼女はすごく優しく、男らしく、心がきれいな彼と一緒に夜の船で逃げだし、彼の奥さんになって、ブエノスアイレスで一緒に暮らすことになっている。
 
  なるべく長く家の中を切り盛りするという、母さんとの約束を思い出した。
  母さんは、ありふれた犠牲をつみかさねたあげく、最後には気がおかしくなって終わった。

  どうして不幸のままでいなくちゃいけないのだろう。
  幸せになる権利だってあるはず。
  彼が救ってくれるだろう。命を与えてくれるだろう。

  ダブリン港北岸壁の乗船場で、人ごみの中に立っていた。
  二人の乗船の予約はすでに済ませてあった。
  彼女は、苦悩による錯乱状態の中で、神に、自分をお導きください、自分のなすべきことをお示しください、と祈った。
  彼女は黙ったまま熱烈な祈りを捧げて、唇を動かし続けた。

  彼が手をぐっとつかみ「こいよ!、こいったら!」と言った。
  彼女は鉄の欄干を両手で握りしめた。
  いや! いや! いや! できっこない。
  彼女は力なく白い顔を彼に向けた。

3 「下宿屋」
  下宿屋のおかみの娘は、ほっそりとした19歳の娘。
  娘は大変活発で、おかみは娘が若い男たちと自由に交際するのを許してやるつもりだった。
  
  娘と、下宿に住んでいる34,5歳の男ができていることが分かった。
  おかみは男にその償いをしてもらわないといけないと考えた。
  いくらかの銭で片をつけるのではなく、おかみにとって娘の純潔が失われたことの埋め合わせは、結婚しかないということだった。
  彼の給料がいいことと、銭も少しばかりため込んでいることをおかみは知っていた。

  その男は、こうなっては彼女と結婚するか、とんずらを決め込む以外、方法はないと思った。
  とんずらすれば、13年もの間の、永年の勤務の努力が水の泡になってしまう。
  どうもはめられた気がしてならない。
  本能が彼に、自由の身でいろ、結婚なんかするな、と強く迫った。
  結婚したが最後、お前はもうお終いだ、と。

  しかし、その男は屈服するしかなかった。

4 「小さな雲」
  主人公は、ロンドンの新聞業界の花形として活躍している旧友と8年ぶりに会った。
  自分の地味な生活に比べ、彼の活躍は目覚ましい。
  しかし、生まれも教育も、その旧友の方が劣っていた。
  主人公は、旧友よりもましなことをやり遂げる自信がある。
  たかが安ピカなジャーナリズムよりも、もっとましなことをやり遂げる自信がある。
  
  主人公はその旧友にそれとなく結婚しないのかと聞いた。
  旧友は、おれは金と結婚する、銀行にたんまり金を預けている女でなきゃだめだ、一人の女に縛られるなんて、おれには考えられない、と言った。

  彼は家族の待つ家に帰った。
  妻に頼まれていた買い物をするのを忘れていた。
  妻は眠っている子供を預けて、買いに行った。
  妻の写真が目に入った。
  どうしてこの妻と結婚してしまったんだろうか。
  
  子供が目を覚まして泣き出した。
  抱いて左右にゆすってみたが、泣き叫ぶ声は一層激しくなった。
  おもわず「泣きやめ!」と叫んだ。
  子供は恐怖のあまり、ぎゃあぎゃあ泣き出した。
  妻が帰ってきて、子供を彼からひったくった。
  「あんたこの子になにしたのよ」と、彼の顔を睨みつけながら叫んだ。
  悔恨の涙が彼の目に浮かんできた。 

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「ゴリオ爺さん」 [海外文学]

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  フランスの小説家、バルザック(1799~1850)の代表作。1835年、作者が36歳の時に発表。
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  パリのうらぶれた下宿屋での人間模様を描く。
  そこに住んでいたのは・・

  2階 ・下宿の女主人
    ・未亡人の女性と、彼女が母親代わりになっている若い娘。
     この美しい娘は、父親に認知されず、わずかの金を与えられるだけで、家に入れてもらえなかった。

  3階 ・老人男性
    ・四十がらみの男(脱獄犯であり、後に、他の下宿人の密告により逮捕される)

  4階 ・年老いた婦人
    ・ゴリオ爺さん(スパゲティや澱粉を製造していたが、引退)
    ・法律を学ぶために、地方から出てきた学生

  屋根裏 ・下宿屋の下男
      ・下宿屋の料理女

  みんながお互いに対して、それぞれの境遇について無関心であった。
  年とった夫婦と同じで、お互いに言うことがもはや何もなくなっていた。

  このような人間の集まりのなかにも、学校や世間と同じように、みんなからつまはじきにされる哀れな人物、嘲弄の言葉を雨あられと浴びせかけられる一座のなぶりものがいた。
  ゴリオ爺さんは、そのいじめられっ子だった。

  どんな偶然から、そんな迫害、そんな思いやりのなさが、この老人にふりかかったのだろうか。
  もしかしたら、本当の謙虚さとか弱さとか無関心から、すべてを耐え忍ぶ人間に対して、あらゆることを耐え忍ばせるというのが人間の本性なのかもしれない。

  ゴリオ爺さんは事業で成功し、昔は裕福であった。
  娘が二人いて、それぞれ貴族の家に嫁いだ。
  娘たちには、自分の資産の大半を持参金として持たせた。
  このため、自分はわずかな年金に頼ることになり、この下宿屋に引っ越してきた。
  娘の婿たちはいずれも、ゴリオ爺さんを嫌い、遠ざけた

  男たちは、娘を取り上げると、まず最初に娘の愛情をとりこにし、それを斧みたいに振り回して、彼女を家族に結び付けていたすべての感情を断ち切ろうとする。

  ゴリオ爺さんは、20年間もの間、はらわたの底まで、感情のありったけを娘たちに与えてしまった。
  娘たちは、嫁いでからもことあるごとに、ゴリオ爺さんにお金をせびった。
  ゴリオ爺さんは、大切に持ち続けていた思い出の銀食器などをお金に換えて、娘たちに与えた。

  あっという間に財産も全部与えてしまって、レモンみたいに絞り尽くしてしまうと、娘たちは搾りかすを道端に放り出してしまった。

  ゴリオ爺さんは、娘たちが良家に嫁いでいるのに、どうしてこんなみすぼらしい下宿屋に住んでいるのかと聞かれ・・
  「このわしの命は、二人の娘のうちにありますんじゃ。
   あの子たちが楽しい思いをし、幸せで、きれいな格好をしていれば、絨毯の上を歩くことができれば、わしがどんな服を着ていようと、どんなところで寝ようと、どうだっていいじゃありませんか。
   あの子たちが暖かくしていれば、わしも寒くない。
   あの子たちが笑えば、わしも退屈しませんのじゃ。
   わしらは自分自身の幸福以上に、子供たちの幸福から幸せを感じるものです。」
   
  娘たちは、嫁いだ先の家柄と彼女たちの美貌により、パリの社交界に出入りしていた。
  しかし、夫との関係は冷え切り、それぞれ別に愛する人がいた。

  だが、姉は愛する人に騙され、夫の所有する宝石を売ったり、ゴリオ爺さんからもらったお金を貢いでいた。愛する人は逃げ、姉は夫から厳しく責められる。

  ゴリオ爺さんは、娘たちからの要求に心身を苛まれ、病に倒れる。
  隣室の学生と、下宿屋で食事だけしに通ってきていた医学生が交互に看病を続けた。
  ゴリオ爺さんが助かりそうにないとの知らせを受けても、娘たちは舞踏会への出席に頭がいっぱいで、見舞いに来ようとはしなかった。

  看病していた学生は、ゴリオ爺さんの娘たちが、舞踏会へ行くためなら父親の死体でも踏みにじりかねない女だと、予感していた。

ゴリオ爺さん.jpg  
  ゴリオ爺さんの容態は悪化した。
  看護の学生は、引きつったような、血の気のない、極度に衰弱しきった顔の変わりようにぞっとした。
  ゴリオ爺さんは目を覚まして、言った。
  「頭を万力で締め付けられるようじゃったが、楽になってきた。
   娘たちは間もなくやってくるじゃろうて。
   わしが病気だとわかったらすぐに駆け付けるじゃろう。」

  しかし、いつまでたっても娘たちが来ないことが分かると、
  「死ぬときになってみて、子供ってものがどういうものなのかわかる。
   わしが金持ちだったら、わしの財産を取っておいて、娘たちにやらないでいたら、娘たちはここへ来て、接吻してくれたことじゃろうに。
  だが、何もない。
  わしが財宝を残してゆくのなら、娘たちはわしの手当てをし、看病をしてくれたろうに。
  あの子たちの声を聴き、姿を見られたろうに。」

  ゴリオ爺さんはとうとう亡くなった。
  二人の娘は、それぞれの夫たちに妨害されたこともあって、ついに現れなかった。
  看護をしていた隣室の学生と近くの医学生は、お金を出し合って、ゴリオ爺さんのために最低限の祈祷を手配し、埋葬した。


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