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ゴーゴリ「外套」 [海外文学]

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  ロシアの小説家、ニコライ・ゴーゴリ(1809~1852)の代表作の一つ。
  うだつの上がらない、しかし、自分なりに生きようとした下級役人の悲しい物語。
  この作品はその後の小説家に多大な影響を与えたといわれており、芥川龍之介もその一人で、彼の小説「芋粥」の構成は「外套」の影響を受けた。

1 主人公は、役所の同じ席、同じ地位、同じ職務で、長い間働いている。
  清書というのが彼の仕事。愛情をこめて、この仕事に取り組んだ。
  周りから悪ふざけをされても、彼は一度も間違えずに、仕事を続けた。
  彼ほど自分の職務に忠実に生きている人物を見つけ出すことは難しい。
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2 あまりにも耐えられない悪ふざけをされると、彼は声に出して言います。
  「わたしをそっとしておいてください。なぜ、あなた方は私をいじめるのですか?」

3 彼は自分の服装には全くこだわりませんでした。その制服は本来の緑色を失い、何か赤茶けた麦粉色になっています。また、彼はどんな娯楽にも身をゆだねることはありませんでした。年に400ルーブルをもらい、満足して暮らす人間の穏やかな生活が流れて行きました。

4 貧しい人々にとって手ごわい敵が、北国の厳しい寒さです。朝、出勤する人々を強烈で刺すような一撃をくらわすのです。彼は役所に向かう決まった距離をできる限り早く駆け抜けるよう努めました。しかし、いつからか背中や肩がいやに冷え込むように感じるようになりました。家で外套をよく見るとそのあたりがボロボロに破れています。

5 彼は仕立て屋に直してもらおうと、その外套を仕立屋のところに持って行きました。彼は修理代として2ルーブル以上は支払うまいと心に決めていました。仕立屋は、長い時間をかけてその外套を点検して、彼に言いました。
  「修理は無理です。ひどいものですよ! つぎ当ては無理ですな。全くぼろぼろで、針で触ればたちまち破けてしまいます。新調するしかありませんな。」

6 外套を新調するには80ルーブルかかる。そんな大金をどうやって作ればいいのだろうか。
  彼はいざというときのために、貯金箱に数年かけて40ルーブルほど貯めていた。
  残りは普段の生活をさらに切り詰めることにした。
  晩にお茶を飲むのをやめ、夜ごとローソクに火をともすのをやめる。
  晩の空腹をやり過ごすこともできるようになった。
  外套の新調という目的に向かって、彼はなぜか生き生きとして、性格さえも強くなった。

7 そしてようやく彼は仕立屋に外套を作ってもらうことができた。
  外套は実にピッタリ、しっくりと仕上がっていた。
  彼はそれを着て、役所に出勤した。
  役所の誰もが、彼にお祝いや挨拶を述べた。
  彼の上司が、お祝いに今晩、自分の家でお祝いの会をやろうといった。
  彼は行きたくなかったが、断り切れなかった。

8 彼はその会に出かけ、シャンパンも飲まされた。真夜中の12時に、会はまだ途中であったが、彼はそっと部屋を出て、外套を羽織り、帰宅の途に就いた。
  人気のない道が長く続く。
  広場を通り抜けようとしたとき、ひげを生やした連中が道をふさぎ、外套をはぎ取られてしまった。
  近くの交番に駆け込みましたが、明日、警察署長のところに行きなさいと、言われた。翌日、そのとおり警察署長のところに行ったが、直ぐに調べてくれるかどうかは分からなかった。

9 あくる日、古いぼろぼろの上っ張りを着て役所に行った。多くの同僚は追いはぎの話に心を痛めた。ある同僚が、さる高官へお願いした方がいいとアドバイスした。彼が、そのとおりその高官のところに行き、ようやく面談することができ、来訪の目的を話すと、 その高官は声を強く張り上げていった。
 「誰に向かって話しているのか、知っとるのかね? あんたの前にいるのが誰なのかわかっておるのか?」

10 彼はこんなに厳しく叱責されたのは人生で初めてのことだった。かれは吹きすさぶ吹雪の中を口をぽかんと開け、やっと家に辿り着いた。
  彼はベッドに倒れこんで横になった。
  翌日になるとひどい高熱が出ているのが分かった。
  医者が来た時には手の施しようがなかった。
  彼は全く意味不明のことを語り続けて息を引き取った。

11 彼は、誰の興味も引かず、誰の注目を浴びることもなく、この世から消え、埋もれてしまった。
  役所での嘲笑をおとなしく耐え、特別な仕事をしないまま、墓に入ってしまった。
  それでも人生の終わりに外套という姿を変えたお客が、貧しい生活を一瞬でも生き生きさせ、まばゆいほどの輝きを与えた。
  役所では、彼の死が知らされ、その翌日には彼の席に別の新しい官吏が座っていた。

チェーホフ「桜の園」 [海外文学]

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<舞台>
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  ロシアの劇作家、チェーホフ(1860~1904)が、1903年に発表した戯曲。
  時代が大きく変わろうとする中で、何もすることができず、ただ流れに身を任せ、没落してゆく女主人を描く。

  所有する農奴から得るお金で優雅に暮らしていた者たちも、真に人間らしい生活をするためには、自分自身が働かなければならない時代になったのだと、主張する。

  しかし、それを理解できる者と理解できない者とがいる。

1 広大な桜の園を有する邸宅の持ち主である女主人は、夫を亡くし、その一月後には男の子が近くの川で溺死するという不幸が続き、いたたまれずパリへ行っていたが、6年ぶりに帰ってきた。

2 それまでの散財の結果、彼女はもう借入金利息を払うお金もなく、桜の園も含め邸宅は競売にかけられようとしている。

 「あたしはいつでもお金をきちがいのようにパッパッと使い捨てました。そして、借金ばかりする人のところへお嫁に行きました、あたしの夫はシャンパンのために死にました。そして、坊やが溺れました。そして私は外国へ発って行きました。不幸せにもあたしは別の人を愛して、一緒になりました。しかし、あのひとは私から巻き上げるだけ巻き上げて私を捨て、他の人と一緒になり私を捨てました。」

3 屋敷に出入りする若者や商人が女主人に意見をする。
 「うぬぼれはやめなければいけません。ただ働くことだけが必要なんです。」
 「ちゃんとした人間がどんなに少ないかわかるためには、何かやり始めるのに限ります。」
 「現在を生き始めるためには、過去の罪を償い、それとけりをつけなければならない。だが、それは苦しみによって、また、並々ならぬ絶え間のない勤労によってのみ、罪を償うことできるのです。」

4 しかし、女主人の浪費癖は治らない。
 ア 従僕に食べさせるものにも事欠くのにもかかわらず、通りがかった旅の浮浪者に金貨を恵んでしまう。

 イ 邸宅が競売にかかる日に、楽隊を入れ、舞踏会を開く。

5 邸宅の競売は、結局、出入りの商人が落とした。その商人が言う・・

 「読み書きもろくにできず、冬もはだしで駆けずり回っていたこの私が、この世にまたとないほど美しい領地を買ったんだ。私の祖父や親父はそこの奴隷だった。台所へさえも通してもらえなかった、その領地を私は買った。」

 「みんな見に来たまえ。私が桜の園に斧を入れるのを。樹が地面に倒れるのを。我々はうんと別荘を建てるんだ。そして、我々の孫やひ孫はそこに新しい生活を見るんだ。」

6 邸宅で暮らしていた人々が、そこを去る日が来る。娘たちは働く覚悟を決めるが、女主人は相変わらず、人を頼りに生きることしかできない。

    女主人    ・・ パリへ行く。親戚が送ってくれたお金で暮らすが、直にお金は尽きる。
    その娘 17歳 ・・「私は、中学卒業の資格試験に通り、それから働いて、ママを助けるわ。」
    その養女 24歳・・ よその家の家政婦になる。
    女主人の兄     銀行に勤める。


カミュ「異邦人」 [海外文学]

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  著者のアルベール・カミュ(1913~1960)はフランス小説家で、フランスの旧植民地アルジェリア生まれ。
  1957年にノーベル文学賞を受賞。1960年にパリ近郊において交通事故で亡くなった。

1 本作品の主人公
   アルジェの町に住む平凡な、しかしやや虚無的なところのある青年。
   養老院から母親が亡くなったとの知らせを受け、通夜と埋葬に参列する。
   その翌日、海水浴に行った。そこで知り合いの女性と一緒になり、映画を見た後、自分の部屋で一晩、一緒に過ごした。
   親しい友人が女性の関係で数人のアラビア人にしつこくつきまとわれていたが、主人公はそのうちの一人とたまたま出くわし、ピストルで殺してしまう。

2 裁判
(1)予審判事は言った「神様がお許しにならないほど罪深い人間は一人もいないが、そのためには、人間は悔悛によって、子供のようになり、魂をむなしくして、一切を迎えうるように準備しなければならない」
   主人公は、予審判事の理屈に全然ついていけなかった。
   予審判事は主人公に、神を信ずるか、と尋ねた。
   主人公は、信じないと答えた。

(2)裁判では、検察官は以下の事実から、主人公が人間の心がないと責め、情状酌量の余地はないとした。
    ① いやがる母親を養老院に入れた。
    ② 母親の通夜で、亡骸の前で一夜を過ごしたが、煙草を吸ったり、コーヒーを飲んだり、居眠りをしていた。
    ③ 母親の正確な年齢を知らなかった。
    ④ 棺を開けて母親の顔を見ようとはしなかった。
    ⑤ 翌日、海水浴に行き、喜劇映画を見て、女性と一夜を共にした。

(3)友人らが、被告は誠実で勤勉な男で、誰からも愛されていた、と証言したが無駄だった。判決は「広場で斬首刑」という極刑であった。

3 死に対する主人公の考え
  「人生が生きるに値しない、ということは誰でもが知っている。結局のところ、30歳で死のうが、70歳で死のうが、大した違いはない。」

4 司祭との面談
(1)刑務所で、主人公は司祭との面会を再三、拒絶した。
   しかし、突然、独房に這入って来た。

(2)司祭 「なぜ私の面会を拒否するのですか」
   主人公「神を信じていないのだ」
   司祭 「確信があるのですか」
   主人公「それをくよくよ考えるようなことはしない。そんなことはつまらぬ問題だ」
   司祭 「神様があなたを助けてくださるでしょう。あなたのような場合には、どんな人でも、神の方へ向かっていきました」
   主人公「それはその人たちの権利だ」
      (誰にも助けてもらいたくなかったし、また、興味のないことに興味を持つ時間がなかった)
   司祭「あなたは何の希望も持たず、完全に死んでゆくと考えながら、生きているのですか?」
   主人公「そうです」

フランクル「夜と霧」 [海外文学]

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  著者ヴィクトール・E・フランクル(1905~1997)。ウィーン生まれの精神医学を専門とするユダヤ人で、第二次世界大戦中のナチ強制収容所での体験を基に本書を執筆した。
  日本を含め、16ヵ国で翻訳出版され、大きな影響を与えた。
  著者は1955年にウィーン大学教授に就任している。

1 自己の喪失
   人間の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意思など持たない、絶滅政策の単なる対象とみなし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用しつくす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついには自らの自我までが無価値なものに思えてくるのだ。

2 感情の消滅
   ほとんど人の内面生活の幼稚なレベルにまで突き落とし、被収容者を、意志など持たない、運命や監視兵の気まぐれの餌食とし、ついにはみずから運命をその手でつかむこと、つまり決断を下すことを尻込みさせるに至る。

3 いらだち
   空腹と睡眠不足などの肉体的要因からいらだちが募る。睡眠不足は、居住棟が想像を絶するほど過密で、これ以上はないほど非衛生だったために発生したシラミにも原因があった。

 *居住棟のベッド
   三段ベッドで、一段が縦2メートル、幅2.5メートルほど。むき出しの板敷に9人が横になった(一人あたり27.7センチ)。毛布は9人につき2枚。横向きにびっしりと身体を押し付けあって寝た。
   
4 飢え
   皮下脂肪の最後の最後までを消費してしまうと、骸骨が皮をかぶって、その上からちょろっとぼろをまとったようなありさまになった。すると、身体が自分自身をむさぼり始めたのがよくわかる。有機体がおのれのたんぱく質を食らうのだ。筋肉組織が消えていった。そうなるともう、身体には抵抗力など皆無だった。居住棟の仲間はばたばたと死んでいった。

5 未来への希望
(1)自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破たんした。そういう人は精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破たんしていった。例えば、ある日、居住棟で、被収容者が横たわったまま動こうとしなくなる、着替えることも、洗面に行くことも、点呼場に出ることもしない。どう働きかけても効果がない。

(2)生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、頑張りぬく意味も見失った人は痛ましい限りだった。そのような人々は拠り所を一切失って、あっというまに崩れていった。

(3)自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆることにも耐えられるのだ。

6 収容所監視者の心理
(1)収容所の監視兵のなかには、強度のサディストがいた。選り抜きの監視隊を編成するときにはサディストが求められた。

(2)収容所の監視者の多くが、収容所内で繰り広げられるありとあらゆる嗜虐行為を長年、見慣れてしまったために、薬の服用量がだんだん多くなるのに似て、すっかり鈍感になっていた。

7 強制収容所から解放されて
(1)長いこと空恐ろしいほどの精神的な抑圧のもとにあった人間は、突然抑圧から解放されたために、ある種の精神的な危険に脅かされた。
  
(2)解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだとはき違える者がいた。

(3)また、自由を得て元の暮らしに戻った人間の不満と失意も精神面に打撃を与えた。例えば、周りの冷ややかでおざなりな態度、あるいは、人によっては、自分を待つ者はもう一人もいないことを思い知らなければならなかった、

(4)不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。少なからぬ数の解放された人々が、新たに手に入れた自由の中で運命から手渡された失意は、乗り越えることが極めて困難な体験であった。

モーム「月と六ペンス」 [海外文学]

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  本作品は、イギリス小説家、ウィリアム・サマセット・モーム(1874~1965)の代表作。
  1919年、モームが45歳の時の作品。

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  ロンドンで、株式仲買人のストリクランドは家族に囲まれ、なに不自由なく暮らしていた。
  しかし、40歳にして、仕事も家族もすべて打ち捨てて、画家となることを目指し、パリへ旅立つ。
  お金もなく、貧困の生活が始まる。
  (この小説は、画家ポール・ゴーギャンの生涯にヒントを得て、書かれたといわれる)

1 本作品のポイント
(1)主人公の生きざま
    人生の途中から、自分の本当にしたいことをやり始めるという行為を通して、人生とは何かを考えさせられる。

(2)夫婦の関係
    ストリクランド家とストルーフェ家という二つの、一見幸せな家庭が主人公により壊される。また、主人公は最後にタヒチで地元の娘と一緒になり、献身的な世話をしてもらう。夫婦とは、家族とはなにかということを問いかけている。
    
2 すべてを捨てて画家を目指す。
(1)今まで通りの生活を続ければ、子供たちの成長を見届け、最後には威厳ある隠居生活を送り、子や孫からは愛され、幸福で無益ではなかった生涯ののちに、長寿を全うして永眠することになる。

(2)そういった生活の社会的価値を認めていたし、堅気の幸福ということも知っていたのだが、私の血のなかの熱のようなものが、もっと無謀な道を求めていたのだ。もっと危険な生活をしようという欲望があった。

(3)子供のころ、画家になりたかったが許してもらえなかった。いま絵を描かなければならないという強い気持ちがある。
  「彼の魂のなかには、深く根ざした創造本能があり、それは生活環境によって覆い隠されていたが、ちょうど癌が生体組織の中で成長するように容赦なしに大きくなり、やがてついには彼の全身を占領し、いやおうなしに行動に移らせたのではなかろうか」

3 残されたストリクランド夫人
   女のために捨てられたのであれば、許すことは出来るが、ある思想のために捨てるということはゆるせない。女とならばたたかい通すことができるが、思想に対しては無力だ。

4 パリでの生活と病気
(1)下賤な街の、いかがわしいホテルの屋根裏部屋に住む。お金はあまり持っていない。描いた絵を評価してくれる人も少ない。

(2)唯一、ストリクランドの絵を高く評価したのはストルーフェ氏だった。ストルーフェ氏は言う「美は素晴らしいもの、ふしぎなもので、芸術家が、魂の苦悶の内に世界の混沌の底から作り出してくるものなのだ。」

(3)ストリクランドは飢えで瀕死の病気となるが、ストルーフェ氏が自宅に引き取り、夫人とともに献身的に介護をする。

5 ストルーフェ夫人との恋
(1)ストリクランドはストルーフェ家にいる間に、ストルーフェ氏の最愛の夫人をわがものにしてしまう。
  「(夫人は)肉体的な魅力に負けてそうなったというに過ぎない。これまでも彼女が本心から夫を愛していたとは思わない。愛情だと思っていたものは、愛撫や安楽によって引き起こされる女性特有の反応に過ぎず、それが、たいていの女の心のなかでは、愛情として通用しているだけのことである。」
  「彼は長々と獲物を追った後で休んでいる森の野生の動物のようだった。彼女は、飛ぶように必死に逃げるのだが、半獣神は一歩一歩彼女に迫り、とうとう首筋に熱い息が感じられる・・・」

(2)夫人は、ストルーフェ氏と別れ、ストリクランドのもとに行くが、数か月後に自殺をする。
  「彼女は、夫の保護という安全な避難所と、なに不足ない家庭生活のこころよい安楽とを捨てて、極端な危険としか思えないものを選んだのだ。」

  夫人の死後、ストリクランドは言う。
  「おれは、愛なんかいらぬ。そんな暇がない。おれは男だから、時には女がほしくなる。情欲を満足させてしまうと、おれはもう、ほかのことにとりかかるんだ。」
  「女が恋をしてくると、こっちの魂までつかんでしまわぬと満足できぬのだ。男の魂は、宇宙の極限の果てまで飛んでゆくが、女ときたら、をれを家計簿の中に閉じ込めようとする。

6 ストリクランドの人生
  「人生は、こっけいな、きたならしいいざこざの渦巻きであり、まさに笑わずにいられないことがらだったにだが、しかも彼には笑うのが悲しかった。」
  「ストリクランドをとらえて離さなかったのは、美を創造しようという情熱だった。彼には心の平和を少しも与えなかった。神聖な郷愁に悩まされた永遠の巡礼だったのだが、彼のなかの悪魔は情け容赦もなかった、」

イプセン「人形の家」 [海外文学]

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  ノルウェーの劇作家で詩人のヘンリック・イプセン(1828~1906)は生涯で26の戯曲を書いた。本作品は、1879年、イプセンが51歳の時の作品で、代表作。女性の自立を問う内容で、欧州各国で上演され、観た者にに衝撃を与えた。

1  夫のヘルメルは妻のノーラをこよなく愛し、また、銀行の頭取に就任して経済的にも成功する。
  ヘルメル「いいね、自分の家へ帰ってきて、お前とたった二人っきりでいるというのは。ああ、なんてお前はチャーミングで、愛くるしい女なんだ! 眺めちゃいかんかね、おれのいちばん大切な持ち物を? おれの、おれだけの、どこからどこまでおれだけの、この愛らしさの一切を? 」

2 しかし、或る時、妻が隠れて、ヘルメルが嫌う男から借金をしていたことを知り、妻を責める。
  夫の病気療養のために使うお金であったのだが。

  ヘルメル「全く信じられん、まったくわけがわからんよ。どうあってもこの一件は抑えなくちゃならんのだ。それでお前とおれの関係だが、すべては昔通りに行ってるものと見せておく。だが、むろん世間体だけのことだ。お前はやはりこの家に住む。しかし、子供たちの教育は任せられん。信用が出来んからね。」

3 しかし、お金を貸した男が借用証書をノーラに返してきて、貸し借りがなくなったのを知り、ヘルメルは妻を許そうとするが、ノーラは家を出て、ヘルメルと別れる決心をする。

  ノーラ「知り合ってからあたしたち、真面目なことについて、真面目な言葉を交わしたことは一度だってなかったわ。」
     「(パパもあなたも、)あたしを愛していたんじゃないわ。ただかわいいとか何とか言って、面白がっていただけよ。」
     「パパはあたしを赤ちゃん人形と呼んで、あたしが自分の人形と遊ぶように遊んだわ。それからあたしは、この家へやってきた。あたしたちの家は、ただの遊び部屋だっただけよ。あたしは、あなたの人形妻だったのよ。あたしはあなたが遊んでくれると、うれしかったわ。あたしが遊んでやると子供たちが喜ぶように。それがあたしたちの結婚だったのよ。」

4 ノーラは、一人の人間として生き方を見つめなおす決意を固める。

  ノーラ「あたしは、何よりもまず人間よ。あなたと同じぐらいにね。」
     「あたしはあなたを、あらゆる義務から解放するのよ。あたしもそうだけれど、あなたはもう何も、束縛を感じることはないのよ。完全に自由なのよ、両方で。」


カフカ「変身」 [海外文学]

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  フランツ・カフカ(1883~1824)はチェコのプラハ生まれのユダヤ人。役所勤めの傍ら小説を書いたものの、無名のまま41歳で亡くなった。この作品は1915年に出版されているが、ほかの大部分の作品は死後、公になった。
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  この作品は、平凡なサラリーマンがある朝目覚めると、一匹の巨大な毒虫になっているという話。家族のつながりとは何か、家族がいたとしても人間は結局は孤独なのか、ということを考えさせられる。

1 セールスマンとしての生活
  「彼はまったく異常な熱意で働いた。外交の仕事をやると、腕を振るった結果は、すぐさま手数料の形で現金に変わるのだ。多額の金を稼いで、一家全体の生活費を引き受けられるようになった」
  しかし、「なんと骨の折れる職業を自分は選んだのだろう。明けても暮れても旅ばかりだ。商売上の苦労は大きい。ほんのうわべばかりの人間付き合いといったような、出張販売にはつきものの辛労がある」

2 変身
  一夜にして、それまで当たり前として過ごしていた日常生活や行動の自由が奪われる。
  「ある朝、不安な夢からふと目覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた」
  「いったい、自分の身の上に何事が起ったのか」

3 家族の生活
  貧しい平凡な家庭で、家族を支えてきた唯一の働き手を失い、家族はやむなくそれぞれ働き出す。

  彼は大変心配する。「なんとしても、差し迫って収入の道をはからねばならぬ。屈辱と悲哀の感情に痛めつけられて、からだじゅうが熱く燃えてくるのだ。長い夜を考えあぐねて明かしたこともしばしばで、椅子の革を何時間もがりがり搔きむしった」

  父親は小使いになった。「母は流行衣裳店の上等な下着類を縫い続ける。女店員の仕事にありついた妹は、いつかはもっと良い地位を手に入れるために、夜は速記とフランス語の勉強をしている」
  「住居の一室を三人の間借り人に貸した」

4 家族のあきらめ
  当初は心配して大事に扱ってくれた家族も、時間の経過とともに厄介者とみなされ、無視され、ついには、いなければよいのにと思われてしまう。

  妹は言う「あたしたちは、この化け物から解放されるような努力をしなくちゃいけない。あたしたちはいままでに、あの化け物の面倒をみてやったり、つらいことを我慢したりして、それはもう人間の力でできる限りのことをやってきました。あたしたちは努力して、あれから解放されるようにしなくちゃいけません」

5 死
  変身した後、家族を心配しつつ悪戦苦闘するが、ついに死を迎える。

  「彼は自分がもうほとんど動けそうもないことに気がついた。彼はいま淡い快感さえ感じている。実際はからだじゅうがひどく痛んでいたのだが、その苦痛もだんだん弱まって行って、いつかは全く消え去ってしまうような気がしていた」
  「家族のひとりびとりを思い浮かべていると、彼はわけもなく感動し、深い愛情がひしひしと迫ってくる。これ以上、家族へ迷惑をかけないために、自分がここから姿を消さねばならぬ、と決心していた。」
  「そのうち彼の頭は知らぬ間にがっくり垂れ下がって、弱々しい臨終の息が鼻孔からかすかに流れ出た・・・」

6 解放された家族
  彼が死んだあと、家族はほっとして、重荷から解放された喜びを味わう。

  父親、母親、妹の三人は「揃って家を出た。彼らは電車に乗って、郊外へ出かけた。三人は座り心地よく座席へゆったり背をもたせかけて、将来へのもくろみなどを色々語り合った」
  「だんだん生き生きと快活になってくる娘の方を眺めやりながら、この娘にもかわいそうに一時は頬から血の気がすっかり失せる程苦労をさせた」という感慨が湧き上がってきた。
  「電車が行楽の目的地に着いた時、娘は一番先に立ち上がって、その若い肉体をしなやかに伸ばしたものだ」

「ジキルとハイド」 [海外文学]

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  著者はイギリス小説家、ロバート・L・スティーヴンソン(1850~1894)。
  本作品は1886年に出版された。

1 人間の二面性
(1)医師のジキル博士には自分の欠点の中でも一つ最悪のものがあった。無性に快楽を求めたくなる性向だ。私は快楽主義を隠して生きるようになった。

(2)人間は善と悪という複雑な二面性を持つ。私は途方もない二重人格者ではあったが、偽善者では決してなかった。二人の私はどちらも真面目そのものだった。抑制が利かず、汚辱にまみれる私も、知識の蓄積や人の悲しみや苦悩の救済に勤しむ私も、どちらも同じ私だった。

(3)私の内部で永遠に続く善と悪との争いに強い光を当てた私の医学研究で得た推論は・・・
   「人間というものは最終的に、それぞれ異なる多種多様な独立した住人たちの住む純然たる集合体として理解される」
   「人間の完全で根源的な二面性を認識するようになった」

(4)人間が抱えるふたつの人格が別々の個体に収められていたら、その人間の人生は耐えがたき悩みのすべてと無縁のものとなるのではないか。「善」と「悪」の、この相容れない二本の薪が一つの束にくくりつけられていることこそ、人類の呪いなのではないか。

2 分離する薬
(1)私は生まれ持った自分の身体が私の精神を作り上げた力の霊気や輝きに過ぎないことを理解したばかりか、そんな力をその地位から引きずり降ろす薬の調合にも成功し、第二の身体と替わりの顔を作り出すことにも成功した。

(2)私はその薬を勇気を振り絞って一気に咽喉に流し込んだ。その新たな一呼吸から、自分がより邪悪であること、生まれ持った邪悪さに奴隷のようにわが身を売り渡してしまったことが分かった。

(3)顔には悪が露骨にあからさまに塗りたくられていた。鏡に映った醜い虚像を見て、私が覚えたのは嫌悪感ではなかった。むしろ小躍りして受け入れたくなるような喜びだった。これもまた私なのだ。その私はいかにも自然で、人間的に思えた。私の眼にはより溌溂とした精神の像として映った。単一で、より明示的に見えた。それまで習慣的に自分のものとしてきた不完全な、二面性のある顔ではなくなっていた。

3 抑制が利かなくなる
(1)薬ときっぱりと別れを告げることを誓っても、自分を律する心の弱さから、最後にまたあの変身の薬を飲んでしまった。

(2)長く閉じ込められていた私の悪魔が吠え声をあげて檻の中から飛び出してきた。悪に向かって突き進みたいという激しい思いに駆られているのが自分でもわかった。

(3)地獄の魂が私の中で眼を覚まし、暴れまわった。有頂天になって、私は杖を振り下ろすたびにこの上ない喜びを味わい、無抵抗の身体を容赦なく打ちのめした。

  * 悪への誘惑に抗しきれずにいたが、次第に元に戻ることが難しくなる。
    さらには、薬も飲まないのに、知らないうちに「悪」に変身してしまう。
    元も戻す薬も尽き、破局へと向かう。

「オー・ヘンリー傑作選」 [海外文学]

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  オー・ヘンリー(1862~1810)はアメリカ小説家。
  15歳で学校を終えた後、様々な職業を経験した。小説を書くようになったのは、銀行で働いているときにお金を使いこみ、5年間の刑に服している時。出獄後、ニューヨークに移り、多くの短編 小説を発表して、作家として認められるようになる。ただ、彼の作品が本格的に評価されるように なったのは彼が47歳で亡くなった後。現在では、アメリカを代表する作家の一人とみなされてい  る。
  作品には意外な結末が仕組まれていることが多い。

1 「賢者の贈り物
   貧しいながらも仲良く暮らす若い夫婦。クリスマスイブは明日に迫っているがどちらも相手に送るクリスマスプレゼントを買うお金がない。二人は相手が欲しがっているものをどうしても  買いたくて、それぞれ自分が最も大切にしていた物を売る。夫は時計を、妻は自分の髪の毛を・・・
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2 「警官と讃美歌」
   公園のベンチを拠点に路上生活をしているが、冬の間は刑務所の厄介になる。今年も冬が迫ってきた。無銭飲食などの軽い罪を犯せば、警察に引っ張られ、治安判事がうまくやってくれる。
   まず、高級レストランに入ろうとしたが、すぐに歩道に追い出されてしまった。華やかな店のウィンドーめがけて石を投げガラスを割った。大衆食堂で食べた後、金がないことを告げた。若い女性に言い寄った。しかし、いずれも警察官が来て逮捕してくれることにはならなかった・・・
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3 「マモンの神とキューピッド」
   息子は言う「金でできないこともありますよ」
   金持ちの父親は応える「馬鹿なことを言わんでくれ。わしはいつだって金の力の方に賭ける。なにが金で買えないか言ってくれ」
   息子は最愛の女性がヨーロッパに旅立つ前に告白したいが、馬車で送る6~8分しか時間がない。ところが、馬車が出発するとすぐにひどく道路が込み合い2時間も二人きりになり、結婚の約束を得ることができた。息子は渋滞という偶然の幸運に恵まれたと思ったが・・・
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4 献立表の春
   ニューヨークに住む、貧乏な若い女性。レストランのメニューのタイプ打ちでなんとか暮らしている。田舎で生活している青年と結婚の約束をしている。しかし、彼から2週間も連絡がない。住所が変わったとの連絡が彼に届いていなかった。しかし、彼は探し当てて来た。それは・・・
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5 緑のドア
   冒険心旺盛な男性が通りを歩いていると、「緑のドア」というチラシを受け取った。それと思しき建物の中の、緑色のドアを思い切ってノックすると、ドアはゆっくりと開き、まだ二十にならない娘が真っ青な顔でよろめきながら立っていた。ノブを離すと、片手で探るような格好で力なく倒れかかった。娘を抱きとめると、壁沿いの色あせたソファに寝かせた。」 その娘は3日間、何も食べていなかった・・・
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「イワン・デニーソヴィチの一日」 [海外文学]

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  著者はロシアの反体制派作家、アレクサンドル・ソルジェニーチン(1918~2008)。
  1970年にノーベル文学賞を受賞。1974年にソ連を追放されるも、1994年に帰国した。
  本作品は1962年の出版で、著者自身が1945年から1956年にかけて体験した収容所生活を基に書かれている。ソ連国内でベストセラーとなるともに、多くの国で翻訳され読まれている。
  ソ連の強制収容所の状況を内外に知らしめ、大きな影響を与えた作品である。

  この作品の主人公は戦争で捕虜になっただけで10年の収容所生活を強いられる。
  極寒の地で外での作業に従事し、わずかな食べ物を与えられるのみ。
  差し入れは認めらているが、家族の負担を心配して断っている。
  生き延びて刑期を終え、自由の身になることを夢見て、
  恥も外聞もなく、少しでも余計に食事を得るなど、うまくやることに頭を使う。
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1 生きる
  このラーゲリ(強制収容所)で刑期満了で自由になった者はまだ一人もいなかった。
  「彼の頭にあるのは『生き延びて見せる!』ということだけ。なにがなんでも耐えて生き延びるんだ。神の思し召しできっとつとめあげる!」

2 作業班
(1)囚人は作業班のいずれかに割り当てられる。作業の結果に応じて作業班全体の食事の量が左右される。看守が囚人を駆り立てるのではなく、囚人同士がお互いに追い立てるようにする仕組みだ。
 「働かねえのか、この野郎、きさまのためにおれが腹へらさなきゃならねえてってのか?ふざけるな、働きやがれ、くそ野郎!」

(2)「囚人の最大の敵はだれか?別の囚人だ。囚人がお互いにいがみ合うことさえなかったらなあ、と思うがそれは・・・」

3 刑期
  「誰にでも10年くわしたという、そういう幸いな時期が以前にはあったのだ。ところが1949年から、こんどは誰かれの見さかいなく25年ということになった。10年ならまだお陀仏にならずに生き延びられるが、25年も生き延びられるかってんだ?!」
  
4 収容所送りの理由
(1)1942年2月、彼らの軍隊がすっかり包囲され、飛行機からも食いものは全然投下されず、死んだ馬の蹄を削り取り、その角質を水に浸して食う始末だった。射つ弾もなかった。捕虜になったが、二日間で仲間4人と一緒に脱走して逃げ歩いて、ソ連軍に出逢った。しかし、5人のうち3人は射殺され、残りの二人が、「ドイツ軍の捕虜になり逃げてきた」と言ったら、捕虜になるとはということで収容所送り。

(2)コーカサスでバプティスト信者のクラブの者みんなで祈っていた。神様に祈っていたからって、誰の邪魔をしたわけでもないじゃないか。それがみんな十束ひとからげで25年頂戴した。

5 食事
  「彼は食い始めた。まず(スープの)うわずみだけじかにぐっと飲んだ。熱いやつが入ると、体中にゆきわたった。はらわたがスープを迎えて喜びに震えている様子。うまいなァ!このつかの間の一瞬。このためにこそ囚人は生きている!」

6 営倉入り
(1)違反をすると営倉に入れられる。

(2)営倉は「壁はレンガで、床はコンクリート。窓は一つもなく、ストーブは壁の氷がやっととけて床に水たまりができる程度にしか焚かれない。寝るのはむき出しの板の上、それも歯ががくがくふるえずに寝られればの話。パンは1日300グラム。スープは3日目と6日目と9日目だけ。」
  
(3)「ここの営倉10日というのは、まともに10日入れられていたら、そいつはもう生涯身体がだめになるということだ。胸をやられて、もう死ぬまで病院だ。重営倉15日はいっていた者はとっくに土の下でねむっている。」
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