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「ベートーベン」 [音楽]

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  著者は長谷川千秋さん。岩波新書の一冊。初版は1938年に出版された。
  あくまでリアルにベートーベンの全貌に迫った。

1 作品作りは時間をかけ慎重だった
(1)幼児の頃より天才といわれてきたが、二十余歳にいたるまで、作った作品の数はわずかであった。出来ないから作らなかったのではない。やろうと思えばやれる腕を持っていたことは、彼のすばらしい即興演奏が十分に証明してくれる。
(2)部分的な楽曲のメモ書き(スケッチ)は作っていた。しかし容易に作品として発表しなかった。

2 楽曲の作り方
(1)彼は、路上といわず、床の上といわず、胸に浮かんだあらゆる楽想を直ちにスケッチした。彼にとってスケッチは、天来の響きを瞬間にとらえて保存することであった。
(2)ピアノを使わないことにより、楽器の影響から生ずるマンネリズム、視野の狭さなどを防ぎ、真に創作的に、自由な、発展的な領域を得ることができると考えた。
(3)規則に従えという頭からの命令は彼には通じないのであった。より美しい結果が得られるならば、どんな音楽に関する規則でも破って構わないと確信していた。

3 努力の人
(1)彼は実に努力の人であった。気に入らないときは何回でも作り直す、彼はいかなるものがいかなる場所に納まるべきかについて、非常に注意をし、迷い、逡巡した。ある個所を直すために、書き改めては、その上に張り付けて、13枚も貼り付けてあるものもあった。出来なければ何度でもやったのである。
(2)このような創作態度の、最も顕著な功績を挙げるのは、曲の構成についてであった。適切に選ばれた各テーマ、各経過句の素晴らしい音楽的効果など、古今独歩の音楽的構成のすばらしさをもたらした。

4 難聴の遠因
(1)元来、体が頑丈なせいもあったが、自分の体を取り扱うのにきわめて乱暴であった。雨の中をぐしょぬれで散歩したりするのは毎度のことであった。
(2)短気な彼は医者にかかれば直ちにその効能あらんことを焦慮し、効能のないときは、たちまち医者に対して無能呼ばわりをした。忍耐のない衛生的に非常識な患者であった。

5 難聴での苦悩と芸術への思い
  「他人より一層完璧であるべき私の感覚、かっては最上級に完全であった私の感覚が、だめになったことを公表しようとすることが、どうして私にできるだろう。人々と交際し、意見を吐きあって楽しむことはもはやできないのだ。孤独、全くの孤独。私はほとんど絶望せんばかりだった。私は危うく自分の命を絶とうとした。私を引き留めたのは芸術だった。自分に課せられたすべてのものを完成してしまうまでは、この世を去ることは出来ないように思われた。」

6 頑迷な性格
(1)耳が聞こえず、無作法で、人目もかまわず、頑固で、厳しくて、時にはまるで感覚がなくなったと見えるほど茫然としているかと思えば、そばで耐えられなくなるほど騒々しくなる。あるいは突然、毛を逆立てて怒り出す。また、節度を越えて肺腑をえぐるような響きを持つ皮肉や冗談を言う。
(2)彼は召使に対しては極めてひどく当たった。スープがうまくできていないと言っては、それは貴様の心が曲がっているからだ、ひどく怒鳴った。そのため仕返しも受けた。召使が火をたくのを怠り、彼が火の気のない凍ったような部屋のベッドの上で、ガタガタ震えていることもあった。

7 第九交響曲の成功
  各楽章ごとに、破れるような喝さいが起こったが、特に第二楽章と、合唱の終楽章が終わった時は、聴衆の熱狂と喝さいは劇場を揺らぐばかりに湧き上った。彼は、演奏を終えた時、後ろの熱狂には少しも気が付かず、まだ指揮棒を手にしたまま、寂然として立っていた。この時、アルトの独唱をした歌手が進み寄って、彼の手を取って、後ろに向けてやった。彼は初めて聴衆の嵐が分かった。彼は丁寧な、しかし子供のように不器用な挨拶をした。そこで、再び雷のような喝さいの響きが巻き起こった。