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「クリスマス・キャロル」 [海外文学]

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  新潮文庫、2011年刊。
  著者は、イギリスの作家、チャールズ・ディケンズ(1812~1870)。
  原著は1843年、ディケンズが31歳の時に出版。

1 スクルージ
  ロンドンの片隅で小さな両替の商売を営んでいるスクルージは、交際を嫌う孤独で偏屈な老人。
  クリスマスイブの日、甥の青年にメリークリスマスと声を掛けられても、「ばかばかしい」と言って相手にしなかった。
  困っている人たちのために寄付を、と言って紳士が訪れてきたが、すぐに追い返した。
  たった一人の使用人がクリスマスの日を休日としてほしいと頼んできたのにも、さんざん文句を言いながらようやく認めた。

  <スクルージ>
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2 マーレイの亡霊
  スクルージは仕事を終えた後、パブで粗末な食事を済ませ、アパートの一室に帰った。
  古びた、暗い建物だ。
  火の前に座って、粥をすすろうとしたときに、7年前に死んだマーレイの幽霊が現れた。
  マーレイとスクルージは商売の共同経営者だった。

  幽霊には幽霊独特の地獄の雰囲気がこもっているので何かひどく恐ろしいところがあった。
  幽霊は言う。
 「誰しも人間であれば、その霊魂があちこちあまねく旅行しなければならないように定まっている。もし、生きている間に出て歩かなければ、死んでから世界中をさまよい歩かなければならないのが運命なのだ。私の魂は、生前、あの狭苦しい仕事場から他に出ることはなかった。だから、これから先、長い、つらい旅が待っているのさ。」

  幽霊は鎖につながれている。
 「この鎖は、生きている時に自分で作り、自分から進んで身に巻き付けたんだ。お前さんは、おれが死んでからもせっせと骨折って鎖を太くしているんだから、、お前さんの鎖は今では途方もなく大きな鎖になっていることだろうな。」

  マーレイの幽霊は、「これから三夜にわたって、三人の幽霊が現れる」といって去って行った。

3 第一の幽霊
  第一の幽霊が現れ、スクルージをスクルージが少年の頃の時代と場所に連れていった。
  そこには、スクルージの記憶にある場所と人々がおり、暗い部屋で机にしょんぼりとたった一人で本を読んでいる、少年時代のスクルージがいた。
  それを見たスクルージは、急に昔の自分をあわれみだし、「可哀そうな子だ」と言って泣いた。

  次に、幽霊はスクルージを、もっと大きくなったスクルージが奉公していた家に連れていった。
  その家のご夫妻を中心に家庭舞踏会が開かれていた。スクルージは、このご夫妻がスクルージも含め使用人をしあわせにしようと並外れた苦労をしていたことを思い出した。

  さらに、スクルージは、別れた妻との最後の時に連れて行かれた。
  妻は言う。
 「お金儲けという欲があなたをすっかり占領してしまった。私の愛なんか、あなたには何の値打ちもなくなってしまった。あなたの選んだ生活がどうぞお幸せであるようにお祈りします。」

  次の場面では、妻と娘が多くの子供たちと戯れていた。
  スクルージは、自分もあの仲間になれるのであれば、いくらでも出すのにと思った。
  同じような娘が自分を父と呼んでくれれば、霜枯れ果てた自分の生涯の冬に春の光をもたらすのにと思った。

4 第二の幽霊
  次の夜、第二の幽霊が現れた。
  第二の幽霊はスクルージを、クリスマスの準備に忙しい人で一杯の街中に連れていった。
  スクルージは幽霊に対して、「日曜日が安息日だということで、店を閉めさせて、人々がおいしいご馳走を食べる機会を奪っていませんか」と聞いた。
  幽霊は答えた。
 「世の中には、私らを知っていると称して、私らの名をかたって自分の情欲、傲慢、悪意、憎しみ、妬み、頑迷、利己主義の行為をやっているものがあるのだ(司祭など)。その者たちのしたことについては、その者たちを責めるようにしてもらいたい。我々ではなくね。」
  
  それから、スクルージはスクルージが雇っている使用人の家に連れていかれた。
  その使用人には、スクルージはわずかな給料しか与えていなかった。
  しかし、その家では、使用人の夫婦と子供たちがクリスマスの準備のために忙しく動き回っていた。とても楽しそうだった。
  そして、クリスマスイブの食事が始まった。
  彼らはとりたてて言うこともない家族だったが、幸福で感謝しており、互いに愛し合い、今日の暮らしに満足していた。

  第二の幽霊はさらにスクルージを、坑夫の家、灯台を守る二人の男たち、海上の船の中へ連れて行った。どこでもクリスマスイブを祝って楽しそうに過ごしていた。

  続いて、幽霊はスクルージを甥の家へ連れていった。
  甥や姪たちはスクルージの話をしていた。
 「僕はあの人が気の毒なんだ。あのかび臭い古ぼけた事務所や、ゴミだらけの部屋で一人ぼっちで考え込んでいたんじゃとても見つからないような愉快な仲間を失っている。あの人は死ぬまでクリスマスのことを罵るかも知れないけれど、僕は毎年、あの人にクリスマスのお祝いを言うんだ。

5 第三の幽霊
  最後の幽霊はゆっくりと厳かに、黙りこくって近づいてきた。
  幽霊はスクルージを、死んだ男がベッドに横たわる部屋に連れていった、
  何もかもはぎ取られ、誰も番をしてくれる者もなく、泣いてくれる者も世話をしてくれる者もいないまま、死体は横たわっていた。

  次いで、幽霊はスクルージを墓地に連れていった。
  幽霊はそこで、一つの墓を指さした。
  スクルージはぶるぶる震えながら、墓石に近づき、墓石に自分の名前が書いてあるのを見た。
  スクルージは「あのベッドに横たわっていた男は私なのですか?」と叫んだ。
 「私は今までの私と違います。私は心からクリスマスを尊び、一年中その気持ちで過ごすようにするつもりです。この墓石に書いてある名前を吹き消してよいとおっしゃってください。」
  幽霊は、彼を振り放して姿を消した。

6 ことの終わり
  スクルージは死んでいなかった。
  その日はまだ、クリスマスの日だった。
  スクルージは大きな七面鳥を買って、たった一人の使用人の家へ届けさせることにした。
  寄付を募っていた紳士に会い、多額の寄付をした。
  それから甥の家に行き、「ご馳走になりに来たよ。入れてくれるかい?」と言った。
  スクルージは真心のこもった歓迎を受け、素晴らしい宴会、素晴らしい和気あいあいの雰囲気を楽しんだ。
  翌日、事務所に出勤してきた使用人に、給料を上げてあげると約束した。

  スクルージは、ロンドンで、誰からも愛される良き友、良き主人、良き人となった。
  彼ほど慈愛に満ちた人間はまたといないと言ってよかった。



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「アラン島」 [海外文学]

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  みすず書房、2005年刊。 原書は1907年に出版された。
  著者は、J.M.シング(1871~1909)。アイルランドの劇作家。
  本書は、アラン島で地元の人との交流から得た情報を綴った紀行文。
  110年前に書かれたもので、当時の状況を伝える。

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アラン島 1.png
  
  アラン島は、アイルランドの西側にあり、三つの島からなる。
  岩だらけの島で、木はほとんどない。
  麦を生育しているが、藁を得るためで食用に出来るほどは収穫できない。
  土自体が少なく、海藻を砕いたものを混ぜて土を増やしている。

  人々は貧しく、生活は厳しいが、心は汚れていない。
  
1 地元の人の食事
(1)規則正しく食事をとる習慣がない。日中は、それぞれが空腹を感じた時に、紅茶とパン一切れをつまんだり、ジャガイモを食べたりしている。

(2)小食で、8~9時間も飲まず食わずで作業をする。

(3)ベーコン少々と塩漬けの魚以外は、動物性の食事をとらない。ベーコンにしていない肉は食べない。

2 アラン島の女性
(1)羞恥心や自意識がない。若くて美しい娘が、私の持って来た写真をもっとよく見ようとして、私の膝の上に横から身を乗り出してきたとき、人々の天真爛漫さを改めて強く感じた。

(2)アラン島の女性の人生は苦しみの連続となる。息子たちは成年に達するやいな島の外へ出なければならない。あるいは、島で暮らすとしても常に海の危険にさらされる運命にある。娘たちも島を出ていくか、さもなくば、子育てで疲れ果てる運命だ。

(3)男性が女性に見出す最大の美徳は多産であるということだ。子供をたくさん産んでくれるのがいい女だと考えている。

(4)ある男が私に、この島の娘と結婚することを薦めた。なかなかいい女たちだし、よく太った健康な娘たちだ、腕っぷしだって強くて、子供をたくさん産むうえに、無駄遣いはしないんだから、と言った。

3 ケルプ焼き
(1)ケルプは海藻を焼いてできる灰で、ヨードの原料となる。

(2)海岸の岩場に打ち上げられた海藻を、寄せては砕ける波の間から男たちが拾い、若い女たちがそれを崖上まで運ぶ。

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(3)晴れた日にその海藻を乾燥させ、窯で焼く。ケルプ焼きは12~24時間、ぶっ続けの作業となる。

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(4)できたケルプ灰は、ヨード含有量に応じて値段が決められ買い取られる。

4 病人
(1)病人はめったに出ないが、出ると他の島に医者と神父を、四人乗りのカヌーのような小舟で呼びに行く。海が荒れているときは命がけだ。

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(2)病人が亡くなる前には必ず神父のお祈りが必要になるので、万一のために医者と一緒に来てもらう。

(3)出産は女たちが協力し合ってすましてしまう。専門の助産婦を呼ぶ必要もない。

5 埋葬
(1)棺を納めるための墓穴は、その家族の祖先が埋まっている場所に掘られる。この島には、毎回別の場所に墓穴を掘るほどの土地の余裕はない。

(2)まず、地面の石をどけ、薄い土の層をはがして、そこに埋まっている古い棺を解体する。黒ずんだ板や骨のかけらがたくさん掘り出される。

6 万能選手
(1)ここには分業というものがない。個人の能力が多方面に発達している。人々の幅広い知識と技能は、精神の活発な働きを必要とし、知性を高める。

(2)例えば、熟練した漁師であり、途方もない度胸と機敏さで小舟を操り、畑仕事もできれば、ケルプ焼きもこなす。ゆりかごから棺の製作までお手の物である。

(3)やるべき仕事は季節ごとに移り変わるから、退屈というものを経験しないで済む。

(4)言語はアイルランド語とゲール語、そして時に英語を使いこなす。

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「ファウストとホムンクルス」 [海外文学]

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 慶應義塾大学出版会、2009年刊。
 著者はドイツの元外交官、マンフレート・オステンさん。

 ゲーテ(1749~1832)の著作の中から、彼の思想を探る。

1 加速化する時代ー悪魔的速度
 ゲーテは、西欧社会ではすべてのことが加速化しており、それにより傲慢さや不安があふれてきていると嘆く。一方、ゆっくりと動いている中国やイスラム社会に憧れる。
 
 西欧社会の加速化について、ニーチェは以下のように言う、
 「アメリカ人が金を求める際の、息つく暇もない性急な仕事ぶり、これは新世界の悪徳そのものであるが、それが感染を拡大し、古きヨーロッパを野蛮にし、奇妙極まりない愚かさを広めつつある。今、人々は休息を恥じる。長い沈思はどことなく後ろめたい気分にさせる。」

 「ゆっくりとした成長や先祖から受け継いできた伝統的なものを根こそぎ破壊したのがフランス革命だった。落ち着き不足から、我々の市民社会には新しい野蛮性が拡大する。行動する人々、すなわち落ち着きを失った人々は、時間のないことに、より価値をを置く。」

 また、マルクスとエンゲルスは・・
 「生産器具、つまりあらゆる生産関係、あらゆる社会的関係に絶えず革命を起こさなければブルジョワジーは存在しえない。製造過程の絶え間ない大変革、すべての社会階層を揺らし続ける振動、永遠の不確かさと変動は、ブルジョワジー時代を前時代からはっきりと区別する。」

 カフカは・・
 「人間を楽園から追放し、そこからますます遠ざけるのは、性急さである。」

 ゲーテは「ファウスト」で・・
 「運命が彼に自分では制御しえず、つねに前へ駆り立てる精神を授けたのだが、あまりにも性急な努力は地上の喜びを飛び越してしまう。」

 ナポレオンは現代的機動戦を実践した最初の人物。
 また、政治家としても、それまで無縁だった新しいテンポを導入し、彼の人格と成功の秘密である速さを新しい生活感情としてヨーロッパに強要した。

2 不安とホムンクルス
 ファウストは権力の絶頂にあり、幸福と完璧さの頂点にあると思い込んでいるが、一方では、不安が忍び込む。
「太陽は昇りもせず、また、沈みもしない。外部の感覚が完全でも、闇は内部に巣食うもの。そして、あらゆる財宝の何一つ、所有することができないことを思い知るのだ。」

 不安は、自らをとてつもない仕事に駆り立てる。
 ホムンクルスはゲーテが作り上げた、21世紀を予測させるような想像上のもの。

 ホムンクルスは「ファウスト」に登場する、母胎外で育てられた人工生命体。
 母胎という孵卵器の代わりに、精子はガラス製フラスコに密閉され、適温に維持された空間で、栄養を与えられて育つ。
 そして、40週後、人間の子供同様に闊達で、母胎から生まれた他の子供と同様にすべてに身体器官もそろっているが、非常に小さい人間となる。

 ホムンクルスは人間の傲慢さと好奇心から作り出されたもの。
 人間はまるで神のように、生命を創造する。
 しかし、自分が神に似ていることについては、不安を覚える。
 
 ホムンクルスは前代未聞の才能を余りあるほど有する。
 彼は全知のセラピストであり、人類の記憶の守護者となる。

 ホムンクルスはフラスコのガラスを突き破って外に出たいと願う。
 しかし、ホムンクルスはフラスコにとじこめられ、そこから逃げられない。

 ホムンクルスは、人間による際限のない科学技術の進化と、その成果物の悲劇性を現わしている。
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「モーパッサン短編傑作選」 [海外文学]

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  モーパッサン(1850~1893)はフランスの作家。
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『春の夜に』
  未亡人の姉二人やその子供たちと一緒に住む生涯独身の老婦人。
 「彼女は無に等しい存在だった。彼女がそばにいない時には、だれも彼女のことを話す者もなく、彼女のことを考えてくれる者もなかった。自分のそばで暮らしている人たちの生活の中にも、習慣の中にも、また愛情の中にも入っていくことのできない人だった。」

  その彼女が、若い愛し合う二人が優しい言葉をかけあうのを聞き、突然顔を両手に埋め、ひきつったような、激しいすすり泣きを始めた。
 「そんなことは、あたしは一度だって言われたことはないわ。このわたしはね!」

『パリの情事』
  真底女性的な女性とは、三重底の精神を生まれながらに恵まれた女性のことを言う。
  三つの秘密室には・・
  ① いつも落ちつかずにそわそわしている女性特有の不安
  ② うわべを誠実で取り繕った狡さ
  ③ 魅惑的な卑しさ、愛想のいい嘘、心地よい不実など
   (馬鹿正直な恋人たちを自殺に追いやりはするが、その他の男たちを恍惚とさせる、背徳的なすべての性質)
  
  女性の好奇心ほど激しいものが有るだろうか。性急な好奇心が目覚めたら、どんな気ちがいじみたことでも、どんな無謀なことでも、どんな大胆なことでもやってのける。

  田舎に住む、夫や子供の世話で忙しく過ごしていた普通の女性が、パリの享楽の世界にあこがれた。
  彼女はある時、理由を見つけて一人でパリに行き、骨董店で見つけたある作家の男に、ずんぐりとした小男であるが、言い寄った。一緒に食事や芝居になどで時間を過ごした後、彼の家に泊まり込んだ。しかし、夢のようなことは起こらなかった。
  彼女は翌朝、その男の家から飛び出し、家に帰った。
  自分の中で、何かしら掃除がされた様な気がした。

『旅にて』
  兄弟が雨水溜めのほとりに遊びに来ていた。
  兄は縁石のまわりを走っていて、池に落ちてしまった。
  11歳の弟は、四つん這いになって、腕を兄の方へ延ばした。
  四つの手は絡み合い、互いにぐっと握りしめた。

  兄は懸命に壁を登ろうとしたが、壁が垂直なので、なかなか登れない。
  弟は渾身の力を込めて兄の手を握りしめたが、引っ張り上げることは出来ない。
  二人の少年は長い時間、どちらかが力尽きて、か弱い手を離しはしないかと恐ろしい思いに苦しめられながら、いつまでもそうしていた。

  ついに、寒さに震えていた兄が、「もうだめだよ、もう落っこちるよ」と言った。
  日はとっぷり暮れてしまっていた。
  兄はもうだめだと観念して、「さようなら、ママとパパに接吻しておくれ」と言って、痺れていた指を開いた。
  兄は沈み、二度と再び浮いては来なかった。

『ある女の告白』
  私は、伯爵のお金持ちと結婚しました。
  私は、なかなかの美人でした。
  私は、夫を全然愛していませんでした。
  本当の恋愛というものは、自由と障害を同時に必要とするものです。
  合法的な接吻など、決して、盗まれた接吻ほどの値打ちもありません。

  秋のはじめ、狩猟が盛んになり、若い男爵の方がしょっちゅううちにおいでになるようになりました。
  夫は私との関係を疑っているようでした。
  ある晩のこと、食事を終えた後、夫が私に、うちの鶏をねらってやってくる狐を撃ちに行くのでついてこないかと言いました。
  私はお供をすることにしました。

  二人で、庭の樹の下で銃を構えて、狐の来るのを待ちました。
  そこに、一人の男が月の光を全身に浴びて、まるで逃げるように急ぎ足でやってきました。
  夫は、その男を撃ち、その男は弾にあたって、地上にころがりました。
  そして、夫は私を抱き上げ、草の上に倒れている死体の上に、乱暴に投げつけました。
  夫は私を殺そうとしていたのです。私はもうだめだと思いました。

  その時、小間使いとして雇っていた娘がやってきて、夫を倒し、きちがい猫のように掻きむしりました。
  そして、その娘は死体を抱きしめ、接吻をしました。
  夫は自分の間違いに気づき、私に「許しておくれ。私はお前を疑って、この娘の恋人を殺してしまった」と言いました。

  この後、私は夫に対して不定な妻になり、幾度か、この燃えさかる恋は決して終わることがあるまいと思ったほど、激しい恋を経験しました。

  
 
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「フィッツジェラルド短編集」 [海外文学]

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  岩波文庫の一冊。1992年刊。
  スコット・フィッツジェラルド(1896~1940)は、アメリカの小説家。
  長編「偉大なるギャツビー」のほか、176もの短編を書いた。

『冬の夢』
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  デクスターは23歳。東部の有名大学を卒業し、故郷のミネソタで事業を始め、大成功していた。
  同じ町に住む、3歳年下の裕福な家の娘ジューディの魅力に引き込まれる。
  見る者をくぎ付けにしてしまう美しさを持っていた。

  彼女は欲しいものが有ると、おのれの魅力を総動員して探し求める。
  ただ、その最高に美しい容姿を男たちに見せつけてやるだけの話だった。

  他の男にキスしたりなんかしないわ、とジューディは請け負ったけれども、そんなことは嘘だと分かっていた。
  デクスターは1ダースもいるジューディの取り巻きのうちの一人に過ぎなかった。

  デクスターはジューディに結婚を申し込んだ。
  彼女は「そのうちにね」と答えた。
  デクスターは、ジューディを自分のものにするのはむりだ、と思った。

  デクスターは25歳になり、他の女性と婚約した。
  ジューディは、フロリダで誰かと婚約し、そして婚約破棄したとのうわさを耳にした。

  しかし、デクスターが婚約披露を予定していた1週間前に、ジューディが街に戻ってきた。
  デクスターはジューディに誘われるままに、彼女の家に行き、そこに泊まってしまった。
  彼女はデクスターに婚約者がいることを知りながら、「あなたと結婚できたらいいのに。うまくやっていけそうね、あたしたち。」と言った。

  婚約者は傷つき、婚約は解消となった。
  しかし、ジューディの激情の炎はひと月で消えてしまった。

  デクスターはその後、ニューヨークに移り、事業を順調に拡大させた。
  ジューディと別れてから7年後、デクスターはジューディが遊び好きの男と結婚し、家で子育てに専念し、その美しさをすっかり失ったといううわさを耳にした。


『バビロン再訪』
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  チャーリーは、1920代のパリで、株式相場でしこたま儲けた。
  そのお金は、度はずれた濫費でばらまかれ、また酒にも狂った。
  ちょっとした行き違いで最愛の妻と別れ、その後、妻は病気で亡くなった。
  お金も株の大暴落ですっかりなくなった。
  可愛い娘は、怒った妻の姉に親権を渡さざるを得なくなった。

  チャーリーは何もかもなくして、プラハに行き、商売を始めた。
  そして、2年ぶりに娘に会いにパリに戻ってきた。
  娘は慕ってくれている。
  プラハの商売は順調だった。
  酒も一日一杯しか飲まないと決め、実行していた。

  彼は、娘の面倒をみてくれている妻の姉夫婦に、娘をプラハに連れてゆきたいと言った。
  妻の姉は、チャーリーを信頼して子供を任せられるか、不安だった。
  チャーリーの妻は、死ぬ間際に姉に、この子をお願いねってすがって頼んだ。

  しかし、妻の姉夫婦は、チャーリーの説得にようやく心を開き、子供を引き渡すことに前向きになってきた。
  娘も、父と一緒に暮らすことができるということを聞き、喜んだ。
  チャーリーは、妻の姉夫婦の家で、談笑していた。
  そこに、チャーリーがパリに戻っていることを聞きつけた、バブル時代の遊び仲間が訪れてきた。
  彼らは酔っている様子で、チャーリーを荒っぽく食事に誘った。
  妻の姉夫婦や子供たちはおびえた。
  彼は食事の誘いを断った。
  しかし、妻の姉夫婦は子どもを引き渡すことを考え直すことにした。

  結局、半年ほどは今のまま、妻の姉夫婦のところに娘を置いておくことになった。
  チャーリーは思った。
 「いつかまた戻ってこよう。あの二人だって、そういつまでもおれに償いを求めるわけにはいかないだろう。おれはあの子が欲しい。あの子の他に何の楽しみもないのだ。」


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「フランク・オコナー短編集」 [海外文学]

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  岩波文庫の一冊。2008年刊。
  フランク・オコナー(1903~1966)は、アイルランド出身の作家。

「国賓」
  1919年から始まったアイルランド独立戦争ならびに、それに続くアイルランド内戦で、アイルランドがイギリスと戦っていた時の話。

  捕虜となってしまった二人のイギリス人は、監視するアイルランドの若者たちと、打ち解けて話をしたり、トランプをして暇をつぶしていた。
  二人は、逃げ出そうなどという気はさらさらなく、今のままでいることに何の不満もなさそうだった。
  一人はおしゃべりで、アイルランドの若者に宗教のことで議論をしたりした。
  (アイルランドはカトリックで、イギリスはプロテスタント)

  敵同士にもかかわらず、友情といった感情さえ芽生え始めていたころ、イギリス軍がアイルランド人の捕虜4人を処刑したことが分かった。このため、アイルランド軍は報復として、捕虜のこの二人を処刑することに決め、監視していた若者たちに処刑を実行するよう命令してきた。

  監視の一人は、捕虜の二人が抵抗するか逃げてくれればいいと思った。
  しかし、二人は抵抗も逃げもしなかった。
  監視の一人が、銃の引き金を引いて、二人を処刑した。

「ある独身男のお話」
  その男には、結婚を前提に付き合っている女の子がいたが、その子が他に二人の男と付き合っていることが分かり、別れた。あまりに傷つき、それ以来、女ぎらいになった。

  他に二人も同時に付き合っている男がいると分かった時、彼はその女の子を詰問した。
  その女の子は、こう言った。
  「昔、ある男の子に、付き合ってくれって言われて、断ったことがあるの。
  そうしたら、彼は自殺してしまった。本当に恐ろしいことよ。
  単なる遊びだと思ってた。彼のことをどんどんけしかけて、おもしろがってた。
  男の子が何を考えてるかなんて、分かるわけないじゃない。」
  
  それ以来、彼女は付き合ってくれと言われると、断れなくなった。

  彼は言った。
  「君はこれからも自分の前に現れるまじめな気持ちの人間たちを次々に欺き、出し抜いていくわけか。お慈悲ゆえに。」

  この話を彼から聞いた友人は、彼女のやさしさに惹かれた。
  「何か危ない気がするからこそ、そういう女性に惹かれるのじゃないか?
  いい女っていうのは、過去にそういう自殺沙汰でも起こしたように見えるものなんだよ。
  だから、彼女だっていい女だという気がする。
  君はもったいないことをしたと思うよ。」

「はじめての懺悔」
  (懺悔とは、信者が神父と面会し、それまでに自分が犯した罪を告白して許しをもらうという、キリスト教の儀式。信者の告白を聞いた神父は助言を与え、罪の内容や大きさに応じて償いを命ずる。)

  初めて懺悔をする男の子の話。
  懺悔の時に、犯した罪を言わずにいたり、うその懺悔をすることは、地獄に落ちるような大罪だ。
  僕は懺悔が死ぬほど怖かった。
  あれやこれやで、ぼくはモーゼの十戒はみんなやぶっているのだ。

  懺悔の部屋に入り、ぼくは神父様に懺悔をした。

  僕はばあさん殺害計画を立てました。
  うちのばあさんは、黒ビールを飲んだり、タバコを吸ったり、裸足で歩き回るんです。
  死体は、バラバラにして、僕の手押し車に載せれば運びだせるかなと思いました。

  僕は姉ちゃんのことも殺そうとしたんです。
  パンナイフを使って、テーブルの下で。うまくいかなかったけど。

  神父さんが言った。
  君と同じように私だって殺してやりたいと思っている連中はたくさんいる。
  だけど、なかなか思い切れないんだ。
  絞首刑になるのは怖いしね。
  絞首刑になる人は、みんな、やらなきゃよかったって言ってたぞ。

  教会の外まで神父様が僕を送ってくれた。
  神父さまとおわかれするのが本当に残念だった。
  教会で会う人の中ではずぬけて面白い人だったから。


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「人間ぎらい」 [海外文学]

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  フランスの作家、モリエール(1622~1673)が44歳の時に発表した戯曲。

  舞台は17世紀フランスの貴族社会。
  主人公は、純真で曲がったことが嫌いな青年貴族アルセスト。
  若い未亡人セリメーヌを愛している。

1 主人公アルセストは、社交界の人たちが、思ってもいないお世辞を口に出し、陰では悪口を言うのに我慢が出来ない。思ったこと、毒舌めいたことを口に出し、周りの人のひんしゅくを買う。

アルセスト:「人間は人間でありたいのだ。どんな場合にも、僕らの心の奥底を僕らの言葉に表したいのだ。僕らの心がそのまま、僕らの言葉でありたいのだ。僕らの感情を口先ばかりのあいさつで覆いたくはないのだ。」

友人:「率直一点張りというやつは、時によると、笑われ者になることがあるあるものだよ。心に思っていることを押し隠すのが、いいこともあるものだよ。あいつはどうも嫌な奴だ、気に食わないやつだと思ったら、すぐそれを、そのまま言ってしまっていいものだろうかね。」

アルセスト:「みんなが交際しあってる様子を見ると、歯がゆくてたまらなくなる。情けなくなってしまう。どこへ行っても、卑しい阿諛追従ばかりだ。奸計ばかりだ。一切の人間が嫌でたまらない。僕はあらゆる人間を憎む。」

アルセスト:「邪悪にして悪事を働く連中。口先だけの人に慇懃を尽くす連中。悪事に対して憎悪の念を抱かない連中。悪だくみをする連中が、みんなに許されているのを見ると、僕はもう生きてる気持ちがしない。時にはどこかの砂漠にでも逃げ出して、人間と絶縁したくてたまらなくなるんだ。」

友人:「人間の性質を、少しは大目に見ることにしようじゃないか。厳格一点張りで見るのは止そうじゃないか。人の欠点を見るのでも、少しは寛大な心で見ようじゃないか。交際社会では、ゆとりのある心が必要だ。聡明一点張りでは、人に非難されないとも限らない。」

友人:「完全な理性は、あらゆる意味の極端を避け、程度のよろしきを得た聡明を欲する。昔のまるで融通の利かない道徳は、現代にあってはことごとく衝突する。相対的な人間に対して、絶対的な完全を要求する。我々は我を捨てて、時代に服従しなければならん。」

2 主人公アルセストは、時代の悪習にどっぷりと染まった若い未亡人セリメーヌを愛してしまってる、

友人:「現代の悪風習を呪いぬいている君が、あの女の時代かぶれな言動に我慢しているなんて、おかしな話だよ。」
 
アルセスト:「僕はあの若い未亡人に愛を感じているからといって、あの女の欠点が見えないわけじゃない。僕はいくらあの女の欠点を認めても、非難しても、ついあの女を愛する気になるのだ。あの女の美しさが何より強いのだ。僕はきっと今に、時代の悪風習に染まったあの女を、僕の恋の力で洗い清めてやる。」

女性の友人:「何事にも真剣を誇りにしていらっしゃるところは、それなりにどこかきりりとした、雄々しいところがおありですわ。今の世の中では、ほんとに珍しいお心掛けで、あたくし、どなたにもあのような心掛けでいていただきたいと思いますわ。」

友人:「僕はアルセストがなんだってあんな恋をしているのか不思議でならない。」

女性の友人:「セリメーヌが本当にアルセストを愛しているかどうか、判断がつきかねる。セリメーヌは自分で自分の心がはっきりしない人ですから、時には恋をしていながら、はっきりとそれを知らずにいることもある。また時には、何ということもないのに、恋をした気になることだってある。」

3 アルセストは、セリメーヌに対して、一緒に人里はなれたところに行ってくれないかと頼むが、断られる。

アルセスト:「僕はあなたのだいそれた罪を忘れたいと思います。しかしそれも、一切の人間から離れようとしている僕の計画に同意してくださらなければだめです。これから行って住もうと思っている人里離れたところへ、すぐにも僕と一緒に行く決心をしてくださらなければだめです。」

セリメーヌ:「でも、まだ年寄りでもないのに世捨て人になるのでしょうか。二十歳そこらのものには、恐ろしくてなりませんわ。」

アルセスト:「僕は、悪事が跋扈している渦中を離れ、人里離れた場所をこの地上に探し求めて、何の束縛もなく、名誉を重んずる人間として生きるんです。」

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「空を取り戻した日」 [海外文学]

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 著者はカナダの作家、ミシェル・ブリューレさん。 主婦の友社、2005年刊。

 ブラジルのリオデジャネイロで、両親を亡くしたホームレスの少年の話。
 
 生まれ育だったのは、リオデジャネイロのはずれ、掘立小屋の立ち並ぶ貧しい地区。
 かあさんと二人で暮らしていた。
 12歳の時、町が洪水に襲われ、段ボールで作った二人の家は壊れてしまった。
 母さんは病気で寝込んでしまい、それからまもなく息をひきとった。

 住んでいた貧民街は、社会から締め出された者ばかりが集まっていた。 
 でも、そこからも追い出されてしまった。
 浮浪児として生きるしかない。
 ぼくはカタツムリみたいに、自分の家となった段ボール1枚を背負って貧民街を後にした。
 そこを離れるのに悔いはなかった。

 僕は去年、学校をやめなければならなかった。くやしくてたまらなかった。
 僕はクラスで一番勉強ができた。読むのも書くのも得意だった。
 先生たちから、あなたには才能があると言われた。
 でも、うちには本が一冊もなかった。
 学校で、夢中で本を読んでいると、世界も自分の人生も、一から作り直せるような気持になった。

 足を引きずるようにして歩き続けた。
 お腹がすきすぎて、胃とあたまがガンガンする。ひもじいのはつらい。
 ひとりっきりで生きて行くのに、12歳は早すぎるよ。

 道行く人に物乞いをした。「どうかお恵みを」、「どうか助けてください」
 ある人が、5レアル札(175円)をくれた。
 早速、マクドナルドに入り、ハンバーガーを食べた。
 すごい勢いで食べたけど、期待した割にはおいしくなかった。
 母さんが作ってくれた料理の方がずっとおいしかった。

 孤独ってっやつは、半端なくつらい。
 孤独だってことは、愛することも愛されることもないってことだ。
 母さん、どうして死んじゃったんだ。僕を一人にするなんてひどいよ。

 ロシア人の船乗りが、黒っぽいパンをくれた。こんなパンは初めてだ。
 かじってみると、おいしい! 
 ガラス瓶に入ったキャビアもくれた。ひどく塩辛くて、あまりおいしくなかった。

 5レアル札をくれた人が、新しい服と靴をくれた。
 それを着て、仕事を探しに職業安定所に行った。
 そこで会った若者が、自分が働いている工場に連れて行ってくれた。
 コンビーフを缶に詰める工場だった。
 月150レアル(5,250円)で働かせてくれることになった。
 
 職場は地獄そのものだった。
 騒音がひどく、工場の中は不潔で、暑さは外よりもひどかった。
 三度目の給料をもらうと、手持ちのお金は230レアルになった。
 工場を紹介してくれた青年と一緒に、アパートを借りに行った。
 持っているお金をすべて彼に預けた。
 彼はそれをもったまま、いなくなった。

 工場をやめ、また、物乞いを始めた。
 工場の仕事を続けていれば、きっと病気になっていた。
 何も持っていなければ、何も失うこともないんだ。
 しかし、ようやく友達ができたと思ったのに、裏切られたことがつらい。
 ひどく貧しい者どうし、本当の友達になれると思ったのだ。

 日本食レストランで「求人」の張り紙が出ていたので、入って、働かせてもらえませんか、と尋ねた。
 気の毒だが、今朝、決まってしまったという返事だった。
 だが、そこに居たおじいさんが、巻ずしをごちそうしてくれた。
 それはとてもおいしかった。
 そのおじいさんは、自分が日本からブラジルに来たいきさつを話してくれた。

 5レアル札や衣服と靴をくれたひとが、病気の自分の母親の面倒をみてもらうために、ぼくをその人の家に住まわせてくれることになった。
 守衛がいる大きな家だった。食べ物を腹いっぱい食べさせてくれた。
 そのお母さんにも気に入ってもらえそうだった。


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「死の海を泳いで」 [海外文学]

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  著者はアメリカのノンフィクション作家のデイヴィッド・リーフさん。
  岩波書店、2009年刊。
  
  著者の母親は、スーザン・ソンタグさん(1933~2004)といい、小説家で批評家。人権問題に関するオピニオンリーダーでもあった。ニューヨーク在住。
  著者は、その母親の亡くなるまでの9か月間を追った。
  
  母は2004年3月、医師から、血液の精密検査と骨髄の生体検査の結果から、骨髄異形成症候群(MDS)であると告げられた。
 医師は、また、以下のことを告げた。
 ① 致命的な血液のがんであること。
 ② 有効な治療法は全くない。
   治癒はもちろん、一時的に症状が軽減される治療法もない。
 ③ 骨髄移植はあるが、71歳の人には有望な手段とは言えない。

 母は、1975年、42歳の時に第四ステージの乳がんと診断されたことがある。
 がんが17ものリンパ腺に広がっていた。
 医師は治癒の可能性は少ないと告げたが、母は出来ることはなんでもすることにした。
 「ハルステッド」という乳房全摘手術を受け、化学療法がそれに続いた。
 免疫システムを増進させるための投薬も試した。
 母は、できるだけたくさんのことを試みれば、その分だけ生きる可能性が増える、と信じていた。
 母は42歳で死ぬつもりなどなかった。

 その後、65歳頃に子宮肉腫も経験した。

 子宮肉腫の患者に使用される化学療法の薬の中には、かなりの確率で白血病を発症させるものがあるとということであった。
 しかし、母は原因の追求よりも、快癒の可能性を重視した。

 母は、こうした難病を切り抜けることができたのは、奇跡ではなく、自分自身が最も根治的で、体を切り刻むような処置を受けたことの結果と考えていた。

 MDSと告げられたのち、家に帰り、母はインターネットでMDSの情報を集めた。インターネット上では、MDSのことを「くすぶる白血病」とか、「手に負えない鉄芽球性貧血」と書いてあった。
 いろいろな人に電話もかけ、アドバイスを求め、新しい医師や治療法を探した。
  
 転移性乳がんの時には、ある医師が、これは絶望的なものではないと言ってくれた。
 しかし今回は、母はMDSについて徹底的に調べたが、何もやれることは見つからなかった。
 母は少なくとも可能性のある領域にいたいと思った。

 母は科学が自分を支えてくれたと思っていた。
 がん研究は日進月歩で進歩しており、もしも数年間余計に生きられれば、そのうちに新たな実験的処置が開発される可能性がある。そう考えた。

 乳がんの時も、提供された処置に満足することなく、幅広く専門家を探した。
 確率をひるがえし、母を生還させる処置をしてくれる専門家を。

 母は自分の前向きな姿勢が、生き残った要因であると感じていた。
 前向きな姿勢が免疫システムを強めたとか、化学療法の効果を高めたといった生化学的な意味以上に。

 母は、西海岸のシアトルにあるワシントン大学病院で、骨髄移植を受けた。
 骨髄移植の準備のため、白血病で弱まった免疫システムにたっぷり放射能を浴びせて、それを破壊しなければならなかった。
 そして、移植後の3か月間、次々に病気にかかり、感染した。
 それでも、骨髄移植で生還できると、信じていた。

 しかし、骨髄移植の結果、寝たきりになり、筋肉が弛緩し衰弱して、手助けなしには寝返りも打てなくなった。
 肉には次第に潰瘍が生じ、口の周りにも潰瘍ができて、しばしばものを飲み込むことができず、時には話すことさえできなくなった。
 
 母が本当に諦めたのは、人生の最期の数週間になってからだ。
 骨髄移植に失敗し、シアトルからニューヨークの病院に戻り、ついに母は道を探る努力を断念した。
 
 沈没する船の船員が帆桁にしがみつくように、母は医師たちにしがみついた。
 ほとんど人生の最期の日まで。
 その間、我々はなすすべもなく見ているだけだった。

 母の死には、楽な面などまったくなかった。
 文字通り、最後の数時間を除けば。
 それは激しく、そしてゆっくりとした死だった。
 
 私には母の最期の数日が実際にスローモーションで起きていたようにさえ思われた。
 そして、その過程で、威厳をすっかりはぎとられてしまったのは、母だけではなかった。


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「エセー」を書いたモンテーニュ [海外文学]

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  *「モンテーニュ」(大久保康明著、清水書院 2007年刊)ならびに
   「モンテーニュ」(原二郎著、岩波新書 1980年刊) に拠る。

  モンテーニュ(1533~1592)は、フランスのボルドー近郊に領地を持つ貴族の長男として生まれた。
  学業を終えたのち、22歳で裁判所の評定官に就いたが、35歳の時に父親が死去したため、37歳で裁判所を退職し、父の跡を継ぎ領主となった。
  なお、モンテーニュは32歳で10歳年下の有力貴族の娘と結婚した。
  彼にとって結婚とは、一家の隆盛を図り、周りとうまくやっていくための取り決めであって、浮薄な楽しみを目的としたものではない、という考えであった。
  このため、結婚相手は自分の個人的な好悪によらず、周囲の人々の意向に従って選んだ、と言っている。

  領主となった後しばらくは家事の監督、管理に専念した。
  こうしたなか、知的に洗練され、幼時から深い教養の中に育っていたことから、一人静かに読書と思索にひたることに最上の喜びを感じた。
  城館の離れたところに書斎を作り、一人だけの孤独の世界を心ゆくまで味わうことができた。

  モンテーニュは言う。
  「われわれはいままでに他人のために十分生きてきた。今度はせめてわずかばかりの余命を自分のために生きようではないか。」

  「私はこの書斎で一日の大部分を過ごす。自分の家にいても自分の居場所のない人、自分自身に語りかける場所のない人、隠れ場所のない人は、私の考えでは惨めな人である。」

  モンテーニュは1580年、47歳の時に「エセー」初版を自費出版する。
  内容は、領主となってからの10年間で、断続的に書き継がれたものである。

  モンテーニュは静かな生活を望んだが、そのころのフランスは宗教的な対立が深まっていた。
    (1517年 ドイツのルター 95ヵ条の論題を発表,
     1536年 フランスのカルヴァン『キリスト教綱要』を発表。)
  国王軍の一員として先頭に加わることもあった。
 
  また、「エセー」出版後、彼は、持病の腎臓結石の湯治もかねて、1年半にわたりイタリアを旅行する。
  旅の終わりころ、彼がボルドー市長に選ばれたので、すぐ戻るようにとの知らせを受ける。
  いったんは固辞するが、フランス国王からの強い要請もあり、就任を承諾することになった。
  
  ボルドー市長を4年間務めた。無報酬の名誉職であった。
  彼は、穏健なカトリックの立場を守り、安易な武力的衝突は避け、王権を尊重して内乱の終息を求める現実重視の立場で職務にあたった。

 「エセー」に書かれているモンテーニュの考えをいくつか拾ってみると・・

1 自己査察
   自分を観察すればするほど、自分の複雑さと不統一とを発見し、矛盾だらけの自分の姿にほとほとあきれてしまう。
   しかし、そのようなことは果たして自分だけなのであろうか。
   程度の差こそあれ、誰でも同じではないか。

   揺れ動く自分の底には常住不変な何ものかがある。
   生まれつきの傾向は、教育によって改変され克服されることはほとんどない。
   持って生まれた性質は、根絶されずに覆い隠されるだけである。

2 実践的真理探究の方法
(1)正しい話し合いの方法、討論の方法を会得する。
  ① 自尊心を捨て、個人的感情のために公平無私の態度を失わない。
  ② 対話者の外見や言葉に惑わされない。
  ③ 会話の形式と秩序を守る。

(2)経験を重んずる。
   人々は、経験と事物そのものを越えて、直ちに抽象的な推論や理論に走る。
   また、直接に自分の目で事物を見ることをせずに、学説や書物の権威に頼る。 

3 快楽について
  モンテーニュは多分に快楽的な気質を有していた。
  精神の美しさは恋愛よりももっと立派な事柄に用いられる。
  けれども、恋愛となると、これは主として視覚と触覚に関するものであるから、精神の美しさがなくとも相当のことができるが、肉体の美しさがなくてもどうしようもない。美こそはご婦人方の真の長所である。

  モンテーニュの快楽主義の底に一種の無常観のようなものが読み取れる。
  人間に最後に残るものはむなしさだけである。


  モンテーニュは、1592年9月、59歳で亡くなった。
  
  フランスでは16世紀後半、ユグノー戦争(1562~1598)と呼ばれる宗教内乱が起こっていた。
  モンテーニュはその真っただ中で生きた。
  モンテーニュが期待を寄せていたアンリ4世が1589年に王位を継ぎ、カトリックとユグノーを和解させた。
  以後、フランスの歴代国王は貴族勢力を抑えながら国家統合を進め、17世紀後半にはルイ14世(在位1643~1715)のもとでフランスの全盛期をむかえた。
  
   
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