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「ユダヤ人とドイツ」 [世界史]

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 講談社現代新書の一冊。1991年刊。
 著者は、古代教会史を専門とする大澤武男さん。

 キリスト教的ユダヤ人観では、ユダヤ人は救世主キリストを殺し、永遠に神から呪われ、放浪の身分にある人たちである。

 11世紀末、第一回十字軍のドイツ人参加者は、遠路聖地へ向かう資金を稼ぐため、ライン川沿いにある豊かなユダヤ人地区を次々と襲い、略奪と殺戮を重ね、異教徒征伐をすると同時に、資金、物資の調達をした。

 それに続く第二回、第三回の十字軍による迫害をはじめ、政治危機や社会不安、人災、天災、凶作、ペストなどを契機とした民衆の激昂、極度の不安や怒り、宗教的狂信、偏見、誤解等によりユダヤ人は繰り返し迫害された。

 両替、質屋、金貸し業を主たる職業としていたユダヤ人は、住居や身分の不安定性から、他の地域へ移住しても困らないよう自己の財産を金、銀、貨幣等で蓄えていた。宗教的な迫害にかこつけて、実態はしばしばユダヤ人の持つ財産の掠奪であった。また、ユダヤ人から借金の証文を奪い、焼き捨てることも迫害の重要なねらいであった。

 ユダヤ人というと「高利貸」というイメージがあるが、13世紀ごろまでには、公職のみならずほとんどすべての職業から締め出され、金貸し業が唯一残された仕事であった。なお、当時、キリスト教徒は利息を取って金を貸すことを禁止されていたが、ユダヤ人にはこうした制限はなかった。

 しかし、キリスト教徒から見ると、ユダヤ人は高利貸で暴利を得ているとされ、場合によっては奪い取っても良いものというような、略奪を正当化する考えが形成されていった。

 キリスト教徒とユダヤ人の分離が推進され、「ゲットー」というユダヤ人の居住区形成につながった。

 一方、15世紀末に始まる大陸発見時代とそれに伴う商品経済の著しい拡大は、ユダヤ人の経済活動を大いに有利な方向へ変化させていった。
 ユダヤ人は金融業を営むかたわら、広域商取引に乗り出した。
 また、多くのドイツ諸侯が経済力を蓄えたユダヤ人を側近に召し抱えた。
 そうしたユダヤ人の役割は・・
 ① 戦費や軍事物資の調達者
 ② 国家財政の顧問、資金提供者
 ③ 貨幣の鋳造、提供者

 20世紀初頭まで、ドイツの王侯、貴族とユダヤ人資本家との関係は切り離せない深い結びつきがあった。

 このように一部のユダヤ人の活動の場は広がっていったものの、ユダヤ人の基本的人権という面に関しては、中世の状態と大きくは変わらなかった。
 ユダヤ人の解放を行ったのは、ナポレオン率いるフランス革命軍であった。
 フランス革命軍はユダヤ人をゲットーから解放し、ユダヤ人に市民権が与えられ、自由と平等を付与した。
 しかし、ナポレオンの敗退とともに、ユダヤ人の対する処遇も後退することになった。

 19世紀中頃から始まったドイツの産業革命で、ユダヤ人の果たした役割は大きかった。
 鉄鋼業、繊維工業、鉄道敷設、海運業など、ユダヤ人により行われた。
 また、フランクフルトの銀行の7分の6はユダヤ人の経営であった。
 1900年頃、ドイツの人口の1%にしか過ぎなかったユダヤ人は、平均してドイツ人の6.7倍の富を蓄えていた。

 このようなユダヤ人の繁栄の一方で、ドイツ人の間に「反ユダヤ主義」が芽生えることになった。
 「反ユダヤ主義」には「怒り」と「恐れ」が含まれていた。
 「怒り」とは、19世紀初頭以来のユダヤ人解放による、彼らの著しい経済的進出に対するドイツ社会の嫉妬。
 「恐れ」とは、目覚まし進出を見せる異質の小数派ユダヤ人に対する、自信を持てないドイツ民族の感情である。

 第一次大戦では、ユダヤ人はドイツ軍の兵士として積極的に参加した。
 しかし、敗戦に終わり、ベルサイユ条約による過酷な賠償請求に打ちひしがれるドイツ人の中で、敗戦の責任はユダヤ人にあるという根拠のない主張が、一般ドイツ人の共感を呼ぶことになった。

 この後、「反ユダヤ主義」がドイツ人の間に浸透していった要因としては・・
 ① 東ヨーロッパからの東方ユダヤ人の流入
 ② 戦争中の物資補給悪化の責任をユダヤ人に転嫁
 ③ ポーランドやロシアからドイツへ逃れてきたユダヤ人共産主義者の存在

 そして、ヒトラーの狂気へと続く・・

「奴隷船の歴史」 [世界史]

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  著者はアメリカの歴史研究家、マーカス・レディカー。
  原著は2007年にアメリカで出版された。

1 奴隷貿易
(1)奴隷貿易は15世紀末から19世紀末まで約400年間も続いた。この間に1,240万人が奴隷船に積まれ、航海の途中で180万人が命を落とし、海へ投げ捨てられた。生き延びた1,060万人は目的地で買い取られ、殺人的なプランテーション労働に投じられた。

(2)さらに、アフリカで捕らえられた人々のうち、捕まってから奴隷船に乗せられるまでの間、移動中あるいは海岸の収容所に閉じ込められている間に死亡したものがいる。これは控えめにに見積もって捕らえられた人の15%程度、180万人ほどと考えられる。

(3)アメリカ大陸で労働が始まってからも、1年以内にさらに15%程度、150万人が死亡している。全体では、1,400万人が捕らえられ、うち500万人が1年以内に亡くなったことになる。

2 プランテーション
(1)17世紀に、ブラジル、カリブ海地域、北アメリカでプランテーション(大規模農園)が始まった。1650年代には砂糖生産が広まった。いくら供給しても労働力が足りないという状況になった。最初はヨーロッパの年季奉公人が連れてこられ、やがてそれを圧倒的に上回る数のアフリカ人奴隷が持ち込まれた。

(2)彼らは農園主に買われ、極めて厳しくかつ暴力的な監視下で、世界市場のための商品の大量生産に強制的に従事させられた。

3 三角貿易
(1)奴隷船はヨーロッパの港から様々な製品を積んで西アフリカに向かい、その貨物と奴隷を交換し、アメリカに向かった。アメリカでは奴隷を売って、砂糖、タバコ、米といったプランテーションの産物を手に入れた。

(2)奴隷貿易には膨大な経費がかかり、様々な人的・物的資源を投入する必要があった。初期の段階においては、国家主導で貿易の基礎構造が築かれたが、その後、巨大な資金力を持つ貿易商の独壇場となった。

(3)すべてうまくいったときには、投資した金額と同じだけの利益が得られた。しかし、病気、反乱、難破、敵対国の私掠船による強奪などの危険のためとてつもない損失を被ることもあった。奴隷貿易の平均利益率は5~10パーセント程度とみられ、当時の基準では並外れてよいわけでもなかった。

4 奴隷の確保
(1)奴隷制はアフリカのこの地域のほとんどの社会に古くから存在した。奴隷になるのは、戦争捕虜と犯罪人と決まっていた。7世紀から19世紀までの間に、北アフリカのアラブ商人によるサハラ縦断交易によって、900万人以上が北へと運ばれた。

(2)ヨーロッパ人が奴隷貿易に加わるようになると、銃と火薬を手に入れた現地の集団がそれを使用して近隣の人々を支配し、奴隷を得て、それを売ることによりさらに銃火器を手に入れることができた。

(3)西アフリカの海岸にやってきた奴隷船の船長は、資金を出した貿易商の指示により、奴隷を集めた。ほとんどの商人は若者を買うように指示した。12歳から25歳までで、男二人に女一人の割合が当時の標準であった。生きて航海を終えられる可能性が最も高いのは、体力のある健康な若者であった。

(4)西アフリカ海岸での奴隷の買い入れは時間がかかる。現地の商人が一度に連れてくる奴隷の数は、一人か二人。奴隷たちは、買い入れが終了するまで6か月かそれ以上を奴隷船上で過ごし、さらに6週間から10週間の航海に耐えなければならなかった。

<船内の様子>
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ヨーロッパ諸国の植民地経営 [世界史]

IMG_20170419_0001.jpg  
  「グローバル経済の誕生」の第5章「暴力の経済学」を参考にした。
  同書は、シカゴ大学教授のケネス・ポメランツさんとカリフォルニア大学教授のスティーヴン・トピックさんの共著。原著は2006年出版された。
  世界各地の結びつきが強まる、いわゆるグロ-バル化の負の側面を描いている。

1 アフリカで奴隷貿易が発展した理由
(1)1800年より前では、アメリカに来た移民の4人のうち3人が、アフリカ大陸から大西洋を越えて強制的に連れてこられた人々である。その数は1000万
~1500万人といわれている。

(2)アメリカ大陸では、植民地経営を行うための労働力が不足していた。暴力や天然痘、麻疹といった伝染病により、スペイン人が新大陸を征服してから数十年以内に先住民の約9割が死んだ。

(3)新大陸での植民地経営のためにアフリカ奴隷が買われ、その対価として銀、砂糖、タバコなどが支払われた。アフリカ人奴隷は、アフリカ人の貿易商の手によって捕らえられ、新大陸に運ばれるために売られていった。それはアフリカで植民地を経営するよりもずっと簡単で安定した、儲けの多い商売であった。

2 ペルーのポトシ銀山
(1)スペイン人が1545年に銀鉱脈に気づき、採掘を始めた。1565年からは、鉱石のなかから水銀を用いて銀を採取する方法を採用して、産出量を増やした。

(2)砕石作業に必要は水を確保するため、水路、ダム、貯水池などが建設された。

(3)また、労働力を確保するため。先住民の村々から強制的に人を拠出させ、鉱山労働に従事させた。鉱夫たちの労働は、地中深くの蒸し暑さ、鉱石を背負っての搬出など、過酷なものであった。

(4)鉱夫の数は1650年ごろには4万人に達し、ポトシの町の人口は16万人に膨れ上がった。しかし、1800年頃には鉱脈は枯渇し、閉山に追い込まれ、町はゴーストタウンと化した。

3 イギリス、オランダとスペイン、ポルトガルとの覇権争い
(1)対立するスペインの海軍力にダメージを与え、植民地を拡大して異教徒を改宗させるという名目で、イギリスの貴族や地主は、海賊船にお金を投じた。海賊事業は儲かる仕事で、実際には、高い利益率に惹かれてお金が投じられた。

(2)香辛料、金銀、奴隷、砂糖といった贅沢品を載せたスペインやポルトガルの船が襲撃された。

(3)また、オランダは武力を使って、ポルトガルが独占していたブラジルでの砂糖プランテーション経営や西アフリカ沿岸部での奴隷貿易を攻略した。

(4)その後、オランダ人は厳格なプロテスタント教徒であったにもかかわらず、アフリカの沿岸部で次々と奴隷貿易の輸出港を建設し、人間を家畜のようにカリブ海に浮かぶフランスやイギリスの植民地に輸送し始めた。

4 奴隷解放後の植民地農園における強制労働と年季奉公
(1)19世紀中頃、世界各国で奴隷制が廃止された。奴隷制の下では、奴隷たちは過酷な労働に従事させられていたが、奴隷解放後も植民地の統治者たちは、労働者を酷使するするため、色々な方法を考え出した。

(2)農園主は解放後の奴隷たちに「見習い労働」という名目で労働を強制した。

(3)さらには、アフリカ人の強制労働だけでは十分でないことが明らかになってくると、熱帯気候に属する植民地では、年季契約労働制度を導入するようになった。これらの植民地へは、インドや中国から200万人以上もの年季契約労働者が連れてこられた。

(4)しかし、イギリス植民地のカリブ海諸国では、インド人の年季契約労働者は、アフリカ人奴隷に強制してきた労働量のかろうじて半分ぐらいの仕事しかできなかった。奴隷労働が過酷で、極限まで人々を搾取するものであったことが分かる。

5 ベルギーによるコンゴ支配
(1)ベルギーのレオポルド二世(在位1865~1909)は奴隷解放とアフリカ人保護を名目に、コンゴを手に入れた。

(2)その後、原住民の大量虐殺と象牙の採取が始まった。その結果、500万から800万のアフリカ人と、数十万頭の象が失われた。

「人口の世界史」 [世界史]

1478774478536-2113398996.jpg  マッシモ・リヴィ・バッチというイタリアの人口学専門家が書いた本。原著は2011年に出版された。この本では世界の各地で起きた人口変動を描写している。そのいくつかを拾ってみると・・・
 1 ペスト(黒死病)
    ネズミに寄生するノミにより伝播する。ヨーロッパでは再三にわたり流行したが、14~15世紀の流行が最もひどく、ヨーロッパ全体の人口が1340年から1400年までの60年間で8,800万人から6,300万人へ2,500万人減少した。
 2 新大陸の発見後に起きた悲劇
    アメリカ大陸の原住民は、1492年の「新大陸発見後」ヨーロッパ人による殺戮、強奪、酷使により壊滅的な打撃を受けた。例えば、人口の多かった中央メキシコは1532年の1,700万人から1608年には100万人にまで減少した。現在の米国にあたる地域の原住民(インディアン)は1500年には500万人であったが、1800年には6万人となった。
 3 奴隷貿易の影響
    イギリスフランススペインなどの植民地であったカリブ海諸島は黒人奴隷の最大の受け入れ先であった。16~18世紀の3百年間で390万人の黒人奴隷が入ってきたが、1800年頃の同地域の黒人人口は170万人に過ぎなかった。
 4 アイルランドの飢饉
    アイルランドは13世紀以降、英国の支配により苦しめられたが、16世紀末に新大陸からもたらされたジャガイモを主食にするようになってから人口が急増するようになった。アイルランドの人口は1687年から1841年の154年間で216万人から817万人へ601万人増加した。しかし、1845年に唯一の食料となっていたジャガイモを病気が襲い、大飢饉が数年続いた。死者は100万人を超え、またそれ以上の人々が国外へ移民として脱出した。アイルランドの人口は1901年には450万人にまで減少した(ボトムは20世紀に入ってからの300万人)。

「インディアスの破壊についての簡潔な報告」 [世界史]

1478340082433-2113398996.jpg  著者はラス・カサスというスペインの聖職者で1552年に書かれたもの。その60年前の1492年にコロンブスがアメリカ大陸に到達した。その時から始まったスペイン人によるアメリカ原住民の殺戮や略奪は目を覆うばかりで、著者は実際の見聞や他の聖職者からの報告をまとめ、殺戮や略奪の中止を訴えるためスペイン国王に提出したのが本書。新大陸で金が産出されているということが知られるようになり、多くのスペイン人が大西洋を渡った。彼らは、原住民から金を拠出させるため、拷問、火あぶりなど悪行の限りを尽くした。それはカリブ海の島々に始まり、中米や、今のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルーなど広範囲に及んだ。
  この本を読み、考えさせられたことをいくつか記載してみたい。
 1 スペインやイギリスを中心に欧州の人々は、アメリカ大陸で原住民の大半を殺戮してその土地を奪った。アメリカなどの繁栄にはそうした影の歴史がある。
 2 当初は金の獲得が目的であったが、その後、その土地で綿花やコーヒーなどの栽培を行うようになり、労働力が不足したため、アフリカの原住民を暴力的に奴隷として持ち込んだ。ブラジルの奴隷貿易は19世紀後半まで続いた。アメリカ新大陸の発見はアフリカ原住民の強奪にまで及んだ。
 3 コロンブスは、マルコ・ポーロの「東方見聞録」に書いてあった黄金の国、ジパングを目指したともいわれている。コロンブスが日本に来なくてよかった。ただ、アメリカの原住民は、火薬はもちろん、鉄の兵器も持っていなかったので抵抗できなかった。日本はその時代、鉄砲は伝来していなかったものの、13世紀の蒙古襲来を防いだことからもわかるように、刀や槍によりある程度の戦闘力を有していたので簡単に殲滅されることはなかったと思われる。
 4 アメリカ新大陸での殺戮や略奪でキリスト教はどのような役割を果たしたのであろうか。実際にはほとんど意味をなさなかったものの、原住民を征服する目的の一つにキリスト教の布教があった。本書の著者もその目的で6度にわたり、大西洋を横断している。しかし、コーランもそうであるが聖書にも、布教に努め、帰依しない異教徒は排除すべし、というようなことが書かれており、それが原住民虐殺のいいわけとなったとも考えられている。

「スターリンのジェノサイド」 [世界史]

1478081742952-2113398996.jpg  著者ノーマン・M・ネイマークは米国スタンフォード大学の教授。この本でスターリンの殺戮と圧制の全容をまとめている。それにしても狂った独裁者は恐ろしい。秘密警察を使った拷問や処刑、施設や食料のない収容所への移送、強制移住、大飢饉の放置、少数民族の殲滅など、あらゆる手を使った。自己の独裁的な地位を脅かすものを根こそぎ排除するとともに、すべての人に恐怖心を植え付けた。1932年のウクライナ飢饉では300万から500万の人が亡くなった。穀物の十分な国家備蓄があり、また、資金を稼ぐため穀物の大量輸出を続けていたが、スターリンは飢えて瀕死の人を助けようとはしなかった。スターリンによる殺戮は全体では2,000万人を超えるといわれる。毛沢東による6,500万人やカンボジアのポルポトによるものなどを合わせると、20世紀の共産主義政権下の死者は1億人を超えるといわれている。

「暴力の人類史」 [世界史]

14774297839111335795344.jpg  著者のスティーブン・ピンカーはハーバード大学の心理学の著名な教授。本書は日本語訳で上下巻合わせ1,300ページを超える。世界の歴史をたどると、暴力による死者の数は古代、中世、近代へと進むにつれ、顕著に減少してきていることを示しており、本書ではその原因を探っている。20世紀は、2度の大戦やヒットラー、スターリン、毛沢東といった独裁者による大量虐殺などがあり、暴力による死者が決して少ないとは思えない。しかし、それだけ近代以前には支配者による圧制、他民族への侵略、些細ないさかいや宗教対立からの戦争など、暴力が日常茶飯事であったということだと考えられる。暴力による死者の数が減少してきた要因としては、教育の普及による識字率や知能の向上により、道徳や理性に目覚め、民主主義や協調ということが重視されるようになってきたことが挙げられるようだ。
 なお、暴力を正当化する悪しき一例として、太平洋戦争における米国の正当化を挙げている。米国政府は開戦当時、日本の真珠湾攻撃は卑劣は挑発行為で、甚大な損害を受けたので復讐をしなければならないと、国民に訴えた。しかし、この本の著者はその不当性を以下のように記載している。
 1 米国は石油の禁輸などにより日本を苦しめ、日本からの攻撃がありうることを予測していた。
 2 真珠湾攻撃で2,500人が死亡したが、太平洋戦争に突入したことにより10万人の米兵が死亡したほか、焼夷弾や核爆弾により日本の民間人を大量に殺戮した。

[真説 毛沢東」 [世界史]

1476062105418-911503934.jpg 2005年に日本を含め世界各国で出版され、本年、講談社α文庫として再刊された。毛沢東支配下の中国で数千万人が殺されるなど、毛沢東の自己中心的な極悪非道が描かれており、中国国内では出版されていない。上下巻合わせて1,400ページを超える大作であるが、内容に引き込まれる。作者のユン・チュアンは前作の「ワイルド・スワン」で文化大革命の激動期の真実を描き、世界にセンセーションを巻き起こした。権力を握った独裁者による殺戮は、20世紀だけでも他にヒットラーやスターリンなどを挙げることができるが、21世紀にもなくなることはないのではないか。
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