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ネス湖のネッシー [海外スポット]

ネス湖.jpg
<ネス湖>

  イギリスのスコットランドにあるネス湖に恐竜がいるという話は昔からある。
  科学的には依然として何ら解明されていないが、多くの人の夢を掻き立てている。

1 ネス湖の恐竜目撃の歴史
(1)古くは紀元565年に近隣の農夫が恐竜につかまり、食い殺されたという話が残されいる。その後、ネス湖周辺では多くの奇妙な出来事が伝えられてきた。

(2)1933年にネス湖のまわりを通る道路の工事が始まり、掘削や爆破が頻繁に行われた。これが、湖底に眠る恐竜を目覚めさせたといわれる。

(3)この時期、多くの目撃情報が寄せられた。そして、ついに1934年、ウィルソンさんというロンドンの外科医が水面に現れた恐竜の写真を撮影することに成功した。これは大々的に報じられ、以後、その真贋について論争が巻き起こった。
ネス湖 1934年.jpg

(4)1960年代には、ネス湖調査局が10年に渡る観察調査を行った。また、1960年代後半には、音波探知機を備えたミニ潜水艦も投入された。

(5)1970年代中頃には、こうした機器による水中映像が、多くの人の興味を集めた。

(6)また、ネス湖に住むイルカを捕獲して、それに音波撮影装置を付けた後、水中に戻し、恐竜を撮影することも検討された。

2 恐竜の有無について
(1)現在まで、ネス湖に恐竜が存在するという確たる証拠は見いだせていない。

(2)しかし、水中になにか大きな生き物がいることは、複数の科学者が認めている。

3 最近の撮影写真
(1)2016年9月に、ネッシーが水面を泳いでいる姿がアマチュア写真家のイアン・ブレムナーさんにより撮影された。
ネス湖 恐竜.jpg

(2)ブレンナーさんの友人のなかには、この写真に写っているのは3頭のアザラシではないかよ言う人もいるが、ブレムナーさんはそうではないと主張している。

<ネス湖の位置>
ネス湖 地図.jpg

スペインの旧都 トレド [海外スポット]

トレド.png
  トレドはマドリードの南71キロのところにあり、マドリードから電車で30分で行ける。
  町全体が世界遺産に指定されている。

  トレドはヨーロッパで最も古い都市の一つと言われる。
  西暦569年に西ゴート王国の首都となって以来、1561年に首都がマドリードに移されるまで、スペインの中心の町として繁栄した。
  この町は、ユダヤ、アラビア、キリスト教徒という3民族の文化の香りを今に伝えている。
  スペインの代表的な画家のひとりであるエル・グレコ(1541~1614)がこの町に住み、彼の代表的な作品がこの町に残されている。  

  現在の人口は8万人ほどであるが、年間数百万人の観光客がこの町を訪れている。

1 トレド大聖堂
   1493年に完成した。
   長さ113メートル、幅57メートル、高さ45メートルの規模を誇る。  
   大聖堂の中で特筆されるのは・・・

  ① 聖餅顕置台
     ドイツ人の工芸家が7年半をかけて作ったもので、高さ2メートル半、重量200キロで、金銀、宝石が用いられている。
生体台.jpg

  ② エル・グレコの「略奪」
     大聖堂の聖器室内の中央に展示されている。聖器室内には、エル・グレコのほかにティツイアーノやラファエルの作品が展示されている。
グレコ 略奪.png

  ③ 大祭壇
     木製の彫り物で、4年間に27人の工芸家が協力して制作した。
トレド大聖堂 大祭壇.png

2 サント・トメ教会
   11世紀に建てられた後、壊れたものを14世紀にオルガス伯が再建した。
   そのオルガス伯が埋葬される際に起きたという奇跡的な事跡を、エルグレコが1586年から1588年までの2年をかけて描いたのが「オルガス伯の埋葬」で、この教会に展示されている。
   エル・グレコの最高傑作とされている。
オルガス伯の埋葬.png

3 タベラ美術館
   エル・グレコの以下の作品が展示されている。
  ① 「聖家族」
グレコ 聖家族.png

  ② 「キリストの洗礼」
グレコ キリストの洗礼.png

トプカプ宮殿 [海外スポット]

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<トプカピ宮殿の模型>
  *以下を参考にした。
    「トプカプ宮殿」 トウルハン・ジャン著 
             ORIENT LTD 刊

  トプカピ宮殿はトルコイスタンブールにある宮殿。
  スルタン・メフメット二世(1432~1481)により造られたものであり、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した。

1 宝物
  オスマン帝国のスルタンが保有していた宝物のコレクションが展示されている。その規模は、世界有数といわれている。特に有名なのは以下のものであるが、ほかに、中国の青磁、青白磁、日本の伊万里、マイセンなどの陶器類、金の玉座、洗礼者ヨハネや教祖マホメット関係の品、トルコ細密画などが収蔵されている。

  ① 短剣「トプカプ」
    黄金の柄には三つの大きなエメラルドが埋め込まれ、頭部にはエメラルドで蓋のされた金の時計が見られる。エナメルと貴石で飾られた金の鞘も見ごたえがある。
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  ② 匙職人のダイヤモンド
    周囲を49個のダイヤで取り囲まれた86カラットのダイヤ。
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  ③ 教祖マホメットの歯の入った金の箱
    貴石で飾られた金の箱に、戦いの際に折れたマホメットの歯が収められている。
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2 ハーレム
(1)イスラム教徒は、一度に4人までの妻と婚姻関係を結ぶことができた。これは、もともとは戦争による多くの未亡人救済と、戦力増大のための人員確保を目的としているものであった。

(2)トプカプ宮殿のハレムでは、様々な民族や国籍を持つ300人の若く、魅力的な女性が19世紀まで生活していた。彼女らは5~6歳ほどでハレムに連れてこられ、そこで非常に厳しい教育が施された。初期においては、戦いの征服地から連れてくることが多かったが、戦いの時代が過ぎると、奴隷市場からの購入に変わって行った。

(3)女性たちは、それぞれ違った役割を与えられ、最も若く、美貌の、なおかつ教養のある12人の女性たちは、特別にスルタンの個人的身のまわりの世話役として従事させられた。

(4)コーカサス地方の女性たちの美貌は評判が高く、そのため、ハレムにもロシアをはじめ、その地方の女性たちが多く連れてこられた。

<ハレムの暮らし>
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ユーロトンネルと青函トンネル [海外スポット]

ユーロトンネル.png
ユーロトンネルの出口>

<青函トンネルの出口>
青函トンネル.png

1 長さ等
(1)総延長はユーロトンネルの50.5キロメートルに対し、青函トンネルは53.8キロメートルと長い。ただし、海底部分だけを比較すると、ユーロトンネルが37.6キロメートルであるのに対し、青函トンネルは30.5キロメートルであり、ユーロトンネルの方が長い。

(2)ユーロトンネルは最も深いところで、水面から115メートル、海底から75メートル下にある。一方、青函トンネルの最深部は水面から240メートル、海底から100メートルのところにあり、大分深いところを走っている。

2 工事期間
(1)ユーロトンネルは1988年から1994年にかけての6年10か月。これに対して青函トンネルは斜坑掘削開始が1964年、本工事開始が1971年、完成が1987年で、全体では23年、本工事だけでも16年を要している。

(2)この違いは主に地質構造の違いによる。ユーロトンネルが通る英仏海峡の地底はすべて石灰岩質。掘りやすく、水漏れも少ない。ここを川崎重工製の巨大ボーリングマシンを結局11台使って掘削した。10名が工事で亡くなった。

(3)一方、青函トンネルはスイス製の掘削機で掘り進めたが、軟弱な地盤と出水に悩まされた。工事で34人が亡くなった。

3 構造
(1)ユーロトンネルは本坑が2本、サービストンネルが1本で、合計3本のトンネルにより構成されている。

(2)青函トンネルは本坑が1本で、ほかに作業坑1本、先進導坑1本で、合計3本である。

4 利用数
(1)ユーロトンネルはロンドンとパリという英仏の首都を結んでおり、利用は多い。年間で1千万人の乗客と4百万台の車を運んでいる。

(2)一方、青函トンネルの年間利用者数は142万人で、近年は横ばい。2016年3月に函館まで新幹線が通じたので、どの程度増えているか?

<自動車を運ぶユーロトンネル>
ユーロトンネル 自動車.png

<ユーロトンネルの構造>
ユーロ論ネル 構造.jpg

<青函トンネルの構造>
青函トンネル 構造.jpg

エッフェル塔と東京スカイツリー [海外スポット]

エッフェル塔.png
 エッフェル塔は1889年、東京スカイツリーは2012年に完成した。123年もの開きがある。しかし、この二つの塔はいずれも、パリと東京という大都市のシンボルとして人気を集めている。
<東京スカイツリー>
東京スカイツリー.png

1 高さ
   エッフェル塔は324メートル、東京スカイツリーは634メートルである。最上階の展望台までの高さはエッフェル塔が276メートル、東京スカイツリーは450メートル。東京スカイツリーは大都市東京を眼下に、富士山など遠くの山々を望むことができる。一方、エッフェル塔は、整然としたパリの街並みの風景が見るものを感動させる。

2 工事
   エッフェル塔は2年2か月、東京スカイツリーは3年6か月で完成した。エッフェル塔は技術の粋を集めて当時としては世界一の高さの建築物であった。また、東京スカイツリーは、地震の多いところに世界一の建築物を造るということで、高度な技術を必要とした。

3 入場料
   最上階の展望台までの入場料は、エッフェル塔が2,100円、東京スカイツリーが3,600円で、東京スカイツリーの方が大分高い。

4 入場者数
(1)2015年度の入場者数はエッフェル塔が691万人、東京スカイツリーは479万人で、エッフェル塔の方が多い。
   
(2)入場者のうち外国人の比率はエッフェル塔が75%であるのに対し東京スカイツリーは15%。エッフェル塔は外国人観光客の利用が多い。二つの都市の2015年の外国人観光客数をみると、パリの4,700万人に対し、東京は1,189万人。パリを訪れた外国人観光客のうち11%の518万人がエッフェル塔を訪れたが、東京の外国人観光客のうち東京スカイツリーを訪れたのは6%の72万人。

(3)アメリカの旅行誌が東京の「ガッカリ」観光スポットのトップに東京スカイツリーをあげている。入場料が高いのがその理由。無料で上れる東京都庁や、地上250メートルの特別展望台まで1,600円の東京タワーの方が外国人には魅力的なようだ。

(4)東京スカイツリーは、目新しさだけでは日本人の入場者もいずれ減少に向かうと思われる。

シベリア鉄道 [海外スポット]

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  モスクワとウラジオストックを結ぶ、9300キロに及ぶ世界最長の鉄道
  13年をかけて1904年に完成した。
  シベリアならびに極東地域の開発に欠かせないインフラとなっている。

1 シベリアへの進出
(1)ロシアがシベリアに進出するようになったのは16世紀ごろからで、主な目的は毛皮の獲得であった。毛皮商人の私兵、コサックはモンゴル系民族の支配地で戦いを行いながら、1636年にはオホーツク海に達した。

(2)その後、1689年にはロシアと清との間でネルチンスク条約が締結され、両国間の国境が定まった。さらに、17世紀後半にはロシアの南下が日本の蝦夷地を脅かすまでになった。

(3)シベリア鉄道ができる以前の交通手段は、河川交通と馬車であった。河川交通では、シベリアの大河の支流から支流を伝うことで東へ向かうことができたが、オホーツク海まで完全につながっているわけではなかった。また、道路が十分あるわけではなく、場所の移動は大変な時間を要した。

2 シベリア鉄道建設の歴史
 (「シベリア鉄道9300キロ」蔵前仁一著による)
(1)ロシアで初めて首都のサンクト・ぺテルブルクに鉄道が敷設されたのは1837年である。その後、ロシアは国の近代化を進めるため積極的に鉄道建設を行った。最初にシベリア鉄道建設の構想
が提案されたのは1857年であるが、実際に建設がスタートしたのは1892年である。

(2)工事は以下のような障害があり、困難を極めた。
   ① 橋脚や橋台に使う石材はウラル地方など遠方から運ばなければならなかった。
   ② 冬は極寒の地であった。
   ③ 無数の湖や池があり、蚊やブヨが群がった。
   ④ 密林を切り開くとともに、固く凍りついた表土に苦しめられた。
   ⑤ その凍土が真夏には解け出し、沼地へと変わり作業はますます困難になった。

(3)作業員は、ロシアから来た労働者ならびにイルクーツクの監獄から徴発された囚人労働者であった。

(4)しかし、ハバロフスクに至るルートは大変な難工事が予想され、この部分の建設は棚上げとなり、代わりに清を通る東清鉄道が1901年に完成し、バイカル湖だけ船に乗れば、モスクワからウラジオストックへ、鉄道でシベリアを横断することが可能となった。バイカル湖は冬は結氷して船の運航ができなくなるため、バイカル湖を南に迂回するルートの建設が1901年に始まり、1904年に完成した。これによりシベリア鉄道は一応の完成を見た。

3 シベリア鉄道の現在(日通総研レポートによる)
(1)現在は全線が複線・電化している。

(2)運行列車の80%は貨物列車で、輸送貨物は石油、石炭、木材、鉄鉱石、アルミ、化学薬品など。貨物量は石油や木材を中心に増大しているが、パイプラインの完成により、石油は大幅に減少する見込みである。

(3)間宮海峡や宗谷海峡を越え、北海道まで延伸のいう夢のような話もある。

<路線図>
シベリア路線図.png

ジョージ・ワシントン・ブリッジ [海外スポット]

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  ハドソン川に架かっている、ニューヨークマンハッタンニュージャージー州を結ぶ橋。
  世界で最も交通量が多い橋となっている(1日に約30万台)。
  ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社の管理下にある。

1 橋の建設
  1927年10月に工事を始め、4年後の1931年10月に完成した。
  設計はオスマー・アマンというスイス生まれの建築家が担当した。
  橋梁の支点からから支点までの距離が1,067mで、当時最長であった橋の2倍あり、高度な技術を要した。
  (現在の世界一は1998年にできた日本の明石海峡大橋で1,991メートル。ただし、1日の通行量は36千台でジョージワシントンブリッジの8分の1.)
  ニューヨーク側の橋台は26万トンのコンクリートを使用して作られた。
  ニュージャージー側は、メインケーブルは橋台ではなく、直接、岩盤に結びつけられた。
  ケーブルは、両岸を渡すメインケーブルと、橋げたを吊るす垂直のサスペンダーロープとがあるが、いずれも撚り合わされて作られており、ワイヤーのトータルの長さは172,581キロメートルに達する。
  二つある主塔の高さは184メートルである。
  橋には6レーンの自動車道が設置された。

2 橋の拡張
  交通量の急激な増加に合わせ、道路の拡張が段階的に行われた。
  当初の建設時に、将来のことを予想して、主塔やケーブルの能力に十分な余裕をもって作られたことは驚きである。

  1946年 6レーンから8レーンに増やした。
      (橋げたの広さに余裕を持たせておいたことから、可能となった。)
  1962年 下にもう一つ橋げたを加え、2階建てとした。
      (上の階の8レーンと下の階の6レーンを合わせ、14レーンとなった。)
     (明石海峡大橋は6レーン)

3 橋の補修
  1977年から1978年にかけて、上の階の橋げたの取り換えを行った。

  サスペンダーロープの保持能力は当初に比べ10パーセントほど減少しているが、能力的にはまだ十分な余裕があり、取り換えは予定されていない。

4 橋の通行料
  ニューヨーク方面に向かう車だけ通行料を支払う。
  (マンハッタンは島なので、一般道路でニュージャージー州に向かうことは出来ないため)
  通行料は現金の場合13ドル。 
  (日本の明石海峡大橋は本州と四国の間でみると往復13,480円で、ジョージ・ワシントン・ブリッジの9倍。明石海峡大橋の往復だけでは4,740円で約3倍。) 

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世界の建造物ランキング [海外スポット]

法隆寺.jpg 
(法隆寺:世界最古の現存木造建築物)
 
  いくつかの角度から、世界の建造物(タワーを含む)を見てみたい。

1 傾いた建造物
 ① ズールフーゼン教会(ドイツ) 斜度5.19度 高さ27メートル
BAD franken hausenn church.png.jpg

 ② ピサの斜塔(イタリア) 斜度3.99度 高さ56メートル
ピサの斜塔.jpg
 ③ ボローニャのアッシネリとガリセンダの塔  (イタリア)
      アッシネリの塔   斜度1.3度 高さ97メートル
      ガリセンダの塔   斜度4.0度 高さ48メートル
AISINELLI AND GARISENDA.png

2 高い建造物
 ① 東京スカイツリー (東京、日本) 高さ634メートル 建設年2012年
スカイツリー.png 

 ② 広東タワー (広州、中国) 高さ595.7メートル 建設年2010年
広東タワー.png

 ③ CNタワー (トロント、カナダ) 高さ553.3メートル 建設年1976年
CN tower.png

3 最も高い教会
   ケルン大聖堂 (ケルン、ドイツ) 高さ157.38メートル
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4 収容観客数の多いスタジアム
 ①綾羅島メーデースタジアム  (ピョンヤン、北朝鮮) 114千人
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 ②ミシガンスタジアム(ミシガン大学、米国) 107.6千人
ミシガンスタジアム.png

 ③ビーバースタジアム(ペンシルバニア州立大学、米国)106.5千人
ビーバースタジアム.png

ストーンヘンジ [海外スポット]

ストーン.JPG 
 ストーンヘンジはイギリス南部のソルズベリーの平原にある巨石の遺跡。その主要な部分は紀元前2000年頃から同1500年頃にかけて作られた。その用途は「神殿」、すなわち人が超常的な力や存在との接触や伝達を確立することが可能な建造物であろうとみられている。また、周辺部の地中からは人骨が見つかっているが、単なる埋葬によるものではなく儀式の一部としての人身御供であった可能性も指摘されている。
 完成形は以下の図のとおりと推定されるが、現存するのはその一部である。破壊が進んだのは、埋め込んだ地中の穴が浅すぎて直立石の多くが倒れてしまい、さらに中世の頃に格好の建築資材として利用されてしまったため。訪れた人が石を砕いて記念に持ち帰ったともいわれている。 sa-kuru.JPG  石の採掘場所であるが、小さめのものは385キロも離れた南ウェールズで、大部分は水路でいかだに載せて運ばれたとみられている。一方、大きな石は50トンになるものもあるが、ストーンヘンジのある場所の北方30キロのところから運ばれた。こちらはいかだで運ぶには重すぎ、すべて陸路を辿った。下に丸太を敷き、ロープで引っ張るのであるが、常時600人を投入しても一つの巨石を運ぶのに一年以上を要したと推定されている。  このような大規模な余剰労働力を供出できる共同体がその時代、イギリスに存在したということになる。狩猟のみに頼る生活からようやく耕作や家畜が始まったばかりで、道具は石器や動物の骨を加工したものがあるに過ぎない。ストーンヘンジの巨石群の建設に加わった人々が、宗教心に基づき自発的に参加したのか、あるいは強大な権力を持つ支配者がいて参加者は奴隷のごとくに強制的に働かされたのかは定かではない。  以下の図は石を直立にしたり、その上に石を載せたりする際の方法を図示したもの。 立ち上げる.JPG 挙げる.JPG

ロゼッタストーン [海外スポット]

ロゼッタストーン.png  ロゼッタストーンはロンドンの大英博物館に展示されている黒い玄武岩の一枚岩。表面に3種類の違った文字が刻まれている。文字は古代エジプトの象形文字であるヒエログリフ、それを草書体化したデモティック、そしてギリシャ語の3種類である。ロゼッタストーンの発見により、それまで出来ていなかったヒエログリフの解読が初めて可能となった。このため、ロゼッタストーンは大英博物館の展示品の中で最も重要なものの一つになっている。
 大英博物館の解説書(キャロル・アンドリューズ著)によると、ロゼッタストーンはエジプトのロゼッタという村で、1799年にフランス軍の兵士により,取り壊そうとした古い土壁の中から発見された。フランス軍はこれがたいへん重要なものであろうということは直ぐに分かった。この石はカイロの研究機関に送られヒエログリフとデモティックの解読が始まった。
 しかし、1801年イギリス軍がカイロに侵攻し、フランス軍はイギリス軍にロゼッタストーンを引き渡さざるを得なくなった。そして、1802年にイギリスに到着し、同年末頃から大英博物館で一般に公開されるようになり、現在に至っている。
 その後、多くの研究者が解読に取り組んだが成功しなかった。ヒエログリフとデモティックの解読に最初に貢献したのはイギリスのトーマス・ヤングである。彼は1814年にロゼッタストーンのコピーを入手し、その後数年のうちにヒエログリフとデモティックが密接に関係していることを見つけ、さらには約80のデモティックとそのヒエログリフの対応語を識別、翻訳することができた。
 トーマス・ヤングの研究成果をさらに発展させたのはフランスのジャン・フランソワ・シャンポリオンである。彼は1832年に死去するまでに、ヒエログリフの分類されたリストを作り、多くのエジプト王の名前を識別し、一般的な解読法と文法システムを公式化し、ヒエログリフ解読の父といわれている
 ロゼッタストーンの碑文は、紀元前196年の聖職者の総会で決議された法令の写しであった。この時代、エジプトの王家の人々や政府の高官はエジプト人ではなく、マケドニア系ギリシャ人であったことから大半の公用文書ギリシャ語とエジプト語の両方で作成された。このため、同じ内容の文章が両国語で併記されたロゼッタストーンが作られた。
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